月別アーカイブ: 2011年1月

ある種のアメリカ人エリート

アメリカ系のある種のエリートは、アクティブさ、バイタリティ、スピード、どれもちょっと日本人と次元が違う高さを感じることが多い。日本人は、結局は、その本性がなんだかずっと静かで、静的な感じ。なんだかんだで俳句と浮世絵的感性で勝負、ってことになってしまうのかな。少し前の文で、常に動いていないと落ち着かない現代人は、少しは「動かないこと」を見直したらどうか、と書いたが、それと同時に思ったことは、でもそれじゃ現代国際社会を生き抜けないだろうな、ということだった。「動き」が基本な社会は、やっぱりアメリカ系から来てるのかな。癪だけど、今のところこのグローバルスタンダードは止められない感じ。それにしても、日本。さいきん聞いた子供の運動会の話で、学校が近隣の騒音苦情をそのまま受けて、音楽なし、徒競走のピストルなし、なんていう運動会をやっているそうだ、なんてことを聞いた。そんな小学校で育った子供が、将来アメリカ人に勝てる気がしない。まあ、あんまり関係ないんだが、ときどき、グローバルスタンダードに西行さんと写楽さんで対抗だなんて戦闘機に竹やりに近いのかな、などと思ったりする。やはり、グローバルスタンダードに真っ向対決するよりは、当のグローバルスタンダード自体の方をなんらか変質させる道を日本人は開くようにする気持ちでいた方が、いいような気がする。

ブルース

自分はギター弾きで歌うたいなのだが、毎回ライブで演奏するたびに思うのが、自分の演奏はかなり雑だということ。つまり、オレたちバンドの演奏は完成度が高くなく、たとえばそのまま完成CDにできない。もっと普段の練習を増やせば演奏クオリティの平均レベルは上がって行くだろうことは分かっているけど、演奏態度が根本的に出たとこ勝負なのでクオリティの上下が激しいのである。でも、その意味じゃ、目指しているのはジャズ的精神なのかもな、つまりインプロヴィゼイション。もういまさらこれ以外にできないので、この路線のままだな。つまり、決まったとおりの演奏は、しない、という。そう考えると、オレはやっぱり、ブルースマンってことになるな。ま、それでいいか、「オレはブルースマンです」、って分かりやすくて、いいや。黒人でもないのにブルースマンって、いいな~ 海を越えた地球のほぼ裏側でブルースマンだなんて、ひょっとすると、オレたちはホントのソウルブラザーズかも、しれないよ。

ヘンな思い出話だが、オレは、およそ十年前、私生活が、まったくどうにもならなくなった時期があって、その数年間を経たあと、ホントの意味でブルースが歌えるようになったよ。それまでは、歌えなかったんだ。こればっかりは、なぜだかわからないが、そうだったんだ。なので、オレは、「ブルース」っていうのが万国共通で、国境がない、ということを体で知っている。ジミヘンドリクスがやったブルースっていうのも、そういうブルースだよ。彼は、狭い黒人ブルースを地球レベルに広げた人だ。少なくとも、オレはそういう影響の受け方をしている。

ウフィッツ美術館

フィレンツェのウフィッツ美術館の最初の部屋には、前ルネサンス時代に描かれた三つの大きな聖母子の絵が掛けてある。ずいぶん昔のことだが、かつてこの前に立ち尽くしたことがあったっけな。チマブエからドゥッチオ、そしてジョットと、ルネサンスの夜明け前に立ち会ったような感じだった。

イタリアルネサンスはジョットをその幕開けにするようなので、これは実は夜明けというよりは、夜明け前の風景だ。そして、ジョットになってもまだ完全に夜は明けていない。チマブエ、ドゥッチオ、ジョットと見て行くと、画面の全体に、徐々に「動き」が加わってくるのが、はっきりとわかるんだ。

当時から自分はジョットの大ファンなのだが、その一方で、心の奥底ではドゥッチオに計り知れないぐらいの安堵感を感じていて、どうにもならなかったことがあった。あの恍惚とした黄金色の光に、魂が溶け込んでしまうんだ。でも、自分のどこかで、ああ、このままじゃだめだ、とブレーキがかかるのが分かる。

それにしても、まさに歴史上の最大級のムーブメントであったルネッサンスの「動き」の始まりの直前に描かれた、これら「神々しいような静止」を前にして自らを振り返ると、オレたち現代人は救いがたいほど浮かれてるよね。もう少し「動かない」ことを覚えた方がいいのかもしれない。常に「動き」がないと落ち着かない、って感じじゃないか?

さて、聖母子の部屋を出て次の部屋へ行くと、今度はシエナの画家、シモーネ・マルティーニの大きな受胎告知の絵がある。これは、本当に、ものすごい絵だ。ウフィッツ美術館は展示管理がいい加減なので柵もロクにない。なので、当時、オレはマリアやガブリエルの至近距離10センチぐらいで見入っていたよ。このマルティーニの独特の冷たさ、これは、いったいどこから来ているんだろう。前期ルネサンスの画家には、ずいぶんと、この「冷たさ」を持った画家がいる。

まあ、あれこれ歴史やなにやら調べればいろんなことが分かるのだろうが、根っから勉強嫌いのオレはほとんど調べていない。絵画は絵画としてしか見ないんだ。バックグラウンドも何にも調べずに絵だけひたすら見ている。ほとんど強情に近いこんなことはいい加減にして、最近、たまには調べようかな、と思ったりする。

それにしても、絵を絵としてしか見ないと、言葉の入る余地がないので、いったん分かってそれが自分のものになるとまさに血肉の一部になり、他のものに転嫁できず、場合によっては一種のトラウマのようになる。その点、「言葉」で分かったものというのは、状況しだいであっという間に別のものに転嫁して安全に抜け出すことができる。

言葉、言葉、と。少し前にも考えたこと、あったっけな、哲学者の廣松渡を読んで。言葉にも言霊というものがあるのだが、ひょっとして言葉と言霊には相関が無かったりしてな。前にもどっかに書いたけど、言葉が言霊を獲得するには、当の言葉が金輪際介在しない、目の前に「ある」世界に心が直接触れる人間経験の、歴史的な蓄積が必要みたいなんだな。言い換えれば「言葉を言葉で作ることはできない」ということになる。

ところでウフィッツ美術館なのだけど、前期ルネサンスを過ぎて、ルネサンス本番になっちゃうと、オレ的には少し引いてしまうところがある。自分は「奇妙なもの」に惹かれる傾向があるせいで、ボッティチェリやダビンチ、ラファエロ、ミケランジェロと華々しくなってくるとあまり反応しなくなってくる。ずいぶん昔、ルネサンスを賛美する友人に、そういうオレのことを「お前は根が北方性憂鬱だ」と言われたことがあったっけ。これは、図星だ。

西行

春になる桜がえだは何となく花なけれどもむつましきかな

ある朝、ぼんやりして手にとった文庫本をたまたま開いたらこの言葉がでてきた。そう、これは、西行の句である。いまから八百年以上も前、当時の大変な社会に生きる苦労を思うと、こんな句が読める人はさぞかし心がきれいだったのだろうと思う。

心がきれいか・・・ 年月が経つと、汚いものは風化してしまって、きれいな心しか残らないのかもな。西行だって歩いて息をしていたときは、別にそうそうきれいばかりじゃなかったはずだよな。と、いうか、西行の場合、なんだか、ひたむきな苦労、とでも呼べそうなものを感じるのだけど。

ある人があくせくと生活して、苦労して、それで死んで、それで思い出になって、それで年月が経って、余計な雑音が風化して消えて、さて、それで最後の最後に残ったその人の魂が、その人の評価を決めるのかな。もっとも、これじゃ、ちょっと、考え方が年寄りくさいか。

ところで、西行の句には、先に言ったひたむきな苦労みたいなものについての苦しみを歌ったように感じるものがいくつもある。先日、図書館でたまたま借りた本の筆者によれば、西行は若くして出家する前、心を寄せていた高嶺の花の女がいて、出家の理由のひとつはその女に対するかなわぬ愛であり、彼は、出家してから死ぬまでの長い間、その女への慕情を常に心に抱きながら句を詠んだ、と書いてあった。

そう思うと、彼の句に現れている、先に言ったひたむきな苦労、という感触もすっかりとうなずけるものになる。

でも、どうなのだろう。たとえ、それで解釈が可能になったところで、結局は「なるほどね」、で終わってしまうかもしれない。少なくとも自分は、そうだ。女への生涯変わらぬ一途な慕情というものを持つことができた西行という人間と、さらにそれを元に句を詠んだその芸術家としての資質、といったものの方が、その解釈よりもずっと重要で、そちらの方は性質上、解釈のしようがない。

西行という人間がいて、詠んだ句があれば、それで以上だ。そしてその人間と作品の二つと、今の自分が相対している、ということだけが重要に思えるし、それで十分だ。そう考えちゃうと、いわゆる客観批評は用がないということになる。

ということで、批評というものも、その批評をする人間込みで、価値の高い低いが決まることになる。そうなると西行と批評家は同じ地点に立つことになる。それで、冒頭にあげた句を読む心と同じ心を持って西行を語る、ということが仕事になる。

ということは、結局一番大切なのは思考能力ではなく、想像力だ、ということになる。

大森のCIAO

大田区の大森にはCIAOという名前のイタリア料理屋さんが2軒ある。駅前にあるのが大森店でフレンチ風創作イタリアン、そして、山王小学校の近くにあるのが山王店でイタリア家庭料理である。大森CIAOはお兄さん、山王CIAOは弟さんがやっている、と聞いたことがある。いずれにしても、どちらも、もう30年ぐらいやっている超老舗で、双方とも老舗の風格がある。先日、大森店の方へ行ってきたのだけど、30年も続いているレストランって、間違えようのない独特の風味があって、変哲のない料理でも、その感覚がすみずみにまで行き渡っている感じ。おいしさだとか、サービスがどうのとかいうより何より、心が満足する。

弁証法

解説本を借りて弁証法を勉強している。言葉だけは知っていたテーゼ、アンチテーゼ、アウフヘーベン、ってヤツだが、おもしろいわ~ それで、弁証法ってのが、ホントは何だったのか、この歳になって今ごろ、分かった。それで自分の生き方を振り返ってみると、「あれかこれか」という単なる取捨をやけに嫌ってきたオレの人生が、なんとまさに弁証法的であったことが、判明した。ひょっとしてひょっとすると、これぞ、時代の空気ってものなのかもしれないな、などと思った。「アレ」と「コレ」という対立するものがあったとき、コレを取ってアレを捨てたり、アレを取ってコレを捨てたり、できない。必ず、アレとコレから新しい「コンナノ」を作ろうとしてしまう、そういう態度のことだ。しかし、いまこの現代に生きていて、この態度が必ずしも正しくないようにも思え、やはり思想というものにもジェネレーションというのがあって、交代したり循環したり回帰したりということが起こるんだろうな、と思ってみたりね。