気分と現実

ネットを見てたら、三井物産のなんとかいうエラい人が、これからは新資本主義の時代、人材流動化で成長を促せ、とインタビューでガンガン言いまくっている。写真を見ると、まあ、恰幅が良くて、貫禄があって、堂々としたいかにも企業のトップという感じのおっさんである。

以前も経営者トップの座談会で、なみいるトップが、雇用流動化すればうまくいく、日本はそれが無いから成長しないんだ、と発言していて、その無責任さに呆れ果てたけど、トップの気分と現場の気分の、この果てしない乖離がいわゆる今いわれている「格差」なんだろうな。両者で「気分」が正反対を向いている。

この記事を見て真っ先に思ったのは、なんといってもこの人物の血色の良さだ。それがすべてを物語って見える。つまり気分がぜんぜん違う。彼の口から出る言葉や論理はすべてその血色のいい気分から出ていて、それで、気分だけでなく現実にうまくも行き、彼の現実が回っている。

オレ、この格差というのは結局のところ心の問題だと思っているよ。アメリカとかだと心というより現状問題に思えるけど、この日本ではこれは心の問題じゃなかろうか。そんなことを言うと、本当の貧困層は怒ると思うし、あまり頻繁には言わないが、オレはそう思っているよ。

たぶん、自分は、基本、気分が現実を作っていると考えているせいではある。もちろん、気分が現実を作ると同時に、現実が気分を作るわけで、両者は切り離せない。この人だって、経営トップとして采配ふるって、まわりから必要な人と思われ、食べて飲んで笑って裕福な生活を送る現実があるから、こういう血色のいい気分になるわけだ。で、その逆の貧困層の怒りやらひがみやらも同じようにその彼らの現実から出てくる気分なわけだ。

だから気分と現実は切り離せないものの、オレの考えでは、時代によって、そして国によって、どちらが支配的になるか、どちらを先に考えるべきか、というのは確実にあるし、それはすごく長いスパンでくるっと変わったりもすると思う。自分は、20世紀は現実が、21世紀は気分が支配的、と思っている。特にいまの日本は気分が大きい気がする。

今回のコロナで、全員マスクの国境鎖国みたいな風潮を見ると、オレはその日本を覆っている気分を感じるんであって、マスクや鎖国がはたして感染症防止にいいか悪いか、なんていう問題は知らん。この問題は科学的にも、良いと悪いが半々出そろうようなタイプの問題で、ということはすでに科学の扱う問題の域を超えてしまっている。なので、科学系の論争は続けるのはいいけど、そもそも自分は興味がない。

それより、このまえ帰国して、上述、気分と現実における、日本人の気分の問題が可視化されているように感じて、マスクに反発したんだよ。あまり理解してくれなかったけどね。

日本は特にみなの気分で現実が動くスピリチュアル系の国なんで(たぶん孤島が長いから)、現実をあれこれ場当たりにいじるんじゃなくて、みなの気分を大切にした方がいいと思う。特に21世紀に入ってそれが支配的な気がする。

じゃ、どうするか、っていうと、めいめいが行動して気分を上げるんですね。月並みな結論だけど、そういうことになる。「現実」はトップダウンで政治で変えられるでしょう? でも「気分」はトップダウンでは決して動きません。だからボトムアップしか方法が無い。だからめいめいの問題なの。

トップダウンの「政治」に対応するのは、ボトムアップでは「芸術」です。だから芸術を大切にするべき。そういうの、今のトップは冒頭の座談会を見る限りほとんど理解してない。そのせいで今のトップには教養が不足してるって言うわけだ。でも、その状態はかなりしばらく続くだろうから、あとはめいめいが何とかするんですね。

あと最後にいいたいのは、この血色のいいおっさんの言うこと、真に受けないこと。これは彼の気分が言ってるだけ。

あともう一つ、このおっさん発言を受けた2chまとめサイトとかで、今度は逆陣営の不幸層がこの発言を味噌糞に言ってるけど、それも、真に受けないこと。それもやつらのうじゃうじゃな気分が言ってるだけ。

なので、あなたはどうするんですか、に尽きると思うよ。

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