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定食屋のおっちゃん

今日、二子玉川の界隈で夕飯を食べようと思ったのだけど、なかなか適当な店がなく、けっこうしばらくさまよった。昨日飲み過ぎて、もうビールとかアルコールは見たくもなかったので、夕飯だけ食おうと思って歩いたのだ。それにしても改めて、飲まずに食うだけのところというのが無い。飲み屋ばかりである。しかし、これは意外だった。ふだん、夕飯を食いに入るときは基本、ビール付きなので今までこの事態に気づかなかった。酒を飲まない人というのは、実は一人で飯食うの大変だったんだ。
 
というわけで、飲み屋ばかりが並ぶ飲食街の外れまでずっと歩いて行ったら、ようやく古臭い飯屋を見つけた。「つばめ」というのれんがかかっていたけど、こんな店、二子玉川界隈に長年住みながら、今の今まで気が付かなかった。こんな店あったっけ? みたいな感じである。店の前の地面に置かれた古びた黒板に、かすれた白いチョークで定食メニューがぎっしりと書かれていた。ま、ここでいいか、と店に入った。
 
入口に「不況に負けず、営業中」と書いた札がかかっていた。
 
ガラっと、入ると、店内はガラガラで、若者が一人で黙々と飯を食っている以外、客は誰もいない。典型的な昔の定食屋の内装で、粗末なテーブルに粗末な椅子、そして、端っこにある棚の上でテレビがかかっていて、相撲をやっている。威勢のいい給仕のおばちゃんが「いらっしゃいませ!」と言う。

この店、入ってすぐ、かなり参ったのだが、店内が、もの凄く、臭い。最初は、古い店によくあるネズミの糞の臭いかな、と思ったけど、しばらくいて思い至ったのだが、これは浮浪者の臭いだ。よく、電車とかに、ふいにボロボロの浮浪者が乗ってくることがあるので、わりとよく知っている臭いだ。
 
臭いなとは思ったけど、まあ、仕方ない。客席から厨房は見通しになっていて、中でおじちゃんが二人働いている。おじちゃん二人とおばちゃん一人でやっているようで、昔の定食屋らしく三人はよく無駄話をするのだが、その会話がけっこう大衆店っぽくて面白いな、と思って聞いていた。ゴーヤチャンプルとアジフライの定食を頼んだ。
 
ほどなくして飯が出てきた。山盛りのゴーヤチャンプルと、揚げたてのアジフライに、キャベツにトマトにポテトサラダ、味噌汁にお新香にどんぶり飯、という感じで、ボリュームたっぷりでかなりお得だ。これで750円なのである。店内は臭いが、食いものはまずくはない。もちろん、コテコテの大衆飯なので、お味がどうのと食うタイプの飯ではなく、とにかく食うこと優先の代物だ。それにしても、まさに昭和の味だ。
 
相撲を見ながら、食った。相撲を見るなんて、何年ぶりだろう。ところで、いまどき、横綱がみんなモンゴル出身だなんて知らなかった。しばらく見ていると、日本人の大関が出てきて、歓声がすごくて人気があるみたいだったけど、モンゴルの横綱にわりとあっさりと負けてしまった。
 
そうこうしていたら、おばちゃんが入口を見て、「あら、ジンさん来たわよ」と言うので、入口を見たら、ガラガラっと扉が開いて、どこから見ても土方の仕事帰りのおっちゃんが入ってきた。
 
「おいっしょーっ」みたいな声を出して椅子に座って身体を投げ出した。間髪を入れずにおばちゃんが「生ビールですね」と言うと、おっちゃん、「うん」と言って首を縦に振った。
 
「生ビールお待ちどうさま!」とビールを置く。ここで、そのへんのサラリーマンみたいに、すぐにジョッキに手をかけて、グビグビグビっと飲んで、はあー、うまい! みたいなテレビのCMみたいな飲み方をしないところがさすが土方のおっちゃんだ。おっちゃん、すぐに手を出さず、しばらくジョッキを眺めてから、おもむろにつかむと、ズズッと少しだけ飲んで、また椅子に寄り掛かった。
 
オレはアジフライを食いながら、一部始終を見ている。相撲は日本人が負けて、すでに終わってニュースになっている。
 
しばらくすると、おっちゃん、財布を出して、千円札をひっぱり出して、しばらくごそごそしていたが、おもむろに、「俺、金ねえや。千円しかない」と大声で言った。おばちゃんがすぐに、「千円あれば大丈夫よ、気にすることないって」と言うと、おっちゃん、「でも、これじゃ飯、食えないな」、おばちゃん、「なによ、いいのよ、明日にでも持ってきてよ」と言う。おっちゃんしばらく黙った後、「うん、明日、持ってくるよ」と言うと、厨房のおっちゃんが「なに、いつでもいいからさ」と言う。
 
ということで、おっちゃんはツケで飲食だ。僕はそのやり取りを感心して聞いていたが、食い終わったんで、お勘定してもらい、店を出た。
 
暗い夜道を歩きながら、その店のおばちゃんとおじちゃんと、いかにも土方な、抑揚のない唐突な感じのしゃべり方をするおっちゃんの会話をいちいち思い出しているうちに、なんだか泣けてきた。まあ、別に、昭和だ、人情だ、なんだとか言いたいわけではなくて、これは、なんというか、一種の音楽だな、と思った。店が浮浪者の臭いだったのは、その手の人がけっこう来る店だったんだな、きっと。そんなこんなもすべて含めて、一連の出来事や、風景や、会話などが、不思議な音楽を聞いたみたいでね、それで感動したんだな。