先日、国立新美術館へゴッホ展を見に行ってきた。一応、ここに感想を思いつくままに書きとめておくことにする。

かつて僕が初めて見たゴッホ展は1985年のこと。あれ以来、ゴッホ展は、小規模であれば何回かやっていたように思うけど、結局、それらへは一度も行かなかったような気がするな。今から25年前に、当時25歳だった自分が見たあの衝撃的な彼の絵画の数々で、もうほとんど十分だったともいえるし、いや、むしろ、今から15年前にゴッホに関する本を書き上げて自費出版した時点で、もう、彼の絵を改めて見る必要もなくなってしまったということかもしれない。

それが、今回は、久しぶりのことでもあるし、まあ、行ってみようかな、と軽い気持ちで出かけたのである。なので、特に期待することはなく、気楽に彼の絵を見ることを楽しもう、というわけである。

平日の昼だったので幸い待ち時間もなく入れたが、会場内はさすがに混雑していた。順路にしたがって一枚ずつ見ることはせず、よさそうな絵を見つけては列に適当に割り込んでながめた。ところで最近は、あの例の説明用ヘッドフォンをつけた人が多く、そのせいもあって列の混雑がなかなか掃けない感じもあるね。ま、別に文句言うつもりはまったくないのだが。

展示会場は、一応、描かれた絵が年代順に並んでいたのだけど、入り口を入ってすぐのところに、一枚だけ、彼の晩年の絵がかかっていた。さすがの自分も、会場に入ってすぐに目に入ったこの絵の前に立ったときは、ほんの短い間だったけど心が震えたね。すぐ平常に戻ってしまったが、そこが25年前と違うところだ、当時は、ほとんどずっと茫然自失状態だったっけな。



ゴッホが晩年に住んだ土地は、北フランスのオーヴェール・シュール・オワーズというところである。まあ、彼は自殺して死んだので、晩年というのも変な感じだ。その前にいた土地は南仏のサン・レミで、そこでは彼は精神療養所にほとんど監禁状態で、ただ絵を描くことは自由だったので、日がな、ひたすら絵を描いて過ごしていたのだった。そして、あるとき、療養所を出る決心をし、やってきたのがここオーヴェールだった。監禁状態から開放された彼は、オーヴェールの土地に降り立ち、そこで、まさに開放された自由な空気をいっぱいに吸い込んだのであった。

オーヴェールで絵を描いていた期間はほんの三ヶ月足らずなのだけど、ここで描かれた画布の数々をオレはどれだけ愛していることだろう。それも、それほど有名でない、変哲ない、ほとんど名も無い画布とでもいえそうな作品に素晴らしいのがあるのだ。

今回、心が騒いだのは、そのオーヴェールで描かれた変哲ない積み藁の絵だった。この色彩は見れば見るほど、心底、素晴らしい。縦長のカンバスの上から、空の白、積み藁の黄色、水溜りの青、地面のくすんだ緑が縦に並んでいる。この絵、黒い線で引かれた2,3羽のカラスと題名がなかったら抽象画にしか見えないかもしれない。

オーヴェールで描かれた絵は、どれもこれも同じ色で描かれている。どんな絵でも、どんな主題でも、何であろうと、すべて同一のコンポーネントの組み合わせだけで構成されている。なので、たとえばこの積み藁の黄色の筆触は、別のまったく主題の異なる絵でも、そのまま使われている。このころの彼は、あらゆる絵画の内容をすべて同一のスタイルに還元して表現してしまう。しかも、そのやり方が、これが本当に呆れるほど正確なのだ。

この絵、かなりしばらく見ていたが、やはり、色彩の美しさと、その色彩が、主題とまったく思いがけないような仕方で結びついている様子が、神秘的そのものだ。

そんなわけで、この晩年のゴッホ、このオーヴェールのゴッホは、目の前の主題である「自然」をたった一つの「視覚」で絵画に移し変えているのじゃないのだ。独特のやり方で、創造主のような視点で、自らすべて造り出しているように見える。彼がその世界を創り出すときに使っているほんの数えるほどの部分品が、例の色彩だったり、筆触だったり、構図だったりしている。

いや、それにしてもね、たとえばこの絵の一番下の土の部分に塗った4つほどの中間色を見てよ。なんと絶妙にこれらが調和していることか。それで、それが、あの大きな画布の隅々まで調和しているんだからね、たいしたご馳走の山だ。

さて、一枚だけ飾られたオーヴェールの絵の後は、彼の昔のオランダ時代の絵が並ぶ。寒々しい北方の風景、炭鉱の絵や、百姓の絵など一貫して暗い色彩で描かれていたころの絵だ。

その中でも自分的になんじゃこりゃーと思ったのは籠いっぱいのジャガイモを描いた絵だ。籠もジャガイモも背景も、すべてが「泥色」で描かれている。このジャガイモは、かの大地に生え、そこにまるで家畜かなにかのように土地に縛り付けられた百姓と呼ばれる人間たちがいて、彼らが泥まみれになって引き抜いて収穫してきたジャガイモだ、君たちにこの意味が分かるか? とでも言いたげな風なジャガイモの姿が目の前にある。絵に託したモチベーションが大きすぎ、絵がもうあまり絵じゃなくなっちゃってるように見える。



このジャガイモは、もう、ほとんど、泥の塊だ。ここに描かれたジャガイモだって、蒸かして中を割れば白く柔らかな中身が湯気を立てて、塩でもかけて頬張ればとってもおいしく食べられる、はずなのだけど、この絵はそういう方向へは決して向かっていない感じだ。

ジャガイモという対象に対して彼が覆いかぶせるモチベーションが大きすぎるのだ。そのモチベーションは、聖書にある「なんじの額に汗をして食うべし」という文句そのものだ。そのせいで絵が絵じゃなくなってしまっているようだ。この事情は、このジャガイモの絵だけじゃなく、その横に並んでいた、農夫の頭部も、風景画も、ジャガイモを食べる一家の絵も、全部だ。これらは、すべて絵というよりは頑なな情熱のかたまりにも見える。

実は、展示会の最初に目に入った晩年のゴッホがオーヴェールで完成させたあの一枚の絵と、この初期のジャガイモの絵の2枚の絵を見て、比べて、思うところがあった。それは、彼が対象に被せた「何か」が大きすぎる、ということだ。そして、その事情は初期も晩年も実は変わっていなかったんじゃないだろうか、ということだった。初期では聖書の文句だったが、晩年ではそれは彼が理性をすり減らすような絶え間ない画家としての努力の中から取り出してきた「色彩」だったからだ。

彼の芸術は、やはりどこかが分裂している。初期においては対象と人間的思想、晩年においては対象と画家的スタイル、これらの関係で後者、つまりモチベーションが大きすぎて対象を壊しかねないところまで行ってしまっていることだ。

初期のジャガイモの絵では、このジャガイモは食うことがかなわないような代物に変じてしまっているし、晩年の積み藁の絵では、この風景の中に人がいてもくつろげないような特殊な光の世界に変じてしまっている。

そんなわけで、やはり、ゴッホの絵というのは、どことなしに解体を思わせるところがある。「対象」を「解体」するという構図をどうしても思わせてしまうものがある。当時、セザンヌやルノワールなどがゴッホの絵を認めなかったのはさもありなんと思う。たしかルノワールは、ゴッホの絵には画家が絵筆によって対象をいたわっているところが無い、みたいなことを言っていたはず。

実際の話、ゴッホのそんな解体を思わせるところが、極めて現代的だともいえる。かの時代ではこれは早すぎたのであろう。

しかし、ゴッホの立ち位置の微妙なところは、芸術界が解体へ向かって行くそのちょうど始まりのところに位置していて、「解体を予感させる」というところにあくまでも留まっているところだ。

あと、絵画芸術に対する大きすぎるモチベーションを、無邪気にもっとよい意味で捉えれば、それは絵画の表す文学的な情熱の大きさと純粋さ、ということになり、非常に一般受けするモチーフになる。そこに解体を見るのか、文学的情熱や野心や純粋さを見るのかで、ゴッホへの反応は正反対にも変わるように思える。

僕は後年の表現主義の、たとえばフランシス・ベーコンが実は好きだが、明らかに彼はゴッホの仕事に「解体」を見たのだと思う。

考えてみると、ゴッホという人は変な人だ。弟のテオはヴィンセントを評して、彼の中には正反対な二人の人間が同居している、心優しく寛大な人間と意地悪くいらいらした人間だ、みたいに言っているが、ゴッホの創り出した芸術にもそういうところがあり、後世の人々がヴィンセント・ヴァン・ゴッホから受け継いだものも、そういう正反対な二面性が見て取れるように思う。

さてと、その後には、今回運ばれた絵の中では一番有名だと思われる、南仏のアルルで描かれた「寝室」がかかっている。



ふん、これは、見事だ。他に言いようもない。

前述の、ジャガイモの絵と積み藁の絵に現れた解体的なものは、実はこのアルルでの一連の絵の中にはあまり感じられないのだ。思うに、やはり、ヴィンセントその人が、ここアルルでの生活が「幸福」だったからではないだろうか。もちろんアルルの熱狂はゴーギャンが到着して最高潮に達し、ほんの二ヶ月ほどで、破局、耳切り事件、精神病疾患、という最悪の事態で幕を閉じるのだけど、この「寝室」も含め、アルル時代の傑作は、ほとんどことごとくヴィンセントが熱狂と幸福の絶頂にあった期間に生まれた作品なのだ。

例の「解体」はこの「寝室」の絵の中にも、よくよく見れば見えないことはないけど、それより何より幸福感から来る「充実した明晰さ」みたいなものが絵を支配していて、そちらの力の方がはるかに大きい。

今回の展示会のアルル時代の絵で、自分的にお勧めなのは「玉葱のある静物」である。これは、またまた見事な画布だ。この絵は、彼がアルルで耳切り事件を起こし、一時病院に収容され、そこから自分の家に戻って来てまもなく、まだ精神の動揺が収まっていなかったであろうころに仕事を再開し、そして塗った画布の一つなのである。



そう思って見ると、光景がなんだか寂しげに見えたり、芽の生えた玉葱と本や蝋燭などの取り合わせがいわくありげに見えたり、するだろうか? 

いやいや、でも、そういう先入観なしに見てみると、これほど、いわゆる洒脱な、軽いタッチの、さりげない色彩の調和、そして何より、まるで内側から光を発しているような色彩の美しさはほとんど稀有のものだということが分かるはず。なんだか、これを見ていると、このまま照明を消してもこの画布は光り続けているんじゃないか、と思えてくる。あれほどの不幸があった後でも、彼がアルルの労働の中から掴み取った芸術的境地はまったく無傷だったということがよく分かる絵だ。

この作品は、決して有名な大作ではなく、むしろ習作に近いのかもしれないけど、アルルの絵の中では自分は一番好きな絵かもしれない。いつまで見ていても見飽きないんだ。

さて、この後は、アルルの次の土地であるサン・レミで描かれた何枚かの絵がかかっているが、いずれも素晴らしいものだ。

この展覧会のサン・レミの絵で、特に僕がお勧めなのは「渓谷の小道」である。これまた呆れるほど見事だ。さきの玉葱は小品といった味があったが、こっちは大作だね。この大きな絵の隅々まで、特に近寄ってみると、どこをどのように切り取って見てみても、筆触の色彩の調和は完璧で、ただの一箇所も傷がない。そして、それら色彩と筆触が、プルシアンブルーの輪郭線の畳み掛けるような曲線の作る空間を埋めている。少し離れてみると、このデッサンの線と色彩の面が作り出す風景の全体が、なんだか夢の中の光景のように、奇妙な、実に奇妙なリアリティを持って心に残るのである。



近くに寄って筆触の色彩の調和を楽しんで、遠くに離れて奇妙なリアリティを楽しむ、と、一枚で二度楽しめるのもゴッホのいいところだね。

この絵は、たしか、当時の中央で行われた展示会にかけられ、ちょっとしたセンセーションを巻き起こしたらしい。ゴーギャンも素直にこの絵の素晴らしさを賞賛した言葉をヴィンセントへ書き送ったはず。ただ、これを描いたヴィンセント本人は、孤独のうちにサン・レミの療養所におり、今の自分には中央へ出て人と交流する自信がぜんぜん無い、と、賞賛を喜びながらも書いていたはず。時代はこのころ徐々にゴッホの芸術を理解し始めていたのである。

そして有名な花瓶に挿したアイリスの絵がある。これもお見事。

しかし、僕のお勧めはその次にかかっている風景画である。これは2本の木の幹が並んで生えている地面を書いたまったくに平凡な絵だ。ゴッホはよく、こういうへんちくりんな構図を使う。地平線が見えてなくて、ただ下を向いて地面を描いている。しかも地面には、土や雑草や野花が乱脈に生え落ち葉がその間を埋めているような、とにかく乱雑なもので、それを筆触と色彩でめったやたらと埋めている。それがまず見事。



そして、この絵には見どころがある。それは画面の左側を占める、地面から突き出た2本の太い木の幹である。この幹の描き方は、ちょっと近寄ってみると驚異的である。茶、白、青、オレンジ、といった色を縦に樹皮を裂いたように乱雑に並べていて、何と言うか、近くに寄ってみる限り、とてもとても木の幹の色とはほど遠く、どっちかというとたとえばピカソのキュビズム時代の「泣く女」みたいな、ああいう色の並べ方なのだ。それが少し離れて見ると、リアリティのある幹に見えてしまう。これはほとんどマジックだね。

それではっきり思ったのが、この幹の部分だけ取り出して、大きな画布に引き伸ばせば、そのまま現代美術になる、ということだ。もう、これはほとんど抽象画なのだ。それなのに、ゴッホにあっては、まだかろうじてこれは風景画なのである。しかし、ここからジャクソン・ポロックやロスコーへは、あとほんの一歩である。

それにしてもどこをどうしたら、ああいう色の並びがああいう風な視覚効果に見えるのか不思議である。ゴッホはどうやってこれを発明および発見したんだろうか。まあ、その回答は、絶え間ない絵画技術についての研究の果てだった、という単純なものにならざるを得ないだろうが、それにしても、やはり天才だったのだろうか。

天才に決まってるだろ、というかもしれないが、ゴッホをわりと隅々まで知っている自分としては、天才、という言葉がゴッホからちょっと遠く感じられるんだな。率直に言って、この人、あんまり天才っぽくないのである。彼の行動を見ていると、どう考えても努力の人である。ただ、その努力の仕方が尋常ではなく、ほとんど脅迫されているように努力するのは確かだ。

まあ、天才とは1パーセントの才能と99パーセントの努力である、という言葉は誰が言ったものか知らないが、これは「天才は努力するから成就する」と解釈すべきじゃなく、「天才は努力を強要されている」という意味だよね。で、努力を強要されているうちに天才として花開いて何かを成就するってわけだ。1パーセントていどの才能だったら、まあ、どこの誰にだってあるけれど、努力を強要されるように行動する人はほとんどいないものだ。

努力してラクになる人や、ラクしたいから努力する人や、努力そのものが努力になっちゃう人や、努力が中毒になっちゃう人は山のようにいるけれど。小林秀雄もどこかで、凡人は努力してラクになるだけど、天才は努力して苦しむものだ、みたいに言っているしね。

さて、と、このゴッホの場合、以上の事情のまるで典型的なお手本みたいな人生を送った人だ。

彼の1パーセントの才能は、オランダで農民や炭鉱夫ばかり描いていたころから確かに見えているが、これが晩年に花開くようにはあまり見えない。彼のデッサンは独特で、ヘタ一歩手前、というかヘタかもしれない。少なくとも絵画の学校においてはそうだっただろう。案の定、ひところ絵画塾みたいなところへ通っていたそうだが、先生の批評は情け容赦ないもので、ほどなくして辞めてしまっているはずだ。

ただ、その当時から、見間違えようのないゴッホ独特のデッサンの癖があることは確かで、それは確かにきわめて大切なことだろうね。まあ、なんだかゆがんでいるんだ。ただ、このゆがみが後年、ああいう歴史に残る独特なスタイルに変じることは、恐らく誰にも予想できなかっただろうし、ゴッホ本人にも予想できなかっただろう。生きているものの不思議である。こういってよければ生命の進化の不思議そのものだ。

以上のような想念が自分にあるので、ゴッホの晩年のデッサンに自分は生命進化みたいなものが見えてしまう。ベルグソンの言う創造的進化がそのまま紙の上に見えているような印象を受ける。今回の展示会では、サン・レミで野良仕事をする農夫のデッサンと、オーヴェールで描かれた変哲ない茂みのある道を歩く女のデッサンが展示されていたが、あまりのすばらしさと不思議さに、しばらく見入ってしまったよ。



どこをどうしたら、こういうデッサンの形態が生まれるのか、本当に不思議に思う。労働者を描いたデッサンでは、野良仕事の際にいろいろな格好で体をくねらせる人々が描かれているのだが、それが、いくつかのボールとチューブの連結によって単純化されて表現されている。本当に奇妙なデッサンである。このあたりの人体変形の様子は、これまた容易に後年のキュビズムなどなどの現代美術と通じている。

見ているとなんだか、時間軸というものがなくなっちゃって、長い長い進化の歴史を、時間軸とぜんぜん違う方向から眺めているような気分になる。僕らは進化論というものをほとんど常識として身に付けている。それは、時間を追って、生命体が変異と淘汰と適応によってその姿を変え、新しい形態を作り出して行く、という構図である。逆に、僕ら現代人の脳は、そういう時間順の因果律でものごとが進行して行く、という偏見を振り払って追い出すことが、ものすごく難しいようにできている。

しかしだ、そういう進化論的な見方とは、また、ぜんぜん全く異なる生命の風景というものは、絶対にあるはずで、特に古今東西の宗教はそれを色々な形態で表現している。科学的事実というものに囚われてしまっている人には、そういうものは見えない。見えないのを通り越して、それらを軽蔑して排除するようにすら、なってしまう。これは悲しむべき現代の軽薄と驕りだと思うが、いまのところ仕方のないことだ。

それで、そんな時代に生活して、それで、このゴッホの奇妙なデッサンを目の前にすると、まるで、進化論など噂にすら知りません、とでも言いたげな形態が紙の上に定着していて、生命や進化の神秘そのものが、くねくねとした線や、ボールとチューブでできた奇妙な生き物になってそのまま見えているような気になるんだ。

展示会はオーヴェールで描かれたこの奇妙なデッサンと、医師ガッシェを描いた小さなエッチングで終わっている。

やはり、来てよかったな、いい展覧会だった。今回、こんな文章を書き飛ばすにあたって、主に、さいきん自分が哲学をやたらと勉強しているせいでそちら寄りの感想ばかりになってしまったが、ゴッホというこの類まれな人物の、美と芸術に対する度外れた憧憬と情熱について、本来はもっと感じるところがあっていいはずだ。

今回僕は、ここに書いたように、奇妙な解体を垣間見せるゴッホの芸術、という視点をことさらに取り上げた。しかしながら、これとまったく同時に、人間社会の芸術による現世的調和を恐ろしいほどの情熱で希求したゴッホというかけがえのない人間がいた、ということに対する憧憬と尊敬の念だけは常に感じている、ということだけは言っておきたい。

そうしてみると、いろんな意味でゴッホという人は、共同体の解体とそこからの開放という現代的成り行きへ至る、近代の最後に位置した、最後の古典的人間のなかの一人だったようにも思えてくる。

ゴッホ展は、12月で終わってしまうが、このあと地方へ行くそうだ。六本木の中心から少しだけ外れたところにあるこの国立新美術館はなかなかにすばらしい立派な建物で、あたりの空気も素敵なので、それだけでもふらりと立ち寄る価値はあると思う。