星座

小学生のころ星座に夢中になっていたことがあって、特に星座を描いた昔のドローイングが多く載っている図鑑が好きで、朝から晩まで見ていたことがあった。

さっき、ふとしたことで星座を調べたら、その小学校のときにまさに自分が見ていた絵図を見つけた。オリオン座とおうし座の絵だった。ただ、これしか見つからなかった。ネットには他の絵もあったけれど、画風が違っていて、当時の僕は、このシリーズじゃないとだめだったのだ。

星座といえば、一等星を持つ星座と、その一等星の名前は、すべて覚えていたが、特に、二つの一等星を持つ星座は、別格な僕のアイドルだった。日本の冬の夜空によく見えるオリオン座は、ベテルギウスとリゲルという二つの一等星がある大好きな星座の一つだった。

僕の見ていたのが日本の図鑑だったからか、南半球でしか見えない星座はあまり載っておらず、その、地平線の下に隠れている星座が、一種、あこがれの的だった。特に、一等星を二つ持つケンタウルス座と南十字星への想いは強くて、夢にまで見るほどあこがれていたっけ。

ケンタウルス座の二つの明るい星は、アルファ・ケンタウリとベータ・ケンタウリという名前だったが、そのネーミングが自分には安易に聞こえて好きじゃなかった。ある日、なぜだか別の図鑑を手に入れたら、そのケンタウルス座が載っていて、そこでは、星の名前が、リギルとアゲナという名前だと知って、とても感動した覚えがある。

いまになってみると、子供の自分がなぜ、星座と、その星座のドローイングと、恒星のギリシャ語っぽい名前に、それほど惹かれていたのか、あまり分からない。夢中になるのには、特段の理由はないのだろう。何かがどこかで引き合っているんだろう。

しかし、不思議なことに、自分には、その過去に感じたその夢中になっていた気持ちを、一瞬、それも0.5秒ぐらいそのままの形で思い出すことができる瞬間がたまにおとずれる。これは、一種の神秘体験で、この感じがたとえば10秒以上続いたら、自分は気が狂ってしまうのではないか、と思わせるほどに、強烈な安堵感的な快感を伴っている。さっきも、その瞬間が一回だけやってきた。

ところで、僕は30歳のときに、初めての海外旅行でスペインのマドリッドへ行ったのだけど、そこで、最終日に電車の中で鞄の中身をすられて、パスポートも財布も航空券もなにもかも盗まれ、滞在を3日伸ばしてようやく帰ってきた、ということがあった。

大変な思いをして、ようやく帰途についた、その飛行機の中でのことである。僕は窓際に座っていた。時間は夜で、飛行機の窓の外にはたくさんの星が輝いていた。そこに、地平線にだいぶ近いところに、いまでもはっきりと思い出せるのだが、くっきりと十字型に光る小さな星の一群があった。

それはなんと、小さいころ夢にまで見た、南十字星だった。

星座」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    ”過去に感じたその夢中になっていた気持ちを、一瞬、それも0.5秒ぐらいそのままの形で思い出すことができる瞬間がたまにおとずれる”  
     この感じ分かります。苦しいぐらい素敵な時間。

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  2. 林正樹

    経験で分かってくれる人がいて嬉しいです。これ、言葉で説明するのがほとんど不可能ですものね。

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