猫とドクター

今朝思ったことを、書いとくか。

今日はちょっと遠回りして久々に海沿いの道を行って、海を見てしばし佇んだ。ああ、スウェーデンのこんなところに、なんで俺はいるんだろう、とか思ってね。

思い起こしてみれば、およそ20年前に自分が飼っていた猫が死んでね。10歳だった。もうだめだと思う、と連絡を受けて、仕事をぜんぶほっぽり出して、家に着いて、一時間ぐらいだったかな。これは、どうしようもなく悲しい思い出で、20年たった今でもきちんと書く気にならない。しかし、思い出したのはその悲しい方じゃない。

俺はそのとき、およそ一か月は泣いて過ごしたが、そんな時がようやく去って、なにを考えたかというと、もう、自分がいま無理して送っている日本での生活には何の未練もない。だから、俺は今の仕事を辞めて日本を出て東南アジアあたりで暮らしたい。ただ、自分の性格からいって、いきなり放浪したり、地位も何もかも捨ててブルーカラーになったりするのは絶対無理だ。だから、何かしら今と同じ知的労働に就けるようになっておく必要がある。

それで、どうしたかというと、ドクターを取ることにしたのである。それまで研究所にいて、林もドクターを取った方がいいと言われ続けてたけど、知的労働に嫌気のさしていた自分は、学位なんか下らない、と相手にもしなかった。

でも、実際、自分が外国に出て、ストレスで潰れないように生きてゆくには、今の俺にはドクターの資格を取るしか方法がない、と思い至ったのである。まったくに、捻じれたモチベーションなのだが、そういうわけで、社会人博士にアプライしたのが、猫が死んで半年ぐらいだったか。

そして、そのドクターのおかげで、スウェーデンに職を見つけてここにいる。20年前に猫が死んで自分が取った行動は、こういう形で、少しずれてはいるけど思う通りにはなったんだな、とバルト海を見ながら思った。

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