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串揚げの技

奈良の穴場的な串揚げ屋さんへ連れて行ってもらった。創業37年の超老舗である。ここはメニューは串揚げのおまかせコースしかなく、カウンターの向こうで、次々と揚げている様子を見ることができる。
 
カウンターの中はたくさん従業員がいて、忙しく動いているが、ここで、創業からいるという、ほぼ引退しているけれどお店に出ているみたいな、もうおじいさんなシェフと、もう一人、たぶん30歳ぐらいのメインシェフの二人を見る機会があった。
 
それぞれの具材は串に刺した状態で、奥の調理場で用意され、カウンター内では、シェフが、これに、どろっとした小麦粉の衣をつけて、その横のパン粉をまぶして、それを揚げ油の中に入れ、揚げる。僕はしばらくずっとこの様子を見ていた。最初は、たぶん、80近い老シェフが衣を付けて揚げる作業をして、その後、若いメインシェフが同じ作業をし始めた。
 
この二人のやり方は、基本的にはまったく同じなのだが、自分的にはけっこう違って見えていて、すごくおもしろかった。
 
乱暴に言うと、老シェフは雑で、若いシェフは丁寧だった。で、その老シェフだが、何を雑と言っているかというと、衣とパン粉の付け方が一定しないのである。一本一本違うし、同じ具材なのに違う付け方をしたりする。一方、若シェフは、機械がやるように正確にコンスタントに仕事をしていた。お客さんが多いので、揚げたものを食べ比べているわけでもなく、その出来上がりについては分からないが、老シェフの料理は、適度にブレていて、幅があり、ゆらぎがあるのだけど、若シェフの料理は、いつも完成度が一定で安定していた。
 
これ、実は、いろんなところで見られる現象なんだよね。かつて僕は、芸子さんの踊りを見る機会があったのだけど、その時も、同じものを見た。年季の入った芸子さんには動きにブレがあり、若い舞子さんは動きは完璧だけどCGみたいだった。
   
ところで、出来上がった串揚げを食べる僕らとしては、いつもいつも同じものが出てくるのがいいのか、はてまた、毎回いくらか違った出来具合のものが出てくるのがいいのか、と考えると、ひょっとすると毎回違う方が、人間的でいいんじゃないだろうか。一方、もし、店や料理に特に愛着の無い一見の客によく思われたいのなら、毎回安定している方がうまく行くだろう。もし、そういう客にブレのある料理を出すと、たまたま外れた日なら2回目は無いだろうし、たまたま当たったとしても、2回目で外れたとき裏切られた感のせいで幻滅して二度と行かなくなる可能性が高くなる。
 
もちろん、この串揚げ屋の老シェフは、非常に高いレベルでブレているだけなので、上述の理屈は当てはまらないのだが、ただ、行くたびに何かが変わっている、というのは、たとえ客がそれに気が付かなくても、とても重要なことなんじゃないかな、と思ってね。
 
それに、完全に安定した完成度を常に出したいなら、最後は機械にやらせた方が確実ってことになる。昨今の流行りで行けば、老シェフの技をディープ・ラーニングに学習させ、それを使ってマシンを動かして串を揚げればいい。
 
伝統の熟練の技というのは、そういうものなのかな。機械で代替できないような動き方をする。一種の本能みたいなものかな。有機的で、技そのものがまるで生きているように命を持っている。こういうものに比べれば、機械なんてのは、まだまだ幼稚なもんだ。