ツレヅレグサ・ツー ッテナニ? |
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USアーミー
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土曜日にたまたま米軍座間キャンプの辺へ行ったら、日米友好桜祭りみたいのをやっていたので、思わず入ってしまった。けっこう大々的で、お店もたくさん出ていて、アトラクションもバンドもやってて、日本人、アメリカ人とも人出も多く、実はかなり楽しかった! そういや、ちょっと前まではアメリカ嫌いで、そのくせブルースが好きで、結局アメリカのヤッピー層が嫌いで、どうのこうのと面倒なことを言っていたが、もう、いいかな。USアーミーの制服を着て、あれこれフェスティバルを運営したり、楽しんだりしてるアメリカ人たちを見ると、なぜだか単純にうらやましくなったりした。ちょっとばかり軽率なことを言えば、アーミーの仕事って目的が単純でいいなあ、と思って。厳しい軍の仕事の合間に、こんなパーティーが時々あって、それで、飲んで、歌って、踊って、しゃべって、笑って、それで明日に備えるってわけだ。アメリカ人って、なんか、やっぱり明るいね。アーミーバンドがノリノリでディスコメドレーなんか演奏してるのを見て、ホントそう思った。 アメリカのハンバーガーって僕はウマイと思うんだけど、あれの種明かしって、牛肉を塩だけで練って他に何も入れず、直火で焼くってだけなのね。それをパサパサのパンに挟んで、ケチャップとマスタードをかける。それだけ。まったく粗野で、繊細のかけらもない食い物だけど、あれは旨いね。それで、こいつを食いながら、キンキンに冷えたMiller Lightなんかを飲んでたりすると、もう最高の気分! 僕が一番好きなブルースマンのマジック・サム、その彼の名盤中の名盤のウェスト・サイド・ソウルなんだけど、学生時代にLPをすり切れるほど聞いて、そのうち誰かに貸したままか紛失、で、カセットに録音してあったので、それもすり切れるほど聞いたけどなぜか紛失。それからずいぶんたって古レコード屋でLPを見つけ、買ったけど、それもいつの間にか紛失。というわけでなぜか無くなってしまうサムのこのアルバム、この前、ふらっと入ったCD屋で、またまた購入した。家に帰って聞いた、サムのミディアムスローのI Need You So Badはむかし聞いたときとまったく同じように、ものすごいリアリティでブルースの心を語っていて、強烈に共感した。魂が震えるって言うかね。67年のシカゴのWestSideゲットーのブルースマンの魂と、海を越えて時代を越えて日本の小さな駅前に住んでる魂が共感して震えるって、不思議だな〜 なんか、特殊な電波が、時間も空間も越えて伝わるんだろうね。オレは宗教を持ってないけど、ほんとブルースを持っていてよかった、とさいきん思うことが多くなった。ぜったい磨り減らない、ぜったい変わることの無い心だね ある人に、林さんのギタースタイルは、一体どうやって今のようになったんですか、と聞かれて、思い返してみたのだけど、これというものが思い当たらない。でも、よく、ジャムで人のギタープレイを聞いたり、好きなギタリストの演奏を聞いたりして、つくづく思うのが、演奏への「気」の入れ方である。これは特にブルースギターの場合だけど、フレーズなんて極端に言うとなんでもよくて、いかに出ている音の隅々にまで、気持というか、気遣いというか、注意力というか、気合というか、魂というか、そういうものが入っているかが重要みたい。 たとえば、5音から成っているひとかたまりのフレーズがあったとして、これを譜面に書いてコンピュータに演奏させて、これを聞いたときに、聞き手が受け取る「モノ」の量が1だとすると、どんな下手なギター弾きでも人間が弾いたのを聞いて受け取るモノは10ぐらいにはなる。これが、弾き手が変わると12になったり、20になったり、100になったりする、ってわけ。ということは結局「5音から成るフレーズ」なんてこれはただの「符号」に過ぎなくて、人間が繰り出す「フレーズ」は生きていて、常に、その時々に応じてぐにゃぐにゃと形を変えてるものだってことなんじゃないかな。 たった一匹の小さなアメーバーだって、ある瞬間に、ある環境の下でとる形って、途方もない宇宙の大きさと長さの中で、たった一回で、二度と同じ形は取らない そんなようなものなんじゃないかな。 団塊パンチっていう雑誌が創刊するんだってね。いやー、そんな名前の雑誌、団塊の人も、団塊じゃない人も、本屋さんでレジに出すの恥ずかしい! って思っちゃったけど、どうなんでしょ。それで、2chのぞいてみたら、出るわ出るわ団塊の悪口(ま、あそこって悪口以外あんまり無いけどね) 思わず面白くてスレ一枚全部読んじゃったよ。なんかね、この団塊パンチ創刊号の目次見ると、「未来は後方にあり〜60年代総力特集」とか「キャロル」とか「ジャニス」とかいう言葉が出てきて、ちょっと「ワル系」をねらってるみたいな感じ。編集長の言葉が、「蕎麦打ちとか帰農とか豪華客船とか、そういうのじゃない生き方もあるだろうと提案してみたい」っていうんだから、なんか、高学歴、出世勝ち組、金持ち、悠々自適、の団塊を「ふん、あいつら、チクショー」って横目で蔑んでるタイプの団塊ねらいなのかな。でも、悪口オンパレードの2ch見ていて、これぐらい「突っ込みどころ満載」の雑誌を出しちゃう、ってのもいいかもしれない、と思った。いろんな人が記事の一つ一つにいちいちケチをつけて、その悪口と記事を並べて読んだら面白そう。しかし、このノリで行くと、ほどなく「黒人ブルース」も出てきそうだし、「真空管」も来るかな? 真空管はちょっと通ぶっててダメかな? 「中国B級メシ」も出るかな、あと、シリアス系むかし文学ってことで「ドストエフスキー」なんかも来るかもしれない。ということになると、オレのカバー分野って、けっこう団塊パンチしてるかもな〜 ははは ようやく引っ越しが終わって、新居でひとやすみ それにしても、40歳を過ぎてから、オレって何回引っ越ししてるんだろう? 今は、上野毛にいて、広くて、日当たりが良くて、静かで、緑が多くて鳥の声が聞こえる、環境的にはとても贅沢なところにいる。しかし、6年前には、三茶の奥の方で、40過ぎだってのに1DKのせまーい部屋で独り暮らし、って、これって当世の学生以下だよな、と回りに自虐的に言いふらしていたのに、なぜだか、今はこんな所に居る。なんでだろ? 考えてみると、今までずっと、計画というものをほとんどせずに生きてきたのだけど、たまたま偶然にこんな風になった。何せ、ほんの一年ぐらい前のブログには「計画しないで生きれば、その人の人生はその人そのものになって行くはず。それで、こんなに最悪な生活してる、となると、オレってそういう最悪な人間だったんだな」みたいなことが書いてある。人生って、不思議なもんだなあ それで、さいきんよく思うんだけど、計画せずに生きてるヤツって、ホントに、はた迷惑なんだろうね。もう、さんざん回りに迷惑を撒き散らして生きている。だってね、計画する人は「他人に最低限の迷惑がかからないように」計画するでしょ? ふつうの人なら。それをしないわけだから、あるとき突然、多大な迷惑を他人に押し付けることになるわけだ。オレも50歳を目前にして、さすがに最近このことに思い当たり、自分が他人にさんざんお世話になって来たことを、ようやく痛切に感じるようになった。とはいえ、人間の性格っていきなり変われないから、この先もこの調子だろうなあ。その代わり、とにかく、なんであっても恩返ししないとね。 とかとか言うことを書いてるとね、晩年の親父の生き方を思い出す。結局のところ、オレも親父の息子ってことか。むかしは、親父のように生きるなんてイヤだイヤだと思ってきたけど、抗し難く親父的な人生になってくるね。うーん。ただ、親父と違うのは、お袋が半分入ってるってことかな? さあ、この人生、丁半どっちに出るんでしょうね??(笑) 新しい家と、会社の間は、自転車で行き来している。そのちょうど真ん中へんに、20メートル四方ぐらいの土地に、低めの木が整然と、びっしり植えられたところがある。これは、なんだろう、栗の木だろうか。人の背丈よりちょっと高めで、ずいぶんと下の方から枝分かれする、ちょうどオリーブの木のような枝ぶりである。整然と並んでいるんだけど、その横を自転車で通ると、視点が移動して、木の枝ぶりが地面の上で複雑に交差して見える。 この光景に、いつも見とれちゃうんだな。この、木々の枝が交錯する様子の、その奥に隠れた意味を本当に描き出して見せたのは、ゴッホだね。僕は、彼の絵を見るようにして、これらの木々を見ている。本当に、密やかな、目立たない、ひそひそした声なんだけど、ものすごく古い感情なんだな。こういう声には、嘘がないね。真実しかない。なにせ、言葉では、まったく形容できない何ものか、だからね きのう、銀行の待合室でたまたま見た雑誌に人生相談があって、僕と同い年ぐらいの女性の哲学者が回答者になっていた。まだ若い相談者いわく、社会人になって、ちょっとしたことだけど、間に合わせに頻繁に嘘をつくようになり、自分で、これでいいのか、と悩むようになったそう。それに答えて「あなた、言葉というのはそもそもが嘘なのです。それをはっきり分かっていれば、嘘をついたことなど気にする必要はまったくありません」とのこと。本当に賛成だ そんな嘘で出来た奇怪な言葉の世界に僕らは、生活して、仕事して、苦労してるわけだけど、そんな合間に、ときどき、まったく嘘のないものに出会うと、そのときだけ、意識がどこかにワープしたみたいな気持になる。不思議だね 今から15、6年前のこと、なんだか忘れたけど、学会でなんかを受賞したことがあった。たいしたもんじゃなかっただろうけど、賞は賞だから、北海道で開かれた授賞式へ行って、表彰状ってのをもらった。さて、式の後は懇親会。いくらか飲んで、すすき野へ、それでたぶん仲間内としこたま飲んで、それが解散したあと、僕は裏町をうろうろしたあげく、なんか地元のスナックに独りでふらふらと入ったらしいのである。スーツ姿で、表彰状の入った筒を持って、スナックでさらに飲んだくれていたようである。そこには、おばちゃんが2人ぐらいいたような気がする。おばちゃん相手に酒を飲みながら、僕は、さんざん、仕事なんか下らない、とか、学会なんてバカらしいとか、管を巻き、最後の最後に、筒から賞状を出して、「こんなもんいらん!」とか言って、お店の床に放り投げた。おばちゃんが、「リンちゃん、そんなことしちゃダメじゃない」(オレをリンちゃんって呼んでくれって言ったらしい 笑)って言って拾ってくれたけど、「いらないから、適当に捨てといてくれ」とか言って受け取らなかった。それで、へべれけ状態でお店の出口を出た僕に、おばちゃんがやってきて、「ね、リンちゃん、ちゃんとこれ持って行きなさい、ね」と言って、いつの間にか賞状を入れてくれた筒を僕に手渡した。僕は、「ふん、分かったよ」とか言って筒を受け取って、「じゃあね」と手を振って、歩き出した。裏通りをホテルに向かいながら、筒から賞状を出して、「ふん、なんだ、こんなもん」とか言って、まず、筒を、ぽん、とあたりに投げ捨てた。それで、賞状は、というと、しばらく見て考えて、「ま、いいか」って言ってカバンにしまった。このへんがオレの中途半端で、かつ、ちゃっかりしたところで、結局は、さんざん悪態をつきながらも、賞状は持ち帰っているのである。その後、筒はないけど、この賞状は、仕事のいくらかの足しになった。はあ、まったく。このころは若かったんだね、今じゃあんなことは絶対にしないと思うけど、若い自分は、まあ、なんだかんだでいろいろな不満があったわけだ。 それにしても、この物語でひとつだけ、正しくて、はっきりしているのが、賞状を持たせてくれた地元スナックのおばちゃんである。優しい人だったなあ。なんか泣けてくるよ さいきん、ヒマにまかせて2チャンのブルーススレをのぞいてるんだけど、それでバディ・ガイを思い出した。P-Vineから出てたビデオ「Chicago Blues」のガイは、何度見ても、こう、なんというか、戦慄を感じるな。5、60年代のシカゴのゲットーの風景をひたすらパンして映し出す映像のバックに流れる、ガイのスローブルース「First Time I Met the Blues」の、あのギスギスした、延々と続くギターソロから、言葉にならないモノすごい爆薬みたいなものたくさん受け取ったよ。知ってのとおりブルースは当時の黒人差別の産物でもあったんだけど、ふつうはそこに渦巻く「怒り」のようなものをダイレクトに感じることはない。むしろ、後年のソウルからはそういうものが感じられる。歴史の流れによるものだろうけど、この映像と音はちょうどその、ブルースからソウルへ移る過渡期の感じがして、通常のブルースにはあまり見られない「怒り」を強烈に発散している。まあ、主に映像のせいもあるだろうけど。しかし、ガイの演奏は、とにかくスゴイ、ヘビーだ、どんなヘビーロックより、どんなパンクより、なによりもヘビーだ、すごすぎる。よく、バディ・ガイは、同期のオーティス・ラッシュに比べると歌が弱く、ギターもヒステリックで味わいがいまいちで、どうのこうの、と批評されたりするのを見るけど、部外者が発するそんな言葉をぶっ飛ばす「リアリティ」があるね、あの演奏には。つまり、このガイがヘビーだってのは、ガイ一人の重さじゃないんだよ、あの時代の鬱屈や怨念すべてを背負って「重い」わけだ。彼のようにブルースを生きた人のリアリティには、どんな言葉も届かない気がするよ。バディ・ガイのあの演奏から、そんなことを習った。 さてさて、この前「マジック・サム」を書いて、今回は「バディ・ガイ」 これからブルースマンの思い出を一人ひとり書いて、まとめてホームページの方にでもアップしよっかな「ブルースマンのおもひで」とか言って(笑) 夢の中で、ちょっと古めののんびりした町を歩いていた。人通りも多いし、なんとなく気楽で楽しい。人ごみの中、目抜き通りをずっと歩いてゆくと、コンクリートの道がちょうど桟橋のように行き止まりになっている。回りを見渡すと、ここは地上から100メートルぐらいはある高台で、回りに柵なども無く、見下ろすとかなり怖い。で、行き止まりのところに、人一人やっと通れるぐらいの四角い穴があいていて、穴から下を見下ろすと、ひっきりなしに人が登ってくる。ちょうど鉄塔の横についている手すり梯子みたいになっていて、そこに鈴なりに人間がぶら下がって登ってくる。しばらく待って、人がかろうじて切れたときに、僕は下に降り始めた。ものすごい高所で、相当怖い。コンクリートの厚さは2メートルほどもあって、そこを抜けると、あとは鉄パイプの梯子がはるか下まで続いているだけである。コンクリートの狭い穴を抜けると、そこに、同じく降りようとしている一人のおっさんがいて、穴の上に忘れ物をして降りられない、と言う。そこで、道の上にちょっと頭を出して見ると、片手でつかめる大きさの段ボールをガムテープでぐるぐる巻きにしたものがあったので、それを掴んでおっさんに、はい、と渡すと、手が滑って下に落としてしまう。あーあ、大丈夫だったの? と言うと、ああ割れ物じゃないかからね、と言う。で、思い出したが、僕も上に荷物があったんだ、それも行商のおばあちゃんの背負ってる荷物みたいにでかかったんだ、はて、どうしたものか・・ てな、夢なんだけど、まあ、ほんとに、現実をうまく映した夢をでっちあげるもんだね。我ながら感心する。それにしても、さいきん、一方通行のイメージがずいぶん出てくるね。時間というのは一方通行だけど、それを空間的なイメージに置き換えるわけだ。人間の心ってのは、まったく変だ。 頼まれ原稿で、ランダムと芸術ってのを書かないといけないんだけど、まいったな、まったく書くことがない。いつものように安請け合いしたのがまずかった。とはいえ、受けたのは半年ぐらいも前で、そのときはのんびりしてて、まあ、いいやと思ったのだが、ここにきて急速にのんびりできなくなった。ネタが無い、というより、書く気分になかなかならない。まあ、来週一週間でとにもかくにもページ数を埋めることにしよう。気持を芸術にすりゃあいいんだよな。きっとできるでしょう。 と、書いていて思い出したけど、数日前、出張先でテレビを見た。家にテレビがないのでほとんど何ヶ月ぶりという感じである。エンターテイメント系教養番組で、東京八重洲のブリジストン美術館が舞台で、そこで「なぜなにクイズ」をやるという企画である。途中流れる、ピカソの、そしてマティスの、ドキュメンタリー風解説を見て、ひさしぶりに「ふーん、なるほどー」とか言って時間を潰した。特にマティスその人についてはほとんど知らなかったので、かなり「なるほど」だった。 けっこうなことであるが、やはり、終わってから何となく後味が悪い。これは今にいたるまでかたくなにテレビを持とうとしない意地から来るのは明白っぽいのだが、やっぱり見てるとテレビ作り屋さんにハメられてるみたいであまり気分がよくない。「なるほど」と言わせるように、言わせるように(今は、へー、ってのかね)作ってるのは皆知ってのことだろうが。特に、この番組では、マティスその人の苦悩を、お手軽にテレビで知る、ってのが、どうにも吊り合いが悪くてね。後ろめたく感じたりね。 まあ、それにしても、こういう良心の呵責的な感触は、テレビの無い生活を何年も続けるうちに育ったってわけだ。テレビを嫌うって、根拠もたいして無いし、役にも立たないし、強情でもあるけど、やっぱり微妙な感覚ってのはこうやって育てるもんじゃないかね。現代的じゃないけどね さっき、フェラ・クティのOriginal Sufferheadという曲を久々に聞いたのだけど、およそ15年前、この曲を友だちにカセットテープで借りて聞いて、ものすごいショックを受けたのを、まざまざと思い出した。1曲で20分を越える、ワンコードのアフロビートで、延々と続くのだが、完全に気が狂っている。フェラ・クティはミュージシャンであると同時にナイジェリアの戦闘的英雄なのであるが、それにしても、この演奏には20分間、開いた口がふさがらず、誇張でなく茫然自失状態に陥った。音のことでもあり、いちいちここで言葉で説明はしないけど、ひとつだけ紹介すると、曲の後半に、フェラが凶暴な野生のサルみたいに奇声を上げて、それに回りの子分たちがやっぱり奇声で応酬するのを繰り返すところがあるんだけど、まったく完璧にアフリカのサルの集団そのもので、人間みたいにしゃべって演奏できる正体不明のサル集団が騒いでるみたいで、めちゃくちゃに怖い。演奏のどこもかしこも、生まれて初めて経験するものばかりで、背筋が寒くなりっぱなしで、こんな人間たちがアフリカにいるとすると、やっぱり一神教は間違ってる。ぜったいに神様は一人じゃなくて何人もいるんだ。それが証拠に、ほら、このフェラの演奏を聞いてみな、ほとんど無闇にエネルギーを発散してる、なんかものすごい神様が、ほとんど目に見えるようだ。 2、3日前の午後に、スコールみたいな雨が降ったとき、5階の会社の大窓から雨を眺めていた。そうしたら、目の前のパノラマのちょうど後ろから日が差し始めた。お、これは絶対に虹が出るぞ、と思ってしばらく待っていたら、案の定、左の地上のところから7色の虹が伸び始め、あっという間に大アーチになった。本当にきれいだね。それにしても、今は当たり前のように見ているけど、昔の人は、もっとずっと畏敬の念を持って眺めただろうね。特に、虹と地上の接点のあたりは、家や木々が7色に包まれているように見えるんだけど、その場所へ行ったら、回りの空気が7色に光り輝いて、その光の中に包み込まれるようになっているに違いない、と思っただろうね。虹は長くは続かず、5分ぐらいでじょじょに消えていったけど、結局、そのフロアで虹を見ていたのは自分だけ、気持ちよかった。 中国人がやってる、店内ガラガラの、激安中華料理屋で安メシを食ってビールを飲んでいた。パンチパーマの料理人とカウンターの茶髪の客が、大盛り上がりで競馬予想の話しをしている。二人とも、どこの馬がどうの、これとあれは来るだ来ないだ、と頭フル回転で使って、それで給仕のおばちゃんがときどき片言の日本語で口を挟む。さて、僕は、その会話を頭の後ろで聞きながら、チャーハン食いながら店の映りの悪いテレビを見ていた。世界不思議どうのという番組で、アナやらアシスタントやらゲストやらが、仏教の起源についてああだこうだとバラエティショーを進行している。それを見ながら、ああ、このひとたち週に一回、仕事とは言え、これら特別知識と感動と知的好奇心を満足させて、生活してるんだなあ。テレビも新聞も雑誌も本もロクに読まないオレの、一体何倍の知識を持ってるんだろう。漫然とそんなことを思いながら、まずいけど量だけはたっぷりのチャーハンの残りをかき込みながら、自分は、このテレビの出演組と、後ろで盛り上がってる競馬組のどっちに近いかと言えば、きっと競馬組に近いだろうなあ、と思った。というか、オレは後ろの競馬組の人種の仲間だと思いたかった。 と書いたけど、競馬組の方は見たまんまだけど、主演組は演技だからね、何とも言えないか。とはいえ、演技ってやつは怖いもので、そのうち演技の方が本当になってくるんだよな。自分だって演技しながら社会生活をしているからね、その演技の方が本当にならないように気をつけなくちゃね。そういう意味で、競馬組は、たぶん演技なしの見たまんまで、そこがうらやましい、というわけだ アメリカ版のリングを見た。ちょっと怖かったけど、やっぱり日本のリングを見たときほどじゃなかった。あの映画、怖かったな〜 およそ一ヶ月間、部屋の電気を消して寝れなかったもんな。一番怖かったのは、最後にテレビから貞子が出てきたところと、そのあとの貞子の目。思いっきり無邪気に脚本家の手に引っかかっちゃった。貞子の髑髏を葬ったところで、見ている自分も、思いっきり安心してしまったところに、最後の最後に、まったく不可解に、葬ったはずの霊とは無関係に、まったくなんだか特定不明な「なにか」がテレビの画面から出てくる、っていうのが怖くて怖くて仕方なかった。さらに、その正体不明なもののあの最後の目が、凄くて、あれが画面に大写しになったときに、とっさに思ったのが、貞子は、下にいる男を見下ろしている位置にいるはずなのに、なんか、やぶにらみみたいに白目を剥いて上の何か全く違うところを見ているように感じて、その、目つきのまるで方向が間違っている、ということと、当の貞子の霊とまったく関係ない正体不明の化け物、というのが呼応して、もう、怖くて死にそうだった。後で考えたんだけど、たぶん、あの最後の目のアップショットは、本当に、目を剥いて上を見ている映像の上下をひっくり返して作ったんじゃないかな、と思った、本当は知らないけど。あと、あの歩き方も怖かった。あれもやっぱり何でああいう歩き方をしているかが不明で、ちょっと暗黒舞踏系なのかもしれないけど、やっぱり同じようにその「理由」が分からない。結局、自分にとっては、どこをとっても「分からないもの」が出てきたということで、これって古今東西「怖い」ということそのものだよね。 まあ、しかし、いとも鮮やかにひっかかったもんだね。うちの彼女なんか、一人暮らしのときに夜一人で見たらしいけど「何が怖いかぜーんぜんわかんない」そうである。オレ、あの映画、夜一人で見る勇気ぜんぜんない・・(笑) ランダムと芸術ってお題の原稿をようやく書いて送った。ちょっとばかり調べものなどもしながら、そこそこに楽しんで書いたけど、出来の方はまるでわからず、芸術関係の人が見たらどう思うやら。とはいえ、現代美術の評論なんかときどき偶然出くわして読んだりするけど、結局、みんな好き勝手に書いてるからね、まあ、何書いてもいいんだよな。与えるインパクトを計測して大きければ価値が高まるし、逆なら低いってだけで、実に自由平等民主的である。そんなこんなで、ネットサーフなどしながら、ネット事典で調べたり、なにやらしてるときに、偶然に、たとえばレンブラントの絵なんかが、ぽん、と出てくると、こんなチープなシチュエーションですら、その作品のあまりの高貴さに愕然とするよ 現代美術にイヴ・クラインという人がいて、その場限りで、突発的に起こることを作品としてとどめるパフォーマンスアートというジャンルで有名な人である。この人、さまざまに突飛なことを次から次へとやるのだが、その中に「人間測定」という作品がある。これは、音楽が流れる中、クラインその人がタキシードを着て現れ、青い塗料を塗ったヌードモデル数人に指示し、動かし、体を巨大なカンバスに滅多やたらになすり付けるというパフォーマンスを行い、その青い跡のついたカンバスを作品としたものである。いわゆる一般人の常識から見れば、ただのナンセンスな気違い沙汰にしか見えないと思うのだが、正真の芸術家であるクラインは、たぶんに呪術的な意味合いも含めて、さまざまな意味を持つ行為だったのである。 さて、「世界残酷大陸(MONDO CANE)」という映画をヒットさせたヤコペッティという映画監督がいる。この映画は、古今東西の変なものを撮影してつないだ一種のドキュメンタリーだけど、その原典のかなりが怪しく、いわゆる「やらせ」だらけで、後に「モンド映画」というやらせドキュメンタリー映画の語源にもなった映画である。このヤコペッティが、イヴ・クラインの「人間測定」の撮影を申し出たそうである。たぶん、許可を取るときは、なんだかんだとうまいことを言ったのであろう、クラインはこれを承諾し、一連のパフォーマンスを撮影させた。しかし、出来上がった映画では、このクラインの映像は意図的に編集されて「ヨーロッパの堕落を表す芸術」として紹介されていたのである。 これを知ったクラインは、怒りのあまり心臓発作で倒れ、その数日後に死んでしまう。当時、クライン34歳、結婚し、妻が子供を宿したことを知ったばかりのときの出来事だったそうである。 これは、いろいろ調べものをしているときに知ったことなんだけど、この話には感動した。これは正真の悲劇で、悲しい話なのだけど、ごったがえったこの現代でも、まだ「憤死」に至るほどの純粋な心を持つ人間がいたのだ、というはすばらしいことだと思う。ちょうど、三島由紀夫の自決を思い出す感じである。もちろん、この現代では、こういった気違いじみた行為は一種の喜劇として処理されて葬られるだけなのであるが、実は本当に衝撃を受けた少数の人間たちは、深く潜行してその後の時代にも生き続けるような、そんな気がする。一種の地下組織での呪術的な思想として後世に生き残る、みたいな様子を想像する。 まあ、そう真面目にならなくてもいいのかもしれないけど、こういう話って、心を動かされる人、嘲笑する人、通り過ぎる人、と色々いて当然のことなのだけど、そういえば、先日亡くなった倉橋由美子は、三島の自決の直後に美しい一文を書いて彼を称えたが、あの人は凡俗を皮肉をもって一蹴しはすれ、罵倒するようなみっともない真似をする人じゃなかったそうだが、さすがに、あの事件をめぐって騒いでいるマスコミを見て、特に、したり顔で「これは極めて現代的な現象で」どうのと解説しているような輩を見て、怒りを抑えられなかったらしく、「ああいうやつらを見ると蹴り飛ばしてやりたくなりますよ」とどこかで言ったそうである(笑) 怒り、って一体なんだろうね? 肉団子のスープを作るときは、挽肉の量の1/3ぐらいの水を少しずつ加えながら練る。あっさりした鶏スープの感触に合う、柔らかめのお団子にするとよい。あと、肉団子に加える塩は単体で食べられるぐらいぎりぎりまで入れる。お団子の硬さと、塩味の調整がうまくいくと、抜群においしい肉団子スープ(丸子湯:ワン・ズー・タンといいます)ができる。あと、卵と片栗粉のつなぎも注意。少ないと、スープに入れたときに散ってしまう、多いと硬くなる。結局、味付は、豚の挽肉の味と、鶏スープの味と、塩がバランスしてれば十分で、それと、お団子の硬さが大いに出来を左右する。 フィジーに行ったときのこと、リゾートエリアと反対にある首都スヴァで仕事していたんだけど、昔の日本でいうところのスズメに相当する鳥がそこらじゅうにいる。それで、この鳥が、南国らしく、スズメみたいに地味な茶色じゃなくって、白と黒のはっきりした模様があって、すらっとスリムで脚が長く、スズメをふた回り大きくしたような鳥なのである。まあ、この鳥がたくさんいることいること、そこらじゅうで、飛んだり、歩いたり、留まったりしている。それで、この鳥、まるで物怖じしないので、車がびゅーんと通っている大通りのど真ん中で、1羽でぴょこっと立ってたり、歩いて道路を横断していたり、2羽でちちくり合っていたり、3羽で会合を開いていたりしている。車が通ると、適当にタイミングを計って、飛んだり、歩いたりして逃げる。フィジーでは、新米のドライバーへのアドバイスに、鳥を轢くのを気にせずに走ること、というのがあるそうで、それぐらいたくさんいる。それで、やつらが、こう、なんというか呑気そうでね、ひょうひょうとしていて、楽しそうなんだわ。ほら、昔の日本のスズメとか、ハトもそうだけど、ひたすら地面を歩き回って、つねに何かついばんでるでしょ。あの、いかにも、六道で言うところの畜生そのものの悲哀が、まったく無いのである。こいつら呑気な鳥たちを見ていて、フィジーなんて国は、そこらじゅうにフルーツがあって食いっぱぐれはなく、それで生活が単純だから、性格も悪くなりようがないのかな、などと思った。それにしても、最近の特にヒルズ周辺のバブル日本などを見ていると、金がふんだんにあって食いっぱぐれなしで、それで堕落した人間って最悪だね。いいところに出入りして、いい人たちに会うせいか、ごく自然とインテリを気取っている様子も、特にイヤだ 例の絵画盗作について詳しくは知らないけど、新聞の一面に、あのカネの村上と同列で盗作の和田、と書かれるのは見ていて本当に悲しい。ああいう紙面を見ると、和田という画家を国をあげて悪人扱いしているように見えて、嫌いなマスコミがますます嫌いになる。オリジナルを主張したスギ氏は、日本の対応があまりに早くてびっくりしたそうだが、それどころではなく、スギ氏が想像するのとはまるで違う日本的な原理が働いた結果だと思うよ。和田という画家がどんな人かは知らないけど、それを詮索するより前に、この過敏な対応の中に、「芸術家はエライ〜その芸術家が盗作をやらかした〜ホントに悪いヤツだ〜しょせんは芸術家だってオレたちと同じようなもんじゃないか」という卑しい根性が透けて見えてやりきれなくなる。極端に言うと、芸術活動も資産運用も、みそもくそも一緒に扱っているところが実に日本的で、とにかく高いところにいるやつを引き摺り下ろしたいわけだ。そんな風にして「盗作悪人画家」を作り出して何が楽しいのか、と思うけど、まあ、雑誌の中吊り見てると仕方のないことか。ずいぶんむかし、一億総白痴化なんて言葉が流行ったけど、ああいう言葉が出てきたってことは、当時はまだまだ健全だったのだと思うよ。 ジミ・ヘンドリックスのスタジオセッションを編集したIn the studioってのが発売されていて、まあ、スタジオでテキトーにセッションした音源テープをつなぎ合わせてリリースすることすること! もう、Vol.4まで出てる。しかし、僕のようなコアなジミヘンファンは、分かっちゃいるけど買ってしまうんだな、これが。 で、Vol.2を買ったんだけど、そのトップの曲が「Valleys of Neptune」という曲で、シンプルなギター、ドラム、ベース、歌の演奏で、ジミは、ほとんどコードを弾きながら歌っているだけなのだが、この演奏には大感動した。むかしリリースされたコンピレーション版で不完全には聞いたことがあったのだけど、この完全版で聞くと、なんというか、目の前に広がる大海、空へ向かって飛んでいけそうな、ものすごい開放感と、緊張感と、高揚感があって、聞いていて、この人、なんでこんな演奏ができるんだろう? とマジで思った。 ギターは、目まぐるしく変わるコードワークだけのカッティングで、彼以外にストラトをこんな風に鳴らせる人がいるだろうか、ってほどすばらしい。それで、たぶん弾きながら歌っていると思われるボーカルの躍動感には、もう、参った。この曲を演奏したとき、彼は、ついに未発表のまま終わった「First Rays of the New Rising Sun」という2枚組みのアルバムに取り組んでいたそうだけど、この曲はその神々しいような太陽の光線を彷彿とさせるね。とにかく、ホントに、感動した 自転車で仕事へ行く途中にある、背の低い木々が並んだ一角なのだけど、栗の木かな、などと思っていたら違っていた。暑くなりはじめたある日、いつものように横を走っていると、甘酸っぱいいい香りが漂ってくる。見てみると、黄色に熟したプラムの実が一面に落ちている。ここ半年ぐらい、木々がまだ小さかったときからずっと見ているけど、大地に眠る力と太陽のエネルギーだけで、最後に、こういう、いい香りでおいしそうな実が出来上がるっていうのは不思議なもんだね。このあと、葉が落ち、枯れて一巡するのだけど、植物って、芽を出して、大きくなって、実や花をつけて回りを楽しませて、そして枯れて、終わり、次の一巡で同じことを繰り返すって、人間や動物とまったく同じなわけだ。当たり前、と言えばそれまでだけど、こんなに外見も何もかも違う生き物が、ことごとく同じ経緯をたどる一生を、それも、その一生のハイライトで他の生き物を楽しませたり、助けたり、という、ちょっとメンタルっぽいことまでする、というのは、考えてみればかなり不思議なことだね カミさんがバーゲンに出かけた隙に、念願だった日曜+回転寿司+昼瓶ビールを敢行してきた。この場合、瓶ビールは大瓶じゃないといけないんだけど、中瓶だったのがいまいちだったけどね(笑) 現在、明日から環境が激変する直前でけっこうブルーでね、家にいてもものごとが手に付かず、何もやる気せず、かつ出かける気もせず、それでこれはいいチャンスだ、とばかり決行したってわけ。地元駅前は閑散としたところなんだけどクルクル寿司があってね、入ったら客は僕だけ。僕がいるあいだ、仕事中と思われる僕ぐらいの歳の男が独り、遅い昼飯って感じでさっさと食って出て行った。その後は、ちょっとカッコいい茶髪若者とブランドっぽいジャージを着た金髪いい女系が入ってきて、やっぱあっさりと食って出て行った。この二人、見るにつけお遊び中って感じ。その後、中年独りが入ってきたが、この人はたぶんちょっと地位高い系で、教授っぽい。その後すぐに、僕より少し年下っぽい子供連れの家族がテーブル席へ。偶然、先の教授っぽい人と顔見知りだったらしく挨拶してる。でも、その後が続かないところを見ると、単なる近所ってところのようである。教授君は挨拶後、ちょっと迷惑そう。せっかく独りで来たのにクソ、みたいな(笑) と、まあ、いろんな人生模様が見れて面白いね、週末のクルクル寿司 この前、なにかで読んで面白かった話。今から、たぶん40年も前のこと。浅野勇っていう真空管の生き字引といわれる有名な人がいて、その人が次から次へとアンプを作るのだけど、そのケース(技術用語ではシャーシ)は鉄製で、すべて馴染みの金工屋に頼んでいたそう。で、この浅野さん、ときどき規定外の変則シャーシーとかわざと注文して「金工屋のオヤジ困った顔してやがった。ザマミヤガレ」と喜んでいたそう。ちなみにこの人は生粋の江戸っ子。たぶん、金工屋のオヤジは身内に「また、浅野さんがヘンな注文してきたよ、ヤレヤレ困ったな」とか言いながら、夜なべ仕事して完成させ、浅野さんに電話して「浅野さん、一日早くできたけど取りに来る?」とか言って、それで浅野さん、電話切って「チキショー、やりやがるなオヤジ」とかとか言ったんじゃないか、とか、色々想像しちゃったよ。江戸の落語っていうか、サザエさんっていうか、何かおおらかでいいよね。なんにしても、40年前は、みんな時間がたくさんあってのんびりしてただろうね
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