まずい中華料理屋と男

これは自分が大阪に住んでいた三十数年前のことである。当時から中華料理の調理を趣味にしていた自分は、大阪界隈でもいろんな中華屋へ行ったが、そのうちのひとつのお店の話である。その店は、たぶん、自分がこれまで食べた中華料理の中でダントツにまずかったので、よく覚えているのである。さらに、まずいだけでなく、とても珍しいものを見たせいで、余計に覚えている。

おいしいと褒めるのだったら実名でもいいが、まずい、となると実名では営業妨害になるので、ここでは仮にNK飯店としておこう。名前ははっきり覚えている。それ以来、この店の自分の中での知名度は高く、NK飯店をまずい中華の代名詞としてしばらくは使っていた覚えがある。たとえばなんかまずいものを食った時「NK飯店ほどじゃないけどな」とか言ってみたり。

とても印象深いお店なので、もちろん、その後、ネットで大阪のNK飯店を何度も探してみた。平凡な名前なので何軒も出てくるのだが、いろいろ調べても、どうもすべて違うような気がするのである。僕の体験と一致しない。30年以上前の話なので、店が無くなってしまった、とするのが順当であろう。見つかったらぜひ再訪したいと思っているのだが。

そのNK飯店は、大阪市内ではあるけど、繁華街の中ではなく、なんだかむやみに広い国道みたいなところに面していた。周りにはあまり店はなく、そのNK飯店だけがそびえたっている風景を覚えている。というのは、すごく大きな店だったのだ。NK飯店とでかでかとした文字の入った、とても幅広の入り口を入ると、その一階部分は、ほぼすべて活魚を入れた生け簀で埋まっていた。すなわち海鮮系の店で、生け簀は大きなのから小さなのまで五つも六つもあったと思う。

珍しいものを見た、というのはここでのことで、いくらか問題発言かもしれないが、書いておこう。この生け簀だけの一階の右側はガラス張りの大きな部屋になっていて、そこには横長の長くて大きい俎板があり、その俎板のところに調理人の男が立っていた。調理人が活魚をさばくところがガラス越しに客に見えるようになっているのである。で、その彼を見て吃驚したのだが、自分は、いまだかつて、あんなに殺伐とした顔の人間を見たことがなく、なんと言うか、まるで水木しげるの妖怪話に描かれていそうな、独特に荒涼とした醜さがあって、あまりのことに思わず目が釘付けになった。

実は、この男をもう一回見たかったので、店を出るときもそれを覚えていてガラスばりの部屋の向こうを見たが、そのときは、もっとぜんぜん普通の人に替わっていた。

あの男は、この調理場で、二階の調理場の命令に応じて生け簀の魚介をすくって、それを調理場の巨大な俎板の上にあけ、これを生きたまま、絞めて殺して、ぶつ切りにして、皮を剥いて、さばいて、アルマイトのトレイに乗せてリフトに入れてボタンを押す仕事を来る日も来る日も繰り返していたのだと思う。ある種の人は、そんな仕事を繰り返すうちに、あんな風に殺伐とした外観になるのだろうか。思えば、類似の男性はごくたまに、マイナーな葬儀社の下働きの長いおじさんに見ることがある。

こんなことを書くと、今の世の中だと、職業差別と言われてしまいそうだが、でも、そういう厄介を抜きで見ると、まずその強烈なユニークさに驚く。中流以上の、特に富裕層の人々というのは、たいていどいつもこいつも同じような恰好と顔をしているのが普通で、そのバリエーションの乏しさに比べると、こちらは圧倒的な個性がある。そういう特殊な人を見ると、自分はなぜだかいつも言いようもなく、驚く。かつて、自分は返還前の香港へ何度も行って、そういうアジアのオヤジが集まる、ことさら汚い場所へよく出向いたが、それはそういうものに魅せられて惹かれて、その世界にどっぷりと浸かりに行っていたのである。なぜ、そういうものにそんなに強烈な感動があるのか、自分にはいまだによく分からない。

お店の話に戻るが、その一階の生け簀を抜けると、幅の広い階段があり、それを登って二階に行くと、かなり巨大なスペースにたくさんのテーブルが並んでいる。記憶では、そこはほぼ正方形で、差し渡し20メートルぐらいあってとても広く、その一辺はすべてカウンターになっていて、その向こうがそのまま広い厨房になっていた。すなわち巨大なオープンキッチンで、中ではたくさんの料理人が仕事をしていた。給仕はそのカウンター越しに料理を受け取って、客に運ぶのである。

初めて来る場所だと、だいたい僕は注文を間違えることが多い。ことさらに珍しいメニューを頼んでしまうことが多く、そういう料理は滅多に注文が来ない料理なので、だいたいこなれておらず、おいしくないものなのである。もちろん、高級店ではこの限りではないが、怪しげな店ほどその傾向が強い。その時も、僕はわりとマイナーな料理をたのんだ。料理が何皿も運ばれてきたが、どれも本当にまずかった。

特に今でも覚えているのが、鶏肉と野菜の醤油味のあんかけのようなものだったが、食べると、なんだかどろっとしたタレが泡立っていて、まるであんかけのあんに醤油と共に三ツ矢サイダーでも入れたんじゃないか、ってほど、泡立って、甘くて、なんだか洗剤みたいな味もして、激しくまずかった。他の料理もとにかくまずい。たしか焼き餃子だけはまあ、まともで、もっぱらそれを食べてビールかなんか飲んで、料理の多くは残してしまったと思う。

生け簀まであって、巨大な厨房に何十人も働く、巨大中国料理店が、なんであそこまでまずい料理を出すのか、まったく意味が分からなかった。そのまずさがあまりに印象的だったんで、後日、大阪の職場の同僚に、NK飯店がすごくまずかったんだけど、と言うと、それに賛同する人はおらず、ええ? NK飯店ゆうたら老舗やで、うまいはずやがなあ、とか言っている。どこで食ったの?と聞くので、何とかっていうとこの大通りに面した変なところにあって、と答えると、そんなのあったかなあ。そこ、僕の知ってるNK飯店と違うみたいやな、みたいに言うのである。

それで、今調べても、たしかに大阪で操業50年のNK飯店というのは出てくるが、僕の行ったのと違うみたいなのである。それっきり、行ってないし、それがどこにあったかも忘れてしまったので、再訪しようもない。そう考えると、ひょっとして、あの大通りに面した巨大店舗はなんかの幻だったんじゃなかろうか、と思ったりする。それにあの、一階の生け簀のところで僕が釘付けになったあの恐ろしく殺伐とした醜い男なんか、ほとんど妖怪のようだったし。

旨い店というのはだいたい食い物は覚えてはいるが、その店舗のことはあまり印象に残らなかったりして忘れてしまうものだが、かくのごとく、まずい店というのは末永く覚えているものなのである。

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