ふと思い出したことを書いておくか
およそ30年前、自分はNHKに就職した。その最初のころ、同期の集まりのようなことがあり、会場を借り切り、皆で酒を飲み、あれこれとイベントがあり、そこで最後にビンゴをやることになった。当時の自分はビンゴを忌み嫌っており(なんでだろう?)、みながワイワイとやってるビンゴを横目に、紙に触れもせず酒を飲んでいた。それを見咎めた同期の一人がいて、林おまえなんでやらないの、というんで、下らないからやらん、と言ったら笑って、なんだよ、おまえ、郷に入れば郷に従うっていうじゃん、と言った。
それを言った彼を、実際俺が好くはずもないが、でも、部署は違っていたし、ほとんど交流も無かった。彼はその後、NHKの出世コースに近いポジションを転々とし、けっこうな働きをし、同時に、二児だか三児だかの父として家庭を持ち、少なくとも年賀状で確認する限り、頭のよさそうな子供たちもすくすくと育ち、子供たちも問題ない人生を送れそうな感じで送り出したようだ。
一言で言って、申し分のない人生。
一方、俺の方は、NHKを辞め、事業を始めるが失敗し、一時失業し、スウェーデンに拾ってもらいここにいる。そして、バツイチで、子供もなく、正直、まっとうな人生を送っていると言い難い。もちろん、下も上も見ればきりがないわけだが、幸いにも自分は幸福な子供時代を送ったのだけど、そんな自分の生まれを思うと、自分はそれに見合うだけのことをしているか、はなはだ疑問である。
先に書いた俺の同期の一人は、すでに30年も前に自身の生きる道を分かっていたのだ。だからこそ、彼は仕事でも家庭でも、その道を外すことが無かった。それに対して、恐ろしいことに、俺の30年前は、将来の自分のあるべき姿についてのイメージはゼロ、それも正真正銘のゼロであって、自分の身にこれから何が起こるかなど、分かりもしなかった。というか、人生のコースという概念そのものが無かった。
で、なんでこんなこと言ってるかというと、俺と同じように、40過ぎても、50過ぎても、どうにも人生をうまいこと送れていない人に言いたい。
ノープロブレム
と。俺たちは、かけがえのない、自分だけの人生を送っているのだ。それはもう、この広大な宇宙でたった一回、自分にしか起こらない事なのだ。それは、俺たちの社会で査定される地位とかには金輪際、関係がない。だから、どんな人生だからって、悩むことも負い目を感じることもない。孔子さまは四十にして惑わず とか言っているが、そんなのは放っておいていい。
と、自分に言い聞かせてるんだけどね(笑
(Facebookで自己最多いいねがついた文なので転送しておくが、自分的にはなぜそんなにいいのかよく分からない)