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永遠の0

永遠の0という映画を見た。3月に出張で東京に一時帰国し、あれよあれよの忙しく楽しくも短い東京ライフが終わり、スウェーデンへ帰る飛行機の中で見たのである。この映画、そして、この映画の原作については元同僚のFacebook投稿で知った。元来、娯楽映画にはほとんど興味がなく、特に最近の日本映画になんの関心もない自分としては、どこか別のところで話題になることを通してでしか、そういうものに触れることはないのである。

元同僚のFacebookエントリーについては、僕もコメントでいくらか参加したと思う。この永遠の0という映画そして原作に関し、見なくても読まなくても、想像で、もっともらしいことは簡単に言えるわけで、呑気にコメントを返していたのだと思う。当の元同僚は、やはりコメントのいろいろな反応を見るに至り、さすがにその当の原作と映画を自身で当たらないことには応えようがないと判断したようで、結局、原作の書籍を買って読んだそうだ。その、彼の、長めの感想文も、僕は読んだ。

僕は、というと、この手の戦争映画には意識的に近寄らないようにしている。その理由はそうはっきりはしないのだが、ただ、ある感覚に基づいて「近寄らない」という反応は、かなり尊重していい行動の指針である。何かの危険を、第六感で察知している、と考えてよいと思う。ひいては、人間の社会生活というのは、その「勘」によって成り立っていると言ってもよいと思うし、その勘があればこそ社会はほどほどに平和に推移するのである、と考えて構わないと思う。

さて、それで僕の今回の永遠の0鑑賞だけど、やはり止めた方が無難だったかもしれない。成田からヘルシンキまではおよそ10時間だ。機内ムービーをブラウズして、この映画があったので、Facebookの投稿で知っていたので、見てみようかな、という気になった。それで、どうだったかというと、自分でも呆れるほど、泣けて泣けてしかたなく、どうにもならないほどであった。

僕は機内アルコールを飲みながらほろ酔いで見ていたので、そのせいもあるのかもしれないが、映画が終わり、席を立ち化粧室へ行き、その狭い部屋の中で号泣してしまったほどだ。どうにも自分を制御できないので、化粧室を出て、乗務員のところへ行き、仕方なしにさらにビールをもらい、自分のシートに戻った。ほぼ呆然として、缶ビールを飲みながら反芻したが、やはり、何度も何度も号泣に近い感情に襲われて、まことに参った。ちょうど、そのときに機内は擬似夜間に入り、照明が暗くなったので助かった。あそこまで泣いていると、さすがに恥ずかしい。

冷静に考えれば、この映画はまさに泣かせるために作られていたわけで、僕は単にそれに乗せられただったとも言う。映画や小説などの物語につき、この手の泣かせ方で泣いてしまうことにつき、自分はほとんど重きを置かないようにしている。こういうものを自分は感動とは呼びたくないのであって、むしろ花粉症で鼻水をたらしているに近い、と考えるようにしているのだが、それにしても、今回は泣きすぎである。

それですぐに思ったのは、原作を書いた、あのスキンヘッドの百田尚樹とかいうやつにここまで泣かされたのは、誠に忌々しいということだった。もっとも先に書いたように、むしろ監督と脚本の方がお涙演出を多く入れたからだろうから、原作者のせいにするのは変なのだが、しかし忌々しいことは変わらない。なぜなら、先日の都知事選で、田母神俊雄の応援演説に立った彼の発言を読み、それが非常に嫌だったからだ。さらに、NHKの経営委員でもあるわけで、ああいう男が、戦時中の国を思う日本人を、「現代風に」美化した発言をするたびに、本当に嫌になる。

などなど、悔しいから、いろいろ言ってはみるのだが、やはりどこか自分の琴線に触れる部分があったのは確かなのである。演出による泣き、というのはカタルシスであって、思い切り泣いて感情を発散して、映画から出てきた後はすっきり、というメカニズムなはずなのだが、自分は、今回の場合、見た後もすっきりせず得体の知れない心の疼きみたいなものが続いたからである。

では、それは何か。

実は、それは、わりとはっきりとしている。僕が思ったのは死んだ親父にまつわることだった。親父は今から25年ちょっと前、親父がまだまだ若い58歳の時、僕が28歳ぐらいのときに癌で死んだ。親父が病気になる前まで、親父と自分はそれほどの交流は無く、僕は親父をどちらかというと敬遠していた。人間、癌にかかり死と隣り合わせになると、自然にシリアスになるもののようで、親父が病床にあったとき、僕と親父の間に何度かの忘れがたい交渉があった。普段は決してしない手紙のやり取りもあったし、ごくたまに見舞いに行ったときの、夢の中のような思い出もあった。

最後に、親父が死んで、結局、俺になにを残していったかというと、それは、「お前は士族の嫡男だ」という言葉だった。親父いわく、林家は武家の血を引いているそうなのだ。僕は長男なので、武家の嫡男として生まれた以上、その血に恥じぬように生きろ、ということを、親父は僕に言いたかったらしい。自分はと言うと、そういう重いものを元来嫌っているので、その考えには、表では反発していた。しかし、血の誇り、という概念は、僕の心に深く突き刺さるものであったことは間違いなさそうだ。

今この現代で、士族の嫡男などということがどれほどの意味を持つか、とは思う。第一、林などという姓はありふれたもので、親父は武家の血を引いていると言っているが、これは親父の単なる勘違いかもしれず、実はそのへんの水呑み百姓の血を引いているだけかもしれない。ましてや、親父はその証拠をほとんど残さなかったので、なおさらである。家系図の一つも持たない自分が士族の血を引いていると自負するなど、ほぼ馬鹿げたことだ。

以上の通りなのだが、やはり、僕にはこの親父の言葉は深く自分に影響を及ぼしたようなのだ。いかなることがあっても、決して誇りを捨てるな、卑怯なことは死んでもするな、真実のためとあれば自らを犠牲にしてもそれを貫け、ということだったのだが、なぜ俺はそれが嫌だったのかと言うと、俺は、そういう生まれの宿命から自由になりうる、ということを信じたかったのだ。俺たちには「知性」という、誰にでも等しく与えられている能力によって、その宿命から開放される道が絶対に開けているはずだ、と考えていた。そう考える自分にとって、士族的な責任観念は邪魔以外の何者でもなかった。

理性では以上の通りなのだが、しかしながら、ひょっとすると、俺がこれまで生きてきた、その要所々々での重要な決断は、その士族的責任観念の影響下でなされたものだと思えることは、確かなのだった。これは、自分の理性でうまくコントロールできないだけに、自分には忌々しいものだった。一種の「弱み」と言ってもいいような感覚を持ってしまう。自由になりたいのに、どうしても自由になれない「足枷」のようなものと言ってもいい。

さて、映画の方に戻ると、この映画は、これら自分の弱みという弱みを刺激するように作られていた。今回のような映画を見させられると、否応無く心が反応してしまうのだ。そういう意味で、あの映画の主人公と主要なプロットは、士族の心というものがあるなら、それを、そのままに体現するようにできていた。したがって、自分は、どうあっても心が自動的に反応してしまうのだった。

さて、そういう意味合いにおいてだけど、自分にとってあの映画に、唯一、傷があるといえば、最後の最後のラストシーンで、敵艦に突っ込む直前に、主人公の顔のアップが続き、彼が唇を歪めて瞬間、にやりと笑ったこと、それと、突っ込まれる空母のアメリカ兵たちが英語で、またあのZeroが来たぞ、クソ、なんとかしろ!と絶叫した声が入ったところだと思った。その瞬間に、主人公の日本人としての士族の血はすべて、敵を倒すことに急転直下に転化されたからだ。無垢な誇りが社会的行動に転化する瞬間だ。

この瞬間の出来事は、映画上でもまさに瞬間の出来事であって、合わせて数秒のことだ。しかし、ここに明らかな「美化」がある。あるいは、血の誇りというものが最初から「美」であるのなら、美が行動へ転落する様子がある。単なる「美」が、実質的な「力」を得る瞬間だ。これをもってして、日本人の血に流れるいわば抽象的な武士道的精神が、具象的な日本の政治の力に転化されることが実際に、起こる。

さて、もうこのへんにするが、号泣するほど感動した映画ということになってしまうわけだが、見終わった後、しばらく呆然と考えながら、はっきり思ったことがあった。それは、自分は、ヨーロッパの哲学を知っていて、本当によかった、ということだった。

人間というのは、民族も、血族も、身内も、何もなく、ただ唯一ある神の元に、放り出されたたった一人の絶対的に孤独な存在に過ぎない、ということを前提にして、そこを出発点にして、ひたすら神から与えられた知性に従って思考することで、この世界を構築しようとしたのが、西欧哲学の伝統だ。俺はそれを、身をもって知っている。それこそが、この日本の特攻隊で終わる戦争における一悲劇を描いたこの映画に強烈に現われている、生まれに基づく誇りの観念に対する、唯一の、正反対な、大きなカウンターとしての力に感じられたからだ。ヨーロッパ哲学は、このような胸をえぐる日本的情緒に幻惑された精神に対する、正当な、力強い、カンフル剤なのだ。

少なくとも、自分にはそうだ。何かのために命を捨てるという行為は尊く、神聖なものだ。それは、それで、いい。しかし、決して、それを元に社会を組み立ててはいけない。ヨーロッパ哲学は、その内部に、ほとんど本能的に、そういう洞察を抱いている。それは、ひょっとするとギリシャのソクラテスより、ナザレのイエスをその起源としているのかもしれない。その起源ははっきり分からないが、これは確かなことだと思う。

ところで、僕に士族の誇りを植えつけた親父も、やはりその教養の半分はヨーロッパの哲学と文学から来ている、と自分で言っていた。親父は、苦労の多い幼少時代を送り、自分が本当になりたかった職には付けず、結局、ローカルな会社の重役で終わったが、元来は文学青年であり、その志は死ぬ最後まで捨てなかった。日本とヨーロッパの相克は常に彼の中にあったのであり、その息子の俺は、ほぼそれをなぞるように生きてきた。僕は、心情的にずいぶん親父に反抗したが、やはり血は争えない。そして、この俺には、母方の血も同時に流れていて、そっちはそっちで、また全然違う心が流れている。それについては、また別途書くかもしれないが、ここでは話すのは止めておく。

この永遠の0の原作を書いたのは百田尚樹という作家である。ついこの前の都知事選で、彼は、その応援演説でずいぶんと、日本礼賛な、戦争やむなしな、日本人の誇りを取り戻す時期だ的な発言をしたと聞いている。昨今の日本の右傾化の先端を行っているようだ。知っての通り、都知事選で落選した田母神俊雄は現在の最右翼であり、20代の若年層からもっとも多い票を獲得したとも聞く。そして、百田は、小説家を超え、この映画の原作者として、そして、NHKの経営委員にも任命され、確実に社会に影響を与え、それを操作する側に回っている。

万世一系の天皇を賛美し、愛国心を鼓舞し、他国から日本国を守るためには戦争も辞さず、日本人であることに誇りを持ち、最終的には特攻隊として戦地に散っていった若者たちを究極の愛国者として賛美し、今一度、戦後に混乱してしまった日本人の心を愛国心によって統一しよう、という動きがあることは知っている。この永遠の0という映画は、それを直接な言葉では言わず、見た後に、見た者の心にそういう心を植えつけることに成功していると思う。そして、その原作者は、世の表舞台に出てきて、映画では直接に言わなかったことをはっきりと口にし、日本人たち、とりわけ若者たちにそれを語りかけている。

僕は、今の若者たちがこの構図に対して、そのまま取り込まれ、抵抗せず、共感し、信じ、その思い通りになってしまうことにつき、何も不思議だと思わない。日本の若年層の右傾化はこれからさらに進むだろう。そして、彼ら若者たちに「戦争の悲惨さ」をいくら訴えても無駄だと思う。それは火に油を注ぐだけだ。この永遠の0という映画自体がそう作られていたではないか。戦争の悲惨さは、なんの抵抗もなく、戦争の賛美と肯定に転化しうるのだ。

だから、西欧哲学なのだ。明治維新は実はまだ始まったばかりなのだ。少しも終わってはいないのだ。僕らは、今に至っても、本当に、ヨーロッパの過去のエリート達に学ばないといけない。ヨーロッパは知っての通り、戦争に次ぐ戦争、血で血を洗う長い歴史を経ている。その中で、哲学者たちがいったい、この世をどう考えて、どう結論付けたか、それを学ぶのだ。そういう教養こそが世の中を救うのだと思う。もちろん、ヨーロッパも、この僕らの貴重な日本文化を学ぶべきだ。そういう地道な活動しか、本当の本当は、わかりあう道もないし、平和というものも、無いのだと思う。

以上、映画を見て、機内で考えたことを書いておいた。