初音ミクと実存主義・構造主義・ポストモダン

仕事がらときどき初音ミクで作った音楽を聞くことがあるが、あれはオレには全部同じに聞こえる。オタクのソングには何だか特徴があるね。ちょっと長めのメロディアスな歌い上げっぽいカデンツと、せわしいリズムに乗った単調なメロディーを、交互に繰り出し、声も楽器の音も高音ばかりで、中音というものがなくて、低音もほとんどないのだが、代わりにケツを蹴るような打撃音がカデンツ以外のところにコンスタントに入ってる。

オタクのソングは、あれは、もう、一種の、オタクのBLUESだね。「辛い宿命からの逃避」、というモチベーションがその昔の黒人ブルースとほぼ構造が同じだ。オレはブルースを演奏するが、オタクのソングは忌み嫌っている。なぜならモチベーションの構造は同じだが中身が違うから。でも、しかし、中身、って何だ?  中身、中身、人間の中身ってホントなんなんだろう?

さて、それでは、このオタクソングと黒人ブルースの間の関係を、実存主義のサルトルと構造主義のレヴィストロースになぞらえてみよう。

まず、黒人ブルースは開いた音楽であり、それゆえ世界のポピュラー音楽の基礎となった、という事実を盾にして、狭いコミュニティでしか通用していない閉じたオタク音楽の卑小さを糾弾したのが、サルトル。それに対して、そういうオタク攻撃のしかた自体が、既成社会の価値観に囚われた社会の発展という偏見に基づくものであり、まるで演歌の心以外認めない偏狭ジジイのように進歩が無い、と論難し、勝ったのがレヴィストロースなので、アル。しかしながら、黒人ブルースもオタク音楽も構造が一緒だということで等しく偏見なく認めてしまったら、一体、何がよい音楽だか分からなくなったため、やっぱこりゃイカンと反省して生まれたのがポストモダン、っていうわけで、アル。

もっとも、きっと、ポストモダン的に言ったら、オタク音楽に対してはこうなるかもな。

「きみたち、いいんだよ、それでいいんだ、なすがままにやりたいようになさい、それがゲンダイというものなのだから」ゲンダイとは「現代」ではないことに注意。すべてはキゴウカされ、だからといってムナシクもならない、タノしくカツドウして、すべてはユルサレルのである、アーメン、アーメン、、、

初音ミクと実存主義・構造主義・ポストモダン” に1件のフィードバックがあります

  1. 40m Rafael Correa libel victory

    mobile communications tower Great tip. Many thanks a lot. I only have a single question though. Many of the above works for me but an individual thing I cannot upload my videos using iweb. After i select a video to upload the iweb function is dimmed. I am using iweb 06. Any suggestions?

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