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事実とは何だろう

僕は今ではテレビをまったく見ない人間なのだけど、20年以上前には標準的日本人ぐらいは見ていた。あと、就職して最初の職場がNHKの番組監視業務だったせいで、実は、3年間にわたってNHKの番組を仕事でもたくさん見ていた。最近のテレビがどうなっているかはあまり分からないが、いわゆるテレビ番組がどんなものかは、情報は古いながらも、ひょっとして普通の人よりはるかによく知っているかもしれない。

NHKの大河ドラマは誰でも知っているだろうが、毎シリーズあれこれの歴史上のできごとを取り上げてドラマ仕立てで見せている。自分は、親元に住んでいたころ父親が欠かさず見ていたせいもあり、同じく欠かさず見ていたこともあった。それで、何十年ものブランクの後、どこかの温泉旅館かなんかで、風呂入って、飯食って、酒飲んで、いい気持ちでごろごろしながらテレビを見ていたとき、たまたま大河ドラマがやっていたので久しぶりに見て、ずいぶんびっくりしたことがある。

今さら言うまでもないことだろうが、登場している歴史上の人物を演ずる俳優があまりに今風のルックスの男女だったことと、セリフ回しもやはりあまりに今風、照明は明るくてなんだかハレーション気味のきらめきが加わっていて、カメラワークもやけにゆっくりした移動ショットを多用し、まるでキラキラと美化された夢の中の出来事のような絵作りで、ちょうど昔の少女マンガのような雰囲気で描写しているように見えた。NHKも視聴率を稼がないといけないので、当然、今風の絵作りでドラマを展開しなければいけない事情は分かる。しかし、この絵作りを見て一気に白けてしまい、しばらく見てはいたが、なんだかイヤになってきて、下らないお笑い番組にチャンネルを替えてしまった。

さて、たとえば五百年も前の日本の当時の様子はいったいどうだったか。あれこれ調べればおぼろげにどんな感じだったかはあるていど想像できるが、おそらく現代と比べると、ほとんど「異様」と言ってもいいぐらいその情景は異なっていたであろう。五百年前の日本人の男も女も今の日本人とはたぶん似ても似つかない姿恰好をして、しゃべり言葉はたぶん今の我々にはほとんど理解できない言葉で、その声色やしゃべりのスピードもだいぶ違い、その動きも歩き方も表情もきっとずいぶん違っていたことだろう。加えてあたりを取り巻く当時の環境、つまり、光、音、匂い、衛生環境やらなにやらは今と相当に違っていたはず。要は何もかも今とはかけ離れた光景だったと想像できる。

では、時代考証を厳密に追及して、当時の情景に極力似せた歴史ドラマというものを作ったとしたら、どうか。これは、自分としては、興味本位で本当に見てみたいとは思うが、作ったとしても視聴率は取れないだろう。ではなぜ視聴率が取れないと思うかというと、五百年前の日本人の生活の「事実」は、今現代の僕らから見てあまりに異様なものに写るせいで、ドラマとしてすんなり入って来ないと予想するからだ。たしかに過去に現実に起こっていた「事実」を視覚聴覚的に、今この現在にあるていど再現はできるかもしれないが、それを受け取るわれわれ人間の方が「当の過去」に生きていないせいで、その「事実」の意味が変わってしまうのではないか、と思うのである。

五百年前に生きて生活していた当時の日本人は、この情景の中でそれと共に生きていたのだから、その情景を、自分の眼で見て、耳で聞いて、それをそのときの現実として受け取って、それに対してごく自然な反応をしたであろう。これは当たり前のことだ。しかし、年代が五百年も隔たってしまっていては、「視覚聴覚像」を再現したところで史実の正しい姿が僕らに受け取られる、ということにはならないと思うのである。それが正しく成立するには、僕ら現代人が五百年前の過去に実際に生きなければ、無理ではないか。

僕ら現代人はごく自然に、「過去の事実」という唯一絶対の真に起こった出来事、というものがある、と認めている。だって、五百年前であっても、そこになにがしという五百年前の人間が存在してなにやらしゃべったり動いていたりしていた、という事実は曲げることはできないし、それはいわば物理的な事実であって、唯一無二のものだ。その事実がいくつもあったり、ぶれていたり、本当はなかった、などということが言えたとすると、それは単に物理現象を正確に観測できない人間側の事情のせいであって、当の事実は唯一絶対なものとして残っているはずだ、と信じている。

しかし、本当に、そうなのか。

さっき話した歴史ドラマであるが、あれは視覚聴覚で再現を計っている。すなわち、五百年前の過去に起こった物理的事実というものがあって、それを再現していると、という構図になっている。そういう意味で、われわれの常識である、「唯一無二の事実があった」という感覚を元にして成り立っている。しかし、その物理的に起こった状況をそのまま再現はせず、今風の映像に作り変えて提供する。それは、その当の歴史的事実を今の人間にも受け取れることができるように配慮したためだ。

しかし、もう一度言うが、我々が現代の歴史ドラマを見て受け取った「何か」は、当時の人々が受け取った「何か」とずいぶんと異なるであろうことは、容易に想像できはしないか。それにしても、僕らは、「過去に起こった物理的事実」が重要なのだろうか、それとも、「過去に起こったことの意味」が重要なのだろうか。もし、前者だったら、それは僕らの日常感覚とは遠く離れたものとして残ってしまい、そのまま手つかずで残ってしまう単なる事実にすぎなくなる。そして、もし、後者だったら、僕らは物理的事実を詮索したり、史実を現代風に再現して見せたりするより先にやらなければいけないことがある。それは、その五百年前の過去に生きている人たちがその「事実」に接して、そのときに何を感じたかを受け取ることである。つまり、五百年前に生きた人々の声に、できるだけ澄んだ心をもって耳を傾けることである。

思うに、歴史というのはその後者のアプローチの集積ではないか。

ところで、たまたまどこかの古本屋で見つけた鶴屋南北の「東海道四谷怪談」の文庫を持っているのだが、かつて、この歌舞伎の脚本を読んで驚嘆したことがある。それは、「江戸時代」が僕の眼の前に現れた感があったからである。それ以来、この本は僕の愛読書になったのだが、今ではページのどこを開いても、当時の江戸時代が僕の感覚の中に再現するような気持ちになる。これは先に言ったような「視覚聴覚」の再現ではない。そうではなくて、江戸時代に生きる人間たちが、当の江戸時代に起こった出来事についてどう感じたか、ということがひとつの塊になって感じられるのである。僕にとってはその塊こそが過去であって、そこで起こった物理的事実などは二の次だ、とまで思ってしまう。

この四谷怪談の話はその一例なのであるが、さいきん、自分は「物理的事実」というものの一種の絶対性を、かなり疑うようになった。実は、今これを書いているのも、それを言いたかったのだ。

しかし、これをなんと説明したらよいのか。自分はもともとは理科系の人間で、理科系的な考え方のもとに育ってきたので、「物理的事実がある」ということが切実に唯一絶対なものと感じられるのは確かだ。うつろいやすく信用できない人間を通しての観察結果やその記録に振り回されながらも、それでも僕らがいるこの3次元空間のどこかで「絶対に真な唯一な出来事が起こった」ということを信じていて、それを「事実」と称して、振り回される心の最後の拠り所にする、という態度である。言ってみれば、物理的事実を主に扱う「科学」を拠り所にする、という感覚である。この感覚は、実は振り払うのがすごく難しい。というか、どうしても、そう感じてしまう。事実だけが嘘をつかない唯一のものだ、と。

しかし、最近のもう一人の自分は、物理的事実というものはそれほど重要とは言えない、とも感じている。もうちょっと突っ込んでいうと、物理的事実が唯一無二なものだと感じること自体がなんらかの人間的な性質のひとつである、と思うようになった。

いや、物理的事実はある。それは間違いない。五百年前に日本のどこそこでなにがしという人間が動いてしゃべったのである。それを否定するわけにはいかない。しかし、その事実はそれほど重要なものだろうか。いや、重要という言葉は適切ではない。事実というのは、今の自分に連なるたくさんある要因の中のただの一つに過ぎないのではないのか。先に書いたように、この事実を元に当時の人間たちが感じたこともまた別の事実だろう。そしてそれは人の数だけ異なっていただろうし、それと同時に、何かその時代の特有の共通なものも持っていただろう。

物理的な事実より、それが人間に与えた作用の方が重要なのではないか、と考えることは実は、とても自然なことだと思う。それなのに、主観を排した客観的な物理的事実をなによりも重んじる気持ちはそうそう簡単に自分から去っては行かない。自分はときどきこれを、何か別の要因によるのではないかと疑い、果てはその感覚自体が一種の「錯覚」や「迷信」に属しているのではないかと疑ったりもする。

さて、それでは最近になってなぜそのように強く感じるようになったか、なのだけど、ひとつは歳のせいもあると思う。世の中は真なる事実によって進むのではなく、その事実をさまざまに受け取った人間たちが織り成す行動によって進んでいる、ということを、人生経験の中で否が応でも思い知らされたからである。たぶん、これは間違いはないと思うが、実はもうひとつ年齢に関係ない理由がある。それは20世紀の終わりから21世紀に至るなかで急速に進んだ情報社会のありようである。

ここしばらく自分は、英語の勉強のためにロイターニュースを英語で読んでいて、特に、現在内戦に突入しているシリア情勢を追ってきた。交渉、戦闘の繰り返しで事は進んでいて、これまで何度か一般市民を巻き込む大量虐殺が起こっている。シリアへ外国のジャーナリストが入ることは政府により禁止されているので、ロイターに流れるニュースは、現地の公共放送で流れる政府からの公式情報、海外の視察団からの情報、そして主に内部の反政府軍から匿名の電話などを通して入ってくる情報などである。当然の結果と言えるかもしれないが、当の大量虐殺については、公式発表では反政府テロリストによる犯行となっており、反政府軍からの情報では政府軍による大量殺戮である、となっている。中立なジャーナリストが現地にいないのでどちらが正しいか、どちらが「事実」か、分からない。

しかし、戦況は刻々と変わり、それは報道され続けている。相変わらず政府と反政府ではほぼ逆の発表がなされている。停戦に向けて努力する国連、アメリカ、中東の国々、ロシア、中国などの国が戦況に合わせて様々に反応し、行動している。その行動によって、さらにシリアの情勢はあっちへこっちへと変動する。各国が実際にどのような情報を受け取っているかは分からないが、ロイターのようなジャーナリズムが受け取る情報よりは確度は高いはずとはいえ、本当に確実な情報はどの国も得られていないはずだ。

そんな中で、たとえば何回かに渡る大量殺戮を考えたとき、いったい本当に行われた虐殺の真実とはなんなのか。政府軍、反政府軍の言い分のどちらかが正しいのであろうが、どちらが正しいか100%確実には判断できない。しかしながら、シリアに関わる他国や人間たちは、判断できないから保留にするということもできず、現在自分たちが得ている情報に基づいて、自国の事情に照らし合わせて、なんらかの判断をして行動することを強いられている。一方、われわれ一般市民は直接戦争に関わってはいないが、それは直接でないだけで、現代のような民主主義的政治状況の中では、われわれ市民がこの事実をどう考えて、どう判断するかは実はかなり当の世界規模で起きている世の中の動きを左右するはずである。つまり、僕らは、たとえばここで言えばシリアの戦況に少なからず具体的に関わっているといえると思う。

実はこういう事態というのは、本当に大変なことだと思う。情報社会であること、そして、民主主義であること、というこの2つの条件から導き出されることは、「事実」の解明に全力を尽くすことは重要だとして(ちなみに、これがジャーナリズムのもっともはっきりした使命の一つなはず)、しかしながら、その事実の発する情報を受け取ったわれわれがそれを「どうとらえて」そして、それを元に「どう行動するか」ということが、実際に世の中の動きを変えてしまうことになってしまったのだ。「情報」と「行動」が、世界の進歩によりその速度と力を増し、そのせいでそれがリアルタイムで世の中を動かす時代になってしまったのだ。

ここではシリア情勢という日本であまり報道されないことを例に話したが、現在の日本で言えば、たとえば原発問題の推移がちょうどこの事態になっている。福島原発事故の現場で物理的に本当に起こった真実のすべて、というのは確かに物理的な意味で存在はするはずだけど、実際に現在に至るまでに原発問題を巡って起こった政府、東電、そしてわれわれ市民がとったさまざまな行動は、多かれ少なかれはあったとしても、「真の事実」を元に判断された結果ではない。真の事実は、分からないのである。しかし、情報と行動の速度と量が過去に比べ圧倒的に増大したせいで、当の事実が分からないまま、我々は、その事実から発せられた「情報」と、それを元に各自が受け取った「意味」、そしてそれに基づいて各自が判断してとった「行動」によって、事態は否が応でも「推移」しているのである。

すなわち、ここでは「事実」は肝心なところで隠されていて、その代わりに、「情報」「意味」「行動」が世の中を「推移」させている。

現代のような極端な情報社会になる前は、このようなことは表だっては起こっていなかったと思う。世界で起こる大半の「事実」は、その最初から我々からは隠れていてまったく見えなかったはず。われわれに見えている事実はごく近くの、自分の狭い活動範囲に直接関係するものだけだっただろう。そして、その事実の真の姿を詮索する時間も十分にあったと思う。十分に事実を調べた後に行動を起こしても間に合っただろう。その自分に関係する事実について何の関係もない他の人間たちが詮索を始めたり先回りして行動を起こされてしまうようなことも極めて少なかっただろう。

現代に生きていて、恐ろしいなと思うのは、情報や行動というものの「速度」と「量」が極端に増大することが、世の中の推移の様子を根本的に違うものに変質させてしまった、ということである。なんだか、ここ10年ほどで、世の中の推移の仕方がまるで変ってしまった、と感じることが多くなった。はたしてこれは単なる僕の錯覚なのだろうか。それとも本当にそういう層変異みたいなことが起きているのだろうか。

最後に、さいきんの自分が思っていることを、極端な物言いにはなるが、そのまま言っておこう。

真の事実などというものは、無い。あるのはそれを受け取った人間たちの感じ方の集積だけだ。そして、現在に生きて行動するわれわれは、その感じ方の集積の中で、もっとも自分が仲間だと直観する人間の言葉に、なるべく澄んだ心で耳を傾けることを、心がけるべきだ。

 

スピリチュアルなど

昨日はずっと借りっぱなしになっていた本を返しに、天気もよかったので散歩がてら自転車で図書館へ向かった。

漱石の「門」をはじめ数冊の文庫だった。この「門」はこの歳になって初めて読んだのだけど、とても面白かった。読み終わって間髪いれずにもう一回読み直したぐらいである。いわゆる、今で言うところの「疲れた中年男」を淡々と描いた小説である。物事が、事から事へと単純に理由なく推移して、その中で適度に右往左往しながら綿々と生活を続けている、そんな様子が描写されているんだけど、その心の奥の奥の方に不思議な、今でも赤々と燃え続ける火のようなものがあって、黒い消し炭に何重にも囲まれて隠されている真っ赤に燃える炭火のような、そんなイメージが全編に渡って感じられ、それが自分にはとても魅力的に映ったのだった。

と、まあ、漱石の話をするために書き始めたのではないのだが。

返却期限をとうに過ぎた文庫を返し、係の人にちょっと謝って、それで手ぶらになった僕はぶらぶらと書架を物色した。毎度毎度のことで、だいたい自分は「心理学」と「哲学」のあたりを覗いてみるのが常である。今日はなぜだか、スピリチュアルのコーナーに目が留まり、香山リカの「スピリチュアルにハマる人ハマらない人」だったかの題名の本が目について手を掛けようとしたらその隣に、題名は忘れたけど「スピリチュアルの世界」みたいな解説本っぽいのが目に入り、そっちを手に取った。

まえがきを斜め読みすると、著者はプロ野球かなんかのスポーツのノンフィクション作家だそうで、その彼が、突然、スピリチュアルの本を書こうと思い立ち、それで取材を重ね、書いた本だそうだ。見るとつい1年ほど前に出版された本で、ごく最近のものだった。客観的な取材に基づいたスピリチュアルの知識ってのも、たまにはいいだろうと思い、空いている椅子に座ってその本を読み始めた。

それほど面白くもつまならくもない、言ってみればごく平凡な本だったのだが、自分にしては珍しく、読んでいてシニカルになることもなく、文句をつけたくなるところもなく、淡々と読み終わった。だいたい、僕はそれなりに食えないヤツで、取材に基づいたノンフィクションというものをよく思っていないところがあり、特にそういう記者みたいな人間がこういうスピリチャアルなどの精神世界に関わるとロクなことがない、と思い込んでいて、考えが浅い人間が上っ面だけ取材して書いてるんだな、とか思いながら読むことが多く、こういう本に対しては最初から、いわゆる斜に構える傾向がある。

でも、この本はそんなことにはならなかった。字面の上では、相変わらず、無難なことが平凡に書き連ねられているだけなのだけど、不思議と最後まで読めたのである。それで気付いたんだけど、ひょっとするとこれは、冒頭で書いた漱石の「門」で感じたことと同じような感覚を抱いたのかもしれない。なんだか表面上の平凡さの下の下の方に、隠された火のようなものが感じられたのかもしれない。あらかた読み終わった後、最初斜め読みしたまえがきをもう一度読んでみたら、筆者は、内容は分からないがひどい家庭不和と、自身も鬱病を患い、ずいぶんと辛い目にあってきた人らしい。そうだったか、スピリチャルを取材するこの人も、実際には切実な何かがあってのことだったのだろう。

さて、一種の感慨をもってこの本を読み終わり、書架へ返すとき、最初に目に入った香山リカの本を開いてみたが、ちょっと読んだ内容がけっこう下らなかったのでそれ以上読まずに戻してしまった。ただ、もっとも、この香山リカという人は、よくネットで、ほとんどわざと不用意な発言をして炎上している光景を通して知っているのだけど、僕にはけっこう共感することが多い人なのである。ただ、自分と似たネガティブなノリがあるせいで敬遠したくもなる。というか、この人自身が一番「病気」にも見えたりする。一度、ずいぶん昔、職場の講演会で見たことがあるのだけど、その印象は、精神を病んでいる精神科医、みたいな感じを受けた。

さて、さっきのスピリチュアルの本を読んで、スピリチュアルについて何か学ぶところがあったわけじゃなかったのだけど、図書館を出て、ふたたび自転車でノロノロと走りながら、スピリチュアルについて少し考えた。

そうだ、いま思い出したけど、図書館を出た時間が夕方の5時。あたりはすっかり夏で、5時でもまだ日が照ってそこそこ暑く、日曜日で翌日が祭日のせいもあったのか、あたりにいる人々はみなのんびりしているように見え、それで、なぜだか分からないけど、自転車を走らせ始めてすぐに、久しぶりに多幸感のようなものが数分間ほど続いた。なぜだったのだろう。スピリチュアルの本を読んだからか? 実は、ここしばらく自分は生活のことでけっこう悩んでいて、心が休まることがあまりなかったのだ。でも、少なくともこの数分間は、「人生は確かに大変だけど、生きることは本当は楽なことなんだ」みたいな感覚が続いて、しばし癒された気持ちになった。ただ、こういうのはそれほど持続しないもので、しばらくしたら平静に戻ってしまった。

さて、僕のスピリチュアルに対する態度は「つきもせず、離れもせず」、なのだけど、いわゆる精神世界と呼ばれる存在に疑いを持ったことは一度もない。念力でも、予知でも、幽霊でも、霊界でも、占いでもなんでも、そういうものは素朴に信じている。信じているので、「解明しよう」という気は逆に起きない。現在の科学を使ってそれらの精神世界を解明したり批判したり否定したり、あるいは証明しようとしたりすることについてはほとんど興味がない。信じれば、十分だという態度である。この話は、また別の話になってしまうが、この現代、「科学」というものが巷に蔓延した一番重症な迷信だと感じることが多い。科学と、その科学が対象とする狭い事実というものに囚われている人たちがあまりに多いように感じたりする。僕は元来が理科系なので、科学についてはその適用範囲を自分の中ではっきり決めていて、その範囲から外れるものについて科学を判断根拠にできないことについて、これを感覚的に納得している。

まあ、それは置いておき、自分のスピリチュアルへの態度はごく素朴なものだ、と言うことである。ただ、信じているのになぜ近寄ろうとしないかであるが、それは単純な理由で、近寄り過ぎると危険に思えるからである。

少し前、知人に、たまたま、林さんこれ面白いから読んでみる? と言われ、「バシャール」の本を借りて読んだことがある。ここでバシャールは何かというと、バシャールはチャネリングで現代に現れた宇宙存在で、何百年だか未来の生命がアメリカのなんとかいう人にチャネリングして、さまざまなスピリチュアル的なことを語るというものである。このバシャールの言葉を読んで、それなりにびっくりしたのだが、自分にはその大半が素直に納得できる言葉だったのである。言葉そのものは典型的なスピリチュアル系な内容の連続で、現代で言うとかなり非科学的なものだらけなのだけど、まるで普通に理解できる。

実は、僕は、このとき初めてスピリチュアル系の読みものを読んだのだけど、自分が努めて近寄らないようにしていた当のスピリチュアルは、自分がふつうに常識としているものとほとんど一致していたのであった。やはり、そうだったか。でも、それ以降、それ以上に近づこうとは思わなかった。元の自分に戻り、つかず離れずを保っている。しかし、なぜ、自分は近寄ることを危険だと思うのだろう。

まあ、これは単純に、オウム真理教やら幸福の科学やらの新興宗教系と時々は区別がつかなくなる、というのもある。ただ、そういうことよりも、自分としてはスピリチュアルな命題というのは、実際に目の前に広がるこのごちゃごちゃして混沌と混乱の極みの実世界で右往左往して苦労した挙句に、自分の中で、自分で見出してゆくべきものだ、という意識があまりに強いせいかもしれない。この辺のノリは、これはやはり僕はドストエフスキーから習ったのである。かの罪と罰のラスコーリニコフにならないといけない、と思っているらしい。

主人公のラスコーリニコフは、最後の最後のスピリチュアル命題を手に入れるために、その冒頭で、さんざん逡巡しながらも偶然に導かれ、結局、金貸しの老婆の頭に斧を振り下ろす。斧を打ち下ろすまでは夢遊病者のようだったが、打ち下ろした途端に現実的な力が内部から起こってくる。あそこが、彼の一回目の覚醒なのだけど、それから後、果てしなく続く混沌と混乱に向けて、現実的な一歩を踏み出すわけだ。そして、延々と続く拷問のような生活の苦痛を経て、最後の最後、ようやくスピリチュアル的なものを彼は悟るのだが、罪と罰という小説には、その最後に彼が苦痛と引き換えで手に入れた命題を、命題としてはっきり書かない。それは、言葉に書いてしまうにはきっとあまりに単純なものだからだろうと思う。

思うに、スピリチュアルな命題というのは、それを言葉にして発しただけでは、あまりに当たり前で、その言葉自体にさしたる意味があるように思われない。なのでその命題は言葉でできているのではなく、「光」のようなものなのだと思う。その光を自身の人生で生かすのは、めいめいの人間の方で、言葉でどうなるものでもないのだ。その光を理解する方法にはきっといくつかの道があるのだと思うが、僕の取った道は上述のようなドストエフスキーから習ったラスコーリニコフの道だ、と言える。そして、それ以外の道には、きっとたとえば、信頼できる人に師事する、とか、瞑想を習得する、とか、あるいは無条件にすがってみる、とかがあるのだろうと思う。

スピリチュアルの本を読んでいると、この「師」というのがけっこう出てくる。「グル」というものだろうか。先のチャネリングで交信してくるバシャールもそうだ。そういう具体的な「存在」に一発でやられ、それに従って行く、という道はとてもよく出てくるスピリチュアル系の事例であろう。ただ、これは原理的にやり方が怪しい新興宗教の場合と似ているので、どうも本物と偽物の区別を疑ってしまう。それに、たぶん、本物と偽物という二元論で片付かない事情もきっとあるはずだ。あれは本物、これは偽物、とはっきり区別して安心していられる人は幸いだ。しかしもっと近くに寄って観察すればそういうはっきりした区別はできないことが分かるはずだ。だからこそああいう新興宗教は余計に厄介だ。

ただ、さっきスピリチュアルに近寄るのに危険を感じるというのは、そういう「師」という具体的に現実に生きている人間がいる限り、本物か偽物かという問題が起こらざるを得ないことに対する警戒とも言えるかもしれない。いや、さっき本物偽物という二元論は浅薄だと言ったばかりだからそう言ってはあまりうまくない。それより、「師と自分」という現実の人間関係的なものが入ってきてしまうのが厄介だと思っているのかもしれない。

だんだん何を言っているか分からなくなってきたが、自転車を走らせながら、もう一つ考えたことは、自分がスピリチュアル的影響を受けるものについては、すべて既に死んだ人間であり、過去の事だ、ということであった。

さっきのドストエフスキーでも、僕を絵画の道に導いてくれたゴッホにしても、なみいる黒人ブルースマンにしても、そのほとんどが死んだ人だ。加えて、歴史を経てその評価が確定した人や、その仕事ばかりだ。いわば「古典」しか信じないとも言えるかもしれない。ある意味、このやり方は失敗することがほとんどないので、お気楽で、ちょっとずるいやり方かもしれない。現実に生きている師や、その教義などを自身で選んで耳を傾けるという場合、その結果、その当のものが「外れ」な場合もあるが、歴史的評価が確定したものについては、その心配がまず、ない。さっきの本物偽物で言えば、その判定は歴史任せということだ。

どちらにしても、僕がドストエフスキーやゴッホから受けた多大な影響は、その一番重要な部分はまったくスピリチュアル的だと言える。なぜスピリチュアル的であるかは、今まで色んなところでいくらか書いているし、もう長くなったのでまた今度ということにしよう。

というわけで休日の自転車散歩で考えたスピリチュアルのことについて書き飛ばした。自転車散歩の最後の方では、僕が影響を受けたドストエフスキーやゴッホのことをあれこれ思い出しながら、駒沢通りを目黒へ向かい、さて、通り沿いの串カツ屋の前で自転車を止め、ホッピーを注文して一息。気持ちのいい休日の夕方だ。その後、あちこちへ行って、いろんな仲間とお酒を飲み、夜遅く帰ってきて、そして翌日の祭日、いまこれを書いているというわけだ。本当は、もうちょっとスピリチュアルの「内容」について書きたかったが、それはまた今度。