上野の国立博物館へ遊びに行ってきた。
この前、科学博物館へ行ったときもそう思ったんだけど、展示がずいぶんとグレードアップしたね。10年ぐらい前にここ博物館へ行ったときのことをよく覚えているんだけど、埴輪のたぐいなど、やたら無造作に所狭しと並べてあって、印象から言うと倉庫かなんかに適当に並べたみたいにいい加減に見えた。
その昔には、ここへは、たしか一人で来たんだっけな。自分が子供のころからおなじみの埴輪のあの稚拙な造形が、こんなにいい加減に、雑に、並んでいて、さらに見物客などほとんどおらず、展示室をぼんやりとうろつきながら、何とも形容しがたい気持ちになったのを今でも思い出せる。
ああ、君たちは、こんなところに、こんな風に人にもろくに注意を向けられずにひっそりと並んでいたのか、みたいな、そんなことを思ったんだっけ。まあ、勝手な感想なのだが、そのせいで逆に、これら埴輪たちが自分の心のすぐそばにあるように、妙に感じたんだよな。道を歩いていて、ふと道端を見ると雑草が花をつけているのを見つけた、みたいなね。
これまた、ずいぶん昔に自分が思ったことなんだが、改めていま見てみても、この埴輪たちの造形の稚拙さには驚く。おそらく世界をいろいろ探しても、ここまで稚拙なものは無いんじゃないかと思った。僕ら現代人は「稚拙」という言葉を発したとたんに、「稚拙さから脱出した成熟した表現」というものをイヤでも想起してしまうのを抑えられないように出来上がっている。
しかし、この埴輪の造形に現れている稚拙さは、そういう現代人ゆえに逃れることのできない一種の自意識から完全に自由だ。それが、痛いぐらい、感じられるときもあるのさ。
歴史的に言うと、埴輪というのは古墳時代の代物だ。この後、聖徳太子が出てきて、日本は一気に朝鮮一色に染まってしまうわけだが、そのような文化の進展の直前に、土着の日本の魂が稚拙な埴輪の造形になって古墳の中に埋められて、そして永遠に生き続ける。これら白痴的な心を持った埴輪たちが埋められた古墳の盛り土の造形は、まさに妊婦の腹に見えないだろうか。
あと、この時代に流行したもう一つの造形である勾玉だが、何度見ても、この形は胎児そのものだ。しかも、母の胎内の中で、人間と魚がまだ未分化な時期の形態をとらえて、この勾玉の形が設定されている。
現代人というのは、まあ、因果なものだ。現代人は色々なものを知りすぎていて、その染み付いてしまったものを捨てることはきわめて難しい。自身をむなしくすることなど、ふつうは不可能に近い。しかし古代を理解するには、そういう難しい行為がどうしても必要だ。
そんなとき、こんなヘンチクリンなハニワみたいなものが目の前に現れることは、いいことだ。一瞬かもしれないが、自分の心が、この偏狭な現代から自由に羽ばたく本能的な感覚がやってくることがあるんだ。あくまで一瞬なのだが。
自分についていえば、恐らく、十数年前、少なくともゴッホの絵画については自分はそれが出来た経験がある。これは途轍もない無二の経験だったのだが、今の自分は、大切なものについては何事もそういう経験の記憶を元に判断する。
今では、ああいう経験をじかにすることは、もう、難しい。歳を取ったというのもあるかもしれないが、経験や思考や思想にも年齢がある、ということだ。
脱線したな。何が言いたかったというと、展示が立派になったということ。ビックリしちゃった。お金もずいぶんかかっただろうな。
ああ、そうだ、あと、広重の雨の橋は見事だったな。本物を初めて見たよ。この絵はゴッホが油絵で模写したので期せずして有名になったけど、ゴッホのはいただけないが、版画のこれは素晴らしい。遠景をスケッチした後に、そのデッサンとは造形的に一切なんの係わりもない線を画面いっぱいにまんべんなく隅から隅まで引きまくって、これを「雨」と、するとは。なんという奇抜なアイデアだろう。
これを見てはっきりするのが、遠景にある川、岸、渡し舟、橋、雨合羽をかぶって橋を渡る人々、といった対象物と、「雨」というもう一つの対象物を一体のものとみなしていない、ということだ。2つの異なった概念の間に「すき間」があるのだ。日本の浮世絵、あるいは他の造形でもいいのだけど、この「すき間」が一番目に付く。日本の造形物をあれこれ見ていて、日本では造形上の「間」を重視する、ってのは誰でもみればわかることだが、概念どうしのあいだにも「すき間」がある、ということに気をつけるべきじゃないだろうか。
そんなことを、(見た後に)、しきりに思ったよ
オレの祖先の日本人たちは、一体どういう精神を持っていたのだろう、そして、その精神は今のオレのどこにどんな風に生きているんだろう。
大好きな地獄草子も病草子も展示されてなかったな。最後にインフォメーションのおばちゃんに聞いちゃったよ。すいません地獄草子は展示されてないですか、とか言うのが何となく照れくさかった。国立博物館にはそれらが収蔵されているのは知っていたからね。
地獄草子の代わりに今回は閻魔大王に断罪されて鬼に責められる罪人を描いた絵が何枚か、あった。鬼たちに、斧で腕を切り落とされたり、かなてこで舌を抜かれたり、首かせを嵌められたままくびり殺したりされたりしている罪人たちがたくさんいた。なんだか、日本のこれらは、どうしても地獄とかいうあの世にあるんじゃなくて、娑婆に見えるんだよな。
これは自国のことだからなのかな、日本の作品はどんなに荒唐無稽なものも、どいつもこいつも自分の目には、娑婆の出来事に写る。何と言うか、これらを見て、理論的に要約できないんだよ。いや、うまく表現できないな、つまり「理論にして自分と切り離せない」というか。
ここから後はオレの勝手な解釈だが、もし、地獄の罪人と娑婆で生活している自分が、滑らかにつながっているのだったら、まず自分の生活原理を追求して極めて、次に、それを延長すれば、いくら遠くにあろうと自分とつながっている地獄の罪人をやがては「解釈できる」と考えることができる。
物理で言うんだったら、自分の身の回りを徹底観察して微分して関係を見つけ、それを元に微分方程式を立てて、それを自分の世界の理論を使って積分して、解法を見つければ、遠いかなたにある地獄の罪人の事情もそれで理解して把握が可能だ、ってことになるだろ?
でも、日本は、違うんだ。地獄の罪人と娑婆は滑らかにつながっていない。さっきの浮世絵じゃないが「すき間」がある。だから、地獄の罪人は永久に把握が不可能な存在として見えるんだな。ところが、そのくせして、あるいは「それゆえに」地獄の罪人はそんなに遠方にいない、ってことになる。遠方どころか、すぐ近くにいる。したがって、地獄が娑婆に見えるんだ。まさに、誰の言葉だか、「仏トナ名ノ無キモノノ御名ナリテ」そのものだ
うーん、うまく説明できない。
自分はヨーロッパ絵画についてはわけ知りなんだが、あそこは、なんだか現世も来世も何もかもつながっているようにみえちゃう。そして、みなで一生懸命統一理論を探そうとしている。なんで統一しようとするか、というと、そもそもの最初からそれが「できる」という勝算があるからだ。
でも、日本の造形をあれこれ見ていると、まるで逆にことを感じる。統一するという勝算自体がない。あらゆるものの、あらゆるもの同士に、すき間がある。だから統一理論を作るのはハナから無理なんだ。
その代わりに、何があるかというと、すべてのものは厳正に区別されたまま一体になれる、という一種の信頼感と安堵感だ。
でも、まあ、これは自分が日本人だからそう感じるんだろうな。
それにしても、自分は、アジアを愛している。そのかわりヨーロッパにはあこがれる。ヨーロッパは寛大だ。理性という切符さえあれば誰でも仲間になれるようなおおらかさ、大きさ、強さ、のようなものがある。それに対してアジアは、アウトサイダーが中に入ろうとしても入場切符がない。もちろんオレはすでにアジア人なので、大丈夫、そのまんまで仲間なんだ。
はてさて、なんでオレはこんなわけの分からん長文を書き飛ばしているのか、というと、何だか、精神が安定しなくてね、ここさいきん。特段に落ち込んでいるわけでもないのだけど、前の日記みたいに不穏なことを書くよりは、こういう内容の方が罪がなくて、いいだろ?
ああ、オレに小説が書ければな。脇役かなんかにむちゃくちゃな放言を言わせて、それで、しばらくしてから小説の中でそいつを殺しちゃえばいいんだしな。なーんて
もういい加減にやめて、寝るか。
おやすみ!