過去、現在、未来

現在というのは、完成された過去と比べると常に未完成な未熟なものなので、現在がイヤになることは自然なことだ。でも、その嫌悪感や倦厭感は、未来へ至ろうとする意思や希望の力とバランスを取るべきものだ。しかし、バランスは至るところで容易に崩れる。倦厭側にも、そして、希望の側にも。ある人は、未熟な現在を逃れて平穏な過去の中に身を浸していたいと願い、ある人は、貧しい現在に蓋をし、過去は忘れ去り、追い立てられるようにひたすら未来の実現を願う。本当の人生は、そのバランスの中にこそあるはずなのに。

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