ノグチ君のこと

ふとしたことで思い出した、自分が小学生だったときのこと。たしかあれは小学5年の時だったと思う。当時は、生徒が学校外のふだんの生活で従わないといけない事項というのが、いくつも定められていた。盛り場を出歩かない、とか不純異性交遊をしない、とかは、たしか既に校則に含まれていたが、それだけでなく、実にたくさんの禁止事項が事細かに決められていた。
 
で、これはそのとき僕が通っていた学校に特有の規則だったのだが、「指定区域」というのがあった(正確な名前を忘れた)。学校を中心として東西南北に何々駅のここまで、という風に細かく区域が指定されていて、その区域を示す地図まで作られていて、学生は親同伴で無い限りその区域を出てはいけない、という規則だった。
 
この規則は当時も、実態に合わないのではないか、などと賛否が多かったようだった。そして、あるとき、夏休みを前にして、とうとうこの規則を緩和または撤廃するという動議が持ち上がり、先生とPTAそして生徒代表が集まって討論会が開かれることになった。
 
僕がなぜその討論会の場にいたのか不明なのだが、僕はその討論会に出席し、そこで一つだけ今でも覚えていることがあったのだ。かなり厳粛な雰囲気で会が進み、空気がピリピリとしていて、とても自由闊達な討論とは呼べない感じで、子供ながらに何となくその厳しい感じに圧倒されておとなしくしていた。そして会は進み、学生代表が意見を言う順番になった。
 
その時に登壇した小学5年の子だが、たしか名前をノグチ君といったはずだ。ノグチ君は普段はとても活発な、くだけた感じの、利発な子だったが、なんとなくしゃべるときぐにゃっとしたなよっとした感じでしゃべる癖があったことを、覚えている。檀上のノグチ君は、あらかじめ考えてあった内容を話しはじめた。区域外というのは現実に合わないし、他校にないものだし、僕たちの自由を奪うものだし云々ということを訴えたはずだが内容は覚えていない。
 
で、そのスピーチが終盤になったとき、ノグチ君は感極まってその場で泣き出してしまったのだった。どんなに泣くのを止めようとしても、どうしてもしゃくり上げてしまって言葉にならない。檀上で泣いたまま立ち往生してしまったのである。
 
僕は、そのノグチ君が泣き出したことだけ、鮮明に覚えているのである。自分も小さい子供ながら、なぜあのときノグチ君が泣き出してしまったか、痛いほどよく分かったのである。不思議なことに「なぜ彼は泣いているのか」という質問が仮りに発せられたとしても、それにはまったく回答できない、ということだった。もちろん、いま現在ならその理由につき言葉を使っていくらでもしゃべれるだろう。しかし、その時の子供の自分には「理由」は皆目分からなかったが、なぜ泣き出してしまったか、その「心」は完全に分かっていた。檀上で泣き出して立ち往生するノグチ君を見ながら確実に百パーセントそういう気持ちを抱いたことを、いま現在「思い出せる」のである。
 
今朝、このエピソードを思い出して、なんだか不思議な気持ちになったから、これを書いているのだが、何かを「分かる」ということはどういうことだろうな、と思ってね。その時の僕は確実にノグチ君に共感していたから分かったのだ。彼が登壇してしゃべっている内容は、頭脳を使ってそこそこに追ってはいただろうけど、何というか、その時の彼の心の動きを、自分の中で正確に追っていたのだと思う。そのせいで、彼が泣き出したとき、それが心で分かったのだと思う。
 
こういうのが、僕のふだん言うところの「文学」なのだ。科学でも哲学でもない、文学。いま、自分は、みずからを、結局は文学的な人間だなあ、と思うことが多々あるのだけど、それはそんな小さいころの経験の積み重ねがあったからかもしれないな、と思ったり、あるいは、自分が文学的な性向なせいで、自身の子供のころの思い出を文学的に脚色して思い出すのかもしれないし、どちらだか分からないが、どっちにしても今の自分が文学野郎なのは間違いなさそうだ。
 
それにしても当時の小学校の規則のがんじがらめ感はひどいものだったが、こんな討論会を催して子供にも意見を言わせるなんて、その昔の日本もなかなか民主的だったじゃないか。少し感心する。

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