月別アーカイブ: 2018年2月

神社と婆さん

むかし、まだ二十代のころに住んでいた家の近くに小さな神社があった。

貧乏神社で、手入れもそこそこでそれなりに荒れていたが、神社の体裁はちゃんと残っていた。ただ、建物からなにから、何もかもが古かった。神社はちょっとした高台にあり、周りは坂道だらけで道は入り組んでいて、都会では珍しいほど樹木が生え放題に生えていた。境内は、背の高い木々の葉にほぼ完全に覆われていて、晴れた日でも木漏れ日が射すていどで、なんとなく薄暗い感じで、地べたは赤土が剥き出しで、粗末な踏み石が無様に並んで道を付けていた。昭和初期の神社がそのまま放置されたみたいな趣だった。

さて、ある晴れた日の昼過ぎのことである。何かの用事の後に少し回り道をしたせいで、いつもは通らないこの神社の境内を通って家へ帰ったことがあった。高台にある境内へは石段を登って行く。登りきって、土ばかりの小さな境内に出て、ふと見ると、一人の婆さんが社殿に向かってよちよちと歩いて行くのが見えた。かなりの年齢の婆さんらしくずいぶん小さく、どてらみたいなものを着て、むくんで丸々としたコケシみたいな形のまま、体を左右に揺すりながら、ゆっくりと社殿に向かって移動している。

僕は、なぜだか、その場で足が止まってしまい、婆さんのその動きをそのまま見ていた。婆さんはしばらくしてようやく賽銭箱の前に辿り着くと、そこで立ち止まり、コケシが真ん中でかくっと折れたような動きをして、手を合わせてお祈りを始めた。

そのとたんである。境内を覆い隠すような、うっそうとした葉をつけた背の高い木々が一斉に風でざわめき始めたのである。僕は反射的に上を見上げた。さっきまで風のないおだやかな空のもとで静止していた木々が、今は、揺れ、枝がしなり、葉の擦れ合うざわざわした音が境内に鳴り響いていた。少し驚いた僕は、再び目を下に移すと、粗末な朽ち果てたような社殿の前に相変わらずコケシが中で折れたようなあの婆さんの姿が見え、これは瞬間的な出来事だったのだが、その婆さんを中心として、神社の木という木がざわめいて、神社の空間全体が、この婆さんがまるで台風の目になったかのように、渦巻いているように見えたのである。

僕は、その場で唖然としてしまい、うす気味悪くなり、ふと正気に戻ると、これはやばいと思い、別の出口を目指して境内を足早に横切り、そこから脱出した。

神社を出てしまった後は、あたりは何事もなく、おだやかな日和の昼下がりの風景があった。

その後、事あるごとに、このときに見た光景を思い出し、あれは一体、自分は、何を見たんだろうと訝るようになった。今でもはっきり思い出せるほど尋常ではない光景であった。少なくとも、あの婆さんが、古い神社に宿る霊を一気に目覚まさせ、活性化させ、動かしたことは、疑いようがないと思ったし、今でも、そう思っている。やはり、霊というのは、はっきりと目にも見えることがあるんだな、と心の底から思う。

ロバート・ジョンソンとの出会い

そういや、自分が大学のときロバート・ジョンソンを初めて聞いたときのことを、まだ書いてなかった。
 
今からおよそ40年前、自分が大学一年生のとき、高校の同級生のコイケというやつとよく飲んだ。実は、このコイケは、なんと今でも年に数回は飲んでいるので、自分にはきわめて珍しい古い友人の一人である。腐れ縁中の腐れ縁なので、お互い、飲んでしゃべって、相手を全否定して、この馬鹿野郎が、とか本音をずけずけ言い合っても、一向に関係が終わらない。そういう意味では貴重な奴である。
 
それで、当時、彼は西大井の実家の近くの四畳半に下宿しており、大森の実家に住んでいた自分はわりと近く、自転車距離だったので、よくコイケの下宿へ出かけては、飲んだ。
 
大学一年で酒を覚えたての頃というのは、無茶なもんで、記憶では安酒をわりと浴びるように飲んでいた気がする。ビールは高くて買えないので、サントリーレッドのロック。加えて、やはり覚えたてのタバコをやたらと吸って、もう果てしなく言い合いに近い議論をして、しかも、若くてバカで元気なんで、そのまま酔っ払って往来に出てゴロゴロ転がってみたり、まあ、周りの人々にはさぞかし迷惑だったであろう。
 
ところで、コイケの実家は町の小さな本屋で、彼は本に恵まれており、いろんな本を彼から紹介され、僕も読んだ。そのころの自分は素直で、コイケから、これいいから読むか、と渡された本を、自分も読んで夢中になったり、彼からの影響はかなり大きかったと思う。たくさんの良質なものを紹介してくれた彼には、感謝している。そういや、ゴッホを紹介したのも彼だっけ。絵というより、ゴッホの手紙という本だったが。
 
ただ、コイケという人間は実はわりと穏当な人間で、僕のように、我を忘れて、なにがなんだかわからなくなるほど、何かに夢中になる、ということは無かったようだ。彼が夢中になった本を、僕に紹介して、僕も夢中になるのだが、僕の夢中度はコイケのそれを遥かに超えてしまうことが多かった。ゴッホなどは、いい例である。
 
コイケの話ばっかりになってしまった。問題のロバート・ジョンソンだが、これはコイケからの紹介ではない。
 
ある日、いつものように彼の下宿へ行くとき、その当時のバンド仲間のネモトというやつに借りた、ロバート・ジョンソンのKing of the Delta Blues Singers Vol.2の入ったカセットテープを持って行ったのである。ネモトについては、さらに長くなりそうなので、また別途書くが、当時の僕のギターのライバルだった。
 
僕とコイケは酒を仕入れて、古臭い木造の四畳半の畳の上に向かい合わせに座った。その真ん中に、昔の機械式カセットテレコを置いた。僕はそこにロバート・ジョンソンのテープを入れ、「これネモトから借りたんだけど、有名なブルースマンだって」とか言って、ガッチャと再生ボタンを押した。
 
チリチリチリというノイズのあと、イントロのギターが鳴り、そのあとロバート・ジョンソンのカン高い声が流れた
 
I got a kindhearted mama…
 
この光景をいまだに覚えているのだが、僕とコイケはそのまま無言になってしまい。レッドのロックはグラスに作ってはいたのだが、飲みもせず、なんだかその場で金縛りにあってしまったように動けなくなった。力が抜けてしまい、放心したみたいになってしまったのだ。
 
たぶん、こんな音を聞くのが二人ともまったくに初めてで、唖然としてしまったらしい。結局、僕ら二人は最初の曲が終わるまで、そのまま動かずにじっとしていた。1曲目が終わってコイケがぽつりと言ったのが
 
暗いな・・
 
だった。いまだにそのセリフの調子まで覚えている。そのセリフでコイケは正気に戻り、立ち上がって、つまみをがさがさと並べたり、おい飲もうぜ、とか促したり、もとにもどり、僕も気を取り直して、飲み始めた。
 
ロバート・ジョンソンはかかったままだっただろう、たぶん。でも、たぶんロクに聞いてなかったと思う。自分たちに親しい音楽とあまりにもかけ離れた音楽だったのは間違いなく、そうなってしまうと、もうどうやって聞いて判断していいか、皆目分からなくなるのだ。
 
それにしても「暗い」という感想は即座に出たわけで、僕もそれに賛成だった。自分がそのときなんとコメントしたか、忘れてしまった。たぶん、たいしたことを言ってないと思う。
 
しかしながら、その後、自分はなぜだかロバート・ジョンソンに夢中になってしまうのである(ちなみにコイケはスルーした)。あの1曲目のKindhearted woman bluesは特にお気に入りの曲で、生ギターでコピーして、歌ってみた。ぜんぜん下手だったが、それが出発だ。それ以来、この曲、自分は軽く1000回以上は歌っているだろう。
 
大学一年の僕は、ブルースはエリック・クラプトンのいるCREAMを通して知っていただけで、いわゆる白人ブルースだけだった。しかし、このロバート・ジョンソンの響きを覚えてから、Muddy WatersやElmore Jamesなど、特にシカゴブルースが分かるようになり、一気に黒人ブルース一色になってしまった。
 
コイケ言うところの「暗い」というのが、心に染みわたるように分かるようになった。そうなると、たとえば、レッド・ツェッペリンなどにもその響きが聞こえるようになった。そうそう、ハイドパークのローリング・ストーンズなんかも、そう聞こえたっけ。
 
もっとも、この「暗い」というモノの正体は、いまだにきちんと考えたこともなく、いまだになんだか分からない。でも、40年経った今でも、その感じは自分の中で再現する。
 
でもね、いま僕がロバート・ジョンソンを聞くと、もっとずっとなにか、変なモノに聞こえる。たとえばMuddyやElmoreみたいに分かりやすくないし、それは、Charlie PattonやSon Houseを持ってきても、そうで、ロバートは見定めがたい何かを持って見えている。
 
そういう意味で、彼は40年経った今でも僕にとっては謎の人で、いまだに追求をしているというわけだ。