川ちゃん

その日は、スウェーデンから日本に着いた翌日。夕方の6時に、二子玉川の再開発エリアに最近できた高級ホテルの30階へ出かけた。高層階の大きな窓から都会の夜景が見える豪華な場所である。翌日から、スウェーデンと日本の共同シンポジウムがあり、その事前顔合わせとして、スウェーデンの大学から来た8人ぐらいの先生たちが集まったのである。

仕切っているのは、著名な研究者であり、かつ、国際協力部門の長でもある年配の教授で、ダンディーで男前な初老の人である。彼は、Tシャツ姿で現れたが、カジュアルウェアでも気品がある。リラックスした感じで、流暢な英語で、皆に向かって明日からのことについて話をし始めたが、やはりヨーロッパの上流な人の振る舞いと、身のこなしというのは、たいしたものだ。まさに世界の一握りのエリートの一人であり、その周りの人々もそうなのであり、醸し出す空気にやはりどうしても少し気後れする。

ミーティングが終わって、このあと、地上に降りて、みなで二子玉川の街のどこかでディナーということだったが、僕は、自分のノートPCがたまたま帰国早々壊れたことを口実にディナーを辞退した。PCが壊れたのは本当だったが、スウェーデンのエリート集団とディナーを囲むのは気づまりで、行きたくなかった、というのも本音だ。エレベータを降りて、かの教授が僕に、Good luck for your PCと笑顔で気遣ってくれて、彼らは駅の方向へ、僕はその逆側に向かった。

一人になった。僕は、再開発エリアの、高層ビルと、コンクリートと、街路樹しかない、がらんとした暗い夜道を歩いて、家へ向かった。家は、二子玉川と、その次のローカル駅の上野毛のちょうど間にある。

家のそばまで来たが、家へは帰らず、そのまま上野毛の駅へ向かった。どこかで夕飯を食ってビールの一杯も飲みたかったのだ。家から上野毛への道も暗い。あそこには、ところどころ森のような一角があり、そこでは道がうっそうとした木々に覆われていて、やけに静かで暗いところを経て駅へ行くのである。

駅についた。どこへ行こうか。チェーン店には行きたくなかったので、しばらく考えて、そういえば駅から少しのところの狭い路地に昔ながらの居酒屋があったのを思い出した。だいぶ昔、一度だけ入ったことがあるが、ただの町の居酒屋でなんの特徴もなく、それ以来、行っていない。店の名前は「川ちゃん」という。路地を挟んだ向かいには、カジュアルフレンチのなかなか良い店があり、僕が行ったときは貸し切りだったようで、若い男女が店の前で騒いで写真を撮ったりして賑やかだった。

川ちゃんは、昔行ったときとまったく変わらないそのままのルックスで立っていた。

引き戸を開けて中へ入ると、客はほとんどおらず、がらがらで、棚の上のテレビが大きい音をたててかかっていた。カウンターには、すごくガタイのでかい40過ぎぐらいのおっちゃんが座り、一番奥のテーブルに、店のおばさんと、婆さんが向かい合って座っていて、その三人ともがテレビを見ていた。おばさんが席を立って「いらっしゃいませ」と言って、「どうぞ」と僕をうながした。

店内にほかに誰もいないので、僕もテレビが見えるもう一つのテーブル席を占有して腰かけて、生ビールを注文した。

しばらくビールを飲みながらメニューを見ていたが、コテコテの居酒屋食で、なかなか面白い。枝豆と串カツとオムレツを頼んだ。おばちゃんがカウンターの中の厨房に入って料理を作り始めた。カウンターのおっちゃんと、テーブルの婆さんは、やはりずっとテレビを見て、それで時々、番組について無駄話や論評をしている。

どこぞの外国人の犯人が逃げたけど結局つかまったみたいなニュースをしていて、そしたら、「なによ、あれ、あんなとこ行っちゃってるわよ」「逃げたってしょうがないのにな」「そうよねえ」「日本の警察の機動力をなめちゃいけねえな」「つかまっちゃったのね」、みたいな、まったく毒にも薬も何にもならない、おそろしく平凡な会話を交わしながら、二人ともずーっとテレビを見ている。

たぶん、これは、ほとんど毎日のように繰り返される、一種の家庭のだんらんなのだろうな、と思って聞いていた。おっちゃんも婆さんも、どちらも、どう見ても態度が長年の常連なので、こうやってお店でみなでテレビを見て食ったり飲んだりするのが習慣なのだろう。もっともそう思いながらも、もちろん僕だってほかにすることがないんで一緒にテレビを見ている。

料理が出てきた。串カツは、豚と玉ねぎを交互に串に刺してフライにした純東京風にポテトサラダと千切りキャベツにパセリが付け合わせで、オムレツは卵焼きにケチャップがかかってそれがサラダ菜の上に乗った、どちらも古い家庭料理で、なかなかに感動的だった。まさに昭和の家庭の味で、とても懐かしかった。

かなりしばらくしたら、おっちゃんが「おばちゃん、カツどんちょうだい」と言った。この人、作業着っぽい服を着たホントに大きな人で、肥満というよりプロレスラーみたいな図体で、カウンターの小さな丸椅子に尻をはみ出させて座っていて、どっしりと重量級なのである。そしたら、婆さんが「あら、まだ食べるの」と言った。おばちゃんが「みそ汁つけとく? どうする?」って聞くとおっちゃんが「ま、付けといてくれや、定食と同じでいいよ」と答える。婆さんが「そんなに食べるから、あんたそんなに大きくなったのね」と口を挟んだら、おばちゃん「大きいから、食べるのよねえ」と言う。おじさんは、なんとなく「うん」とか言って取り合わず、相変わらずテレビを見ている。

結局、僕もテレビを見ながら生ビールを三杯も飲んで長居してしまった。おっちゃんはカツどん食ってとっくに帰った。その間、客は一人も来なかった。さて、オレも帰るか、と席を立って、入り口近くのレジへ向かった。それで気づいたが、知らない間に婆さんもいなくなっていて、客は僕一人だった。

レジの横に立った。三千いくらかだったので、千円札を4枚出した。おばちゃん、レジに向かって、なんだかごそごそやっている。僕は、それを見て、なぜか反射的に、ああ、なんかクーポン券でも出すのかな、と思ったのだけど、なんのことはない、小銭を数えているだけだった。釣りを受け取って、引き戸を開けて、外へ出た。向かいのフレンチのパーティーはまだ終わっておらず、やはり若者が店の外でにぎやかに騒いでいた。

僕はそのまま狭い路地を左に折れ、環八の車がびゅんびゅん通る大通りを右に折れて、家に向かって歩き始めた。

自分でもまったく意味不明なのだが、しばらく歩いていると泣けてきてしまって、どうにもならなくなった。自分がああいう、コテコテの大衆な場所に弱く、感傷的になりやすいのは知ってはいるが、それにしてもそんなことぐらいでこんなに泣けるものだろうか。

大通りを逸れて、木々のうっそうと茂った、暗い夜道を歩きながら考えた。それで浮かんできたのは、海外のエリートと一緒にいた気づまりな高級ホテルの30階と、そこから、暗くて細いくねくねとした坂道を一人で歩いて、最後に、昭和のまま時間が止まったような居酒屋で、地元の人とテレビを見ていた、その、あまりに無関係でかけ離れた二か所を細い曲がりくねった道で結んだ図だった。

これは現実にあったことなのだけど、思い起こすとなんだか夢のような光景で、きっと、何かを暗示しているのだろうな、と思った。

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