ツレヅレグサ・ツー ッテナニ? |
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ユキオちゃんのこと
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まだ大学生だったころ、僕は、夜な夜な大森駅の線路沿いにある地獄谷と呼ばれるスナック街の、とある店で飲んだくれていた。そのスナック街は、バス通りから階段を下った、狭くて、少し汚くて、短い袋小路に小スナックが乱立したところで、行きつけの店以外にも、顔づてで、いくつかの店に出入りしていた。 地獄谷のスナック街に、みなにユキオちゃんと呼ばれている、四十がらみの流しのおっちゃんがいた。ある日の夜、このユキオちゃんと仲良くなり、それ以来、よく界隈を一緒にはしごしたものである。ちょっと、昔の男優くずれみたいなルックスで、ちょうど、若いころの西村晃に似た感じの顔で、それで、ユキオちゃんは痩せていて、小柄で、いつも灰色のてれてれのジャケットをはおり、ギターを背負って、ひょうひょうと現れるのだった。当時、すでにカラオケがはやり始めてはいたが、まだ流しの出番も残っている、ちょうど過渡期だった気がする。客のリクエストで伴奏をしたり、自分も歌謡曲や演歌を歌ったりして日銭をかせいでいた。1曲100円だった。 しかし、このユキオちゃん、当時すでにかなり身を持ち崩していて、僕が知り合った頃には、すでに何件ものスナックから出入り禁止になっているなど、界隈の嫌われ者扱いだったのである。酒癖が悪く、思い切り見栄を張るかと思えば、卑屈さも染み付いている感じで、ひとしきり毒づいて、騒ぎを起こしちゃあ、最後には店を追い出される、そんなことを繰り返しているうちに、すっかり鼻つまみ者になってしまったのである。あと、彼には悪い癖があって、酔っ払うと、わけもわからず店内で小便をすることがあったのである。これは決定的で、やられたスナックの店主は激怒し、それで出入り禁止にまでなってしまうというわけ。それでも、ユキオちゃんは地獄谷では古株なので、いくつかのスナックはお情けで出入りさせていて、仕事をさせてやり、それでそろそろ酒が回って危なそうになると、「さあさ、またあんた小便するんでしょ、そら、出て行った、出て行った」と、被害にあわないように追い出すのである。 そんなわけで、ユキオちゃん、仕事もろくになく、古女房のひもみたいな生活を送っていたらしく、金ももちろんあまり持っていない。当時学生だった僕は、バイト代で小金は持っていたので、ユキオちゃんの酒代をおごり、二人でスナックからスナックへ飲み歩いていたというわけである。二十台前半の僕を地獄谷で見つけちゃあ、四十過ぎのおっちゃんが、もみ手に低姿勢で「林さん、どうですか、あっちいって一杯やりましょうよ」って言ってくるのが、別に面白かったわけじゃなく、実は、僕にはユキオちゃんが気に入ってしまった理由があったのである。それはユキオちゃんの演奏だった。 金も無く、生活にも困っているようだったので、むかし持っていたもののいいギターはあっという間に質に入ってしまったらしく、当時、彼の持ち歩いていた商売用ギターは、見るも無残な粗悪な代物だった。弦高は1cmぐらいもあって、チューニングを合わすのもほとんど不可能。ポジションをかえるとチューニングはめちゃくちゃで、ほとんど使い物にならない代物だった。一度だけ、ちょっと弾かせてよ、と言って僕も弾いてみたことがあったけど、まったく音楽にならない。しかし、これは、本当に不思議な職人芸で、それをそのままユキオちゃんが弾くと、完璧に音楽になるのである。 知り合ってから間もないある夜、汚いスナックのカウンターの一角で、ユキオちゃんに演歌などを歌ってもらい、それを聞きながら酒を飲んでいたときがあった。そのとき、僕が、ユキオちゃんってポップスなんかもできるの? って聞いたら、できますよ、って言ってやってくれたのが、日本語のマイウェイだった。 初めて聞いたこのユキオちゃんのマイウェイを、どう形容していいものか。今思い出しても、あんなマイウェイは後にも先にも聞いたことが無い。マイウェイは長調の曲のはずだが、ユキオちゃんのそれはどう考えても短調なのである。が、しかし、短調のコードでマイウェイを弾くはずもなく、それは、要は、歌とギターの、その心そのものが短調だったのである。こんなに、悲しくて、切ないマイウェイは他のどこにも有り得ないと思う。それを聞いて、当時の僕は、泣いた。薄汚い、世の中の吹き溜まりの、小スナックの一角でしか起こりそうもない、そんなできごとだった。 それ以来、ことあるごとにユキオちゃんと飲み歩いた。僕を見かけると「林さん、林さん」と言って、ぴょこぴょこと寄ってきて、僕を慕ってくれると同時に、金づるでもあるわけで、従順であると同時にずるい、という、なんというか古典的な、江戸時代町人に出てくる典型っぽい感じが大好きだった。それから、マイウェイも何度もやってもらったが、やるたびにつまらなくなって行くのも不思議だった。最初に聞いた、あの演奏、ああいうものは、あの場限りで、たった一度しか起こりようの無い事件だったのだなあ、と思ったものである。 いつしか、ユキオちゃんと会うこともなくなり、きっと地獄谷からも静かに姿を消していったのだろう。短い間だったけど、あのとき僕の心の中に、たった一回しか起こらないその場限りのものというのが、人生でもっとも美しい、奇跡のような瞬間で、それは二度と再現することはないのだ、そして、二度と起こらないことだからこそ、それは永遠に残るのだ、という考え方を残して行ったような気がする。 ユキオちゃんがまだ生きているとすれば、もう70歳ぐらいかな。しかし、もう、死んでるだろうな。僕の青春のひとコマだけど、前々から、とても重要なことで、書き残したいと思っていたので、書いておいた。 この前、超初心者向け2球アンプを試作してみた。リサイクルセンターからもらってきたマランツのスピーカーにつないで鳴らしたら、けっこうクリアで、押し付けがましくなく、つつましく、素直ないい音だった。やっぱり、自分で設計して、自分で作った真空管アンプっていいね。音が何割り増しかは良く聞こえて、おもいっきり悦に入っちゃう。このアンプ、ハイエンドアンプからはかけ離れたほんの1万5千円ぐらいでできちゃうアンプなんだけど、やっぱり、これは真空管というデバイスの魅力でもあるね。聞いていて、自分の方がアンプに共感するものがある。ギターアンプなんかだと、これはさらにはなはだしくて、とあるプロのギタリストが真空管ギターアンプを評するに「自分が弦をピッキングした、その心情を真空管アンプは分かって、即座に応えてくれるんですよ」なんて言う人がいた。これは、もう、音質がどうの、というのではなく愛情表現だよね 木綿豆腐をオイスターソースで煮込む、定番の中華料理をひさびさに作ってみた。自分で言うのはなんだけど、仕上がりがほとんどプロ級で、ちょっとビックリ。 このハオユドゥフゥ(豪油豆腐:豪には虫偏がつく)には、むかーしの思い出がある。大学の頃、友人と2人で原宿の楼外楼飯店(今はもうない)に行ったとき注文した料理の一つがこのハオユドゥフゥだった。出てきてびっくりしたのだが、カルタ型に切った豆腐が、白いお皿の上に積み木のように対称形に積み上げられていて、その豆腐の一つ一つが、1mmぐらいの厚さの黒くてねっとりしたタレに、きれいに満遍なく覆われているのである。食べるのがもったいないほどの姿だったが、もちろん味も抜群に旨い。一体、どうやったらあんな風にできるのだろうか、謎以外の何物でもなかった。 それ以来、あれが忘れられず、他の店などでもハオユドゥフゥを注文したりしたが、ああいうものにはいっかなお目にかからなかった。それで、ずいぶんとたったある日、再度、原宿の楼外楼へ行き、同じ品を注文してみた。出てきたのは、ごく平凡な他店のそれと同じものだった。料理人が変わったのである。考えてみると、ハオユドゥフゥなどという料理は、ほとんど家庭料理の延長であり、高級料理にはカウントできない。そんな料理に凝ったところで、あまりメリットもない、といったところかもしれない。 それにつけても、その大学生のとき目撃したハオユドゥフゥは、変哲の無い料理に現れた名人の技で、逆にいかにも高級料理然とした料理に当たり前のように漂うプロの技より、何かずっと高級で貴重な気がする。たとえば、中国やら何やらそういう土地に行って、変哲の無い路地を入ったら、これまで見たことも無いような不思議なものに遭遇するような、そんな神秘的な感じが漂うんだな。 ところで、今日ひさびさに自分で作ったハオユドウフゥだが、これがまた、なんと、楼外楼のにけっこう近づいているのである。オレっていつの間にこんなことが出来るようになったんだろう? まあ、自画自賛なので、もちろんマユツバであるが、我ながら不思議である。中華料理の修業を来る日もしていたわけではないが、少なくとも長年に渡って夢中になっていたのだけは確かで、その挙句に出来るようになったのかな。好きこそ物のなんとやら、なのかな 写真を撮らなかったので、残念ながらHPのレシピ集に載せられないが、今度、もう一回作って公開することにしよう 同僚のブログをのぞいていたら、文章を書くことについて、書いていたので、僕もちょっと考えてみよう。僕は、もともと文章を書くのが好きな人間だけど、いまだにまっさらの原稿用紙(ワープロ 笑)に向かうと、書き出すのが面倒で、イヤで、うまく書ける気がまったくせず、逃避して、ビールでも飲みに行きたくなる。それで、気心の知れた友人かなんかと居酒屋へ行き、思いつくことをだらだらとしゃべり飛ばしたくなる。なんといっても、そのほうが、ラク それで、文章で書こうとしていることと、友人にしゃべり飛ばしていることと、その話題はあまり変わらず同じだったりする。同じことを表現しているのである。なのに、しゃべるのはなぜあんなにラクで楽しいのに、文章を書くことはあんなに大変で労働なんだろう。友人と気心が知れてるから? そんなこともない。反応を気にする必要がないから? そうでもない 思うに、文章書きが大変なのは、キーボードを打つのが面倒くさいからじゃないかな。僕の場合、考えてから文章を書き始める、ということはあまりしない。というか、頭で考えるのに言葉をあまり使わない。というか、これは頭が悪いせいだろうけど、頭の中で言葉を組み立てることができず、頭で考える論理などは10秒ぐらいで、なんだかわかんなくなっちゃうのである。なので、頭では漠然と断片的に考え、さて、文章を書き始めるときは頭は白紙である それで、どうするかというと、頭じゃなくてキーボードで考えるのである。僕の文章訓練はそんな感じだな。ときどき、うまくすると、脳みそが頭蓋骨の中に無くなって、モニターの文字列のあたりに移ってしまい、文字で考えるようになる。そうなると、考えることと、文章は最初から一致しているので、自動的にうまく文章が出来てゆくのである。しかし、それにしても、こんな感じなんで書き始める前は勝算が無くてね、頭蓋骨とモニターの間には大きな障壁があって、それを感じると思わず逃げ出したくなるわけ と、まあ、飛んだ話しはともかく、ときどき、仕事なんかで人の文章を見たりして、読んでみて、ああ、ここはちょっとまずいな、他人には分からないな、と思い、本人に聞いてみると、実にうまく言葉で説明する。それを聞いて感心し、思わず、今しゃべったように書けばいいじゃん、と言うのだが、どうなんだろう。どうしてしゃべった通りに書けないのか。 思うに、やはり、キーボードを叩くのが面倒くさいんじゃないかな。だって、言葉だったら、ジェスチャーや擬態語や表情で5秒で表現できることが、文章だと100文字ぐらい必要になっちゃう。しかも、この100文字は、正味新たに自分で作り出さないといけない。それで、ついついおっくうになって、100文字を埋めるために別の決まり文句を持ってきてしまう。決まり文句ならいつも書いているので自動的に100文字が埋まる。そうこうしているうちに、文章は増えるけど、内容は減って行く あと、これは僕の場合だけど、作文なんていう大変なことをするんだから、報酬が必要である。報酬もなしに労働するなんて、そんなことするぐらいなら、僕は迷わずビールに走る。ここで、原稿料という報酬は、まあ、ふつうあまり役に立たない。僕の場合、報酬は、作文という労働が終わった後、自分の文を読み返すときである。もう、思いっきり悦に入っちゃう(笑) だって、かつて世界のどこにもまったく存在したことのなかったモノが、ほら、こうして目の前にできちゃうわけだから。これはビール以上である。ま、これって、モノを作る喜びってやつだよね。なんにしても、文章を書く、っていうモノづくりは、もっとも金のかからない息の長い趣味だよね この厳冬の東北へ、もの好きにも出かけ、十和田湖へ遊びに行ってきた。雪見温泉と北国魚貝が目当てなのであるが、当の目的の方は宿泊先がいまいちでたいした事はなかったのだが、極寒の十和田湖はすばらしく美しかった。生涯で見た中で、もっとも真っ白な風景ではないかな。今年は、異常気象でふつう凍ることの無い十和田湖が凍結してしまったのである。2日目の朝、湖畔に出てみると、凍結した湖面を一晩じゅうふり続いた雪が覆い、どこまでも真っ白。曇り空も真っ白、そして遠くは粉雪が舞った霧がかかって真っ白、というわけで、視界の上から下まですべてが真っ白なのである。そして、岸近くにはたくさんの白鳥が群れを作り、高らかな声で鳴き続けている。この光景は、かなり彼岸っぽい、幻想的な雰囲気を醸していて、今思い出しても、夢の中の光景のように思える。さいきん、北陸先端大の先生とメールのやり取りをさせていただいているが、その先生の言われる「脳幹の感動」というのは、こういうものだろうね。先生は「闇」を重要視されているけど、その真反対の「真っ白」というものも、ほとんど真っ暗闇と同じ効果を脳に及ぼすものらしい。まったく言葉にならない何物かだね。 トリノオリンピックの選手村の食いものがまずくて、大ブーイングだってね。アメリカ人からも「スパゲッティがおいしいと思って来てみたら、これじゃアメリカの方がぜんぜんうまい」とか言われているらしく、イタリア人にはプライドは無いのか! しかし、これで、思うのだが、たぶん経費節減でイタリアのファーストフードを入れたんじゃないかな? 過去イタリアへ行ったときの経験では、イタリアのファーストフードはむちゃくちゃまずい。ピザはパンピザしかなくて、冷え切ったのをチンして出すだけ。スパゲティもソースをからめた状態で金属バットに山盛りになっていて、やっぱチンして出すだけ。ぐにょぐにょのびのびのピザにパスタ、これはひどい、完全に日本以下である。このファーストフードのひどさに比べて、イタリアの街中の安食堂のはかなりうまい。でもね、これって日本でも事情がいっしょなんだよね。日本の場合は蕎麦。街中の蕎麦屋はけっこうどこに入ってもうまいが、日本のファーストフード蕎麦の「立ち食いソバ」は、いまだに伝統の味(?)を守っていて、かなりまずい。ま、どこの国も自国の料理ってのはそんなもんかもよ。 とあるブログを読んで知った、箱根の老舗旅館奈良屋の閉館。江戸時代から三百年続いた旅館が更地にされリゾート地になる、とのこと、こういう知らせを聞くたびに、悲しくなり、無力感を感じるね。たしかに、時代の動きには抗しがたいものがあって、たとえば、ここで奈良屋を救えたとしても、ひとつ救っているうちに、全国でいくつもの古くてよいものが更地になって人知れず消えてゆくわけなのだな。世の中が全体的にいっせいにある方向に動いている、そういう動きというものは、呆れるほど、止まろうとしないね。まあ、この手のことは、考えていると止め処もなく愚痴っぽくなって、恨みにも発展しかねないので、これ以上はやめておくけど、そういう、個人と社会の矛盾から逃げる手段ってのは、あるよね。自分の世界を意図的に狭くすればいい。その、狭くする仕方は、まさに様々だよ。そうすれば、いとも簡単に自己完結して、安楽に暮らせるって訳。でも、オレはいやだな、これまでどおり、悩んで、口ごもって、のらりくらりと生きてやるさ テレビのない自分はオリンピックも蚊帳の外なのだが、それでも荒川静香の金メダルはネットのニュースで知っていて、昼休みに職場のテレビでその演技を見た。体が大きいせいももちろんあるのだろうけど、むかし見たフィギュアの演技の、2倍も3倍も大きい印象の、スケールの大きい、ほとんど大陸的と言いたくなるような動きで、すっかり感心した、たいしたものだね。 それにしても、この金メダルのニュースはここ数ヶ月の間で、ほとんど唯一の手放しで明るいニュースな気がする。ニュースって、いつから、こんな風になっちゃったんだろうね。特に犯罪のニュースに関しては、人心の不安をあおるものばかりで、これじゃあジャーナリズムが社会不安の原因の一端を作っている、と言われても仕方ない気がする。 これは、僕の考え方だけど、ジャーナリズムって、間違いなく、社会の大きな動きを作る原因の半分を受け持っていると思うよ。そういう意味で、政治を批判していながら、同時に政治の広報機関でもあり、ときに中立を装いながら、国民との接点を陰に陽に操作している様子は当然のことで、元来がそういう性質のものだと思う。そして、その、社会の大きな動き、というものには「心」は無いと思う。集団は個人から成り立っていて、個人は心を持っているけど、集団の大きな動きに「心」があるとは思えない。 政治もジャーナリズムも、そういう「心無い」怪物を制御する仕事をしているわけで、彼らはもちろんのこと、国民側の我々も、そのことは肝に銘じておかないとおかしなことになる。その点、政治家という人たちは、本能的にそういうことは分かっている人が多いと思う。もちろん、その分、自らが怪物になる人も多いのだが。概して、その心無い世界にある程度以上耐性のある人じゃないと、政治家という仕事は辛すぎる。 政治家の自覚に対してジャーナリスト側の自覚はどこまであるのかは不明である。ジャーナリストという個人の心が、そのままジャーナリズムという集団の心に反映すると思い込んでいるジャーナリストたちの集団の図を思い浮かべると、かなり恐ろしいね。思うに、ジャーナリストのまっとうな資質は「懐疑」だと思うよ。懐疑的で、斜に構えていて、正義という言葉を信じないこと、そういう人たちばかりなら、きっと大丈夫でしょう。でも、見てると、そうとは思えないね。 まあ、そんな中で、今回の金メダルみたいな明るいニュースってのは、やっぱり手放しでいいもんだ。 阪大の教授が、お金と幸せの関係を研究していて、「ある程度の幸せはお金で買える」ということが判明したそうだ。ははは! で、収入が1500万円を超えると、カネとシアワセは比例せず頭打ちになるんだってさ。どうだろう、まあ、生活感情にマッチした結果といえるけど、意外性もなく、わざわざ研究した割りに結論が平凡でちょっとがっかりだろうね。さいきん、歳も歳なので、よくお金のことを考えるのだけど、どう考えても、多額の金というのは、人間で大切なものをなんらか奪ってゆくように思えてならないのだけど。もちろん、僕だって、多額の金は手にしたいと思ってはいるけど、その一方で、じじいになったらオレは月8万円でいいや、古本読んで文を書いて枯れ木でも眺めて暮らすさ、と本気で考えたりもする。しかし、こんなことを聞いたら腹を立てる人もいるだろうね、オマエは月8万円で暮らしたことないから、そんな呑気なことを言っていられるんだ、ってね。僕もむかし、そこそこの貧乏暮らしをしたこともあるので、想像というものができるけど、やっぱり、まず小額持ちの人が注意すべきは恨み感かな、それで多額持ちの人が注意すべきは感謝の欠如かな、そんなところだろうと思う。結局、恨まず、感謝の心を失わず、というのが人間の生きる良い状態、となるけど、こうなると、なんかどこぞの新興宗教の教条みたいになるのが問題だな。新興宗教は主に、小額持ちの人に、恨まず感謝せよ、と説いて、平安を与える、という構図だけど、多額持ちの人に対しての新興宗教ってのは無いんだろうか。でも、この場合、小額の人相手のように一律ではなく、金持ちめいめいの個性に応じた個別に対応する秘密の相談役みたいな感じになるのかな。 もう十年以上前、会社の労働組合で、「豊かさとは何か」ということが大テーマになったときがあった。慢性的な長時間労働が蔓延し始めて、ゆとりがなくなった、と言われていたとき、では我々にとって真の豊かさとは何なのか皆で考えてみよう、というわけである。当時、この「豊かさ」とかいう言葉が自分はキラいでね〜 なんと言うか、いまさら白々しく何言ってやがんだ、というか、しらばっくれてんじゃないよ、というか、イイ子面しやがって、というか、本当にいやだったので、ずっと黙っていた。しかし、あのとき何であんなに忌み嫌ってたのかな。別に「豊かさ」って言葉に恨みはないはずなのにね。やっぱり、豊かっていう言葉の持っている、落ち着いて充足して完結して満足げな様子が気に入らないんだろうね。考えてみると自分って「スネに傷ある身」が正常な状態と思っているみたいで、何らか良心の傷を隠している、そんな人間を愛するし、自分も無意識にもそんな人間にあこがれたりなんかしているみたいなんだな。傷があると、傷口がいつも開いているせいで、完結して閉じた幸福な世界をいくら追い求めても、その小さな傷口が開いていて、常にそこから何かが外に向かって漏れるので、いつかそれが決壊して閉じた幸福は終わってしまう。で、結局、そのせいで、世界は閉じることなく、いつも開いている気がするんだな。この傷口というもの、たぶん、いわゆる原罪っていうのが、その一番古い形だろうけど、原罪っていうのは、人間が世界を常に壊しては広げて行くために無くてはならないモノという風に思えるんだな。人間の創造のみなもとは、この原罪にありそうで、それが人間に与えられた運命なように思えるので、結局、人間は苦しみから解放されることは無い、という結論にもなるし、それだからこそ創造の喜びもある、ってことになるのかな。どうやら、この考え方、というか感じ方は、自分にもう染み付いているね。 今朝、何気なくニーチェの本を開いてながめていたら、面白い言葉をみつけた。18世紀フランスのサロン文化の主人公のひとりにド・ランベール夫人という人がいたそうで、その婦人があるとき息子にあてた言葉にこんなのがあったそうだ 「ねえ、ばかな真似をするにしても、存分たのしみになるようなことでなければ、してはいけませんよ」 なるほどね〜 しばらくお茶を飲みながら、この言葉を反芻してみたのだけど、いよいよ、なるほど〜、と思った。後先のない愚かなばかな真似をすることと、快楽を求めることの、とっても綺麗な肯定のしかたで、同時に、何を自分に禁止するべきかに関する明快な答えだね。この精神って、この言葉が発せられたときは、フランス流の貴族社会を背景にしているんだけど、これ、けっこう、今現在の僕たちの振る舞いの規範になるかもよ。インターネットと情報と民主主義が急速に発展して、硬直した巨大組織がこれを利用して台頭して、それで息が詰まりそうだったのだけど、この精神をもってすれば、なんか、もうひとつ先に世界が開けるかも。要は簡単、みんながこの精神で行動するわけ、それで丁半の結果を見守る、と。ちなみに、ニーチェはこの言葉を「これこそはかつて一人の息子に与えられた、もっとも母親らしくもっとも賢明な言葉である」とコメントしている。 箱根の温泉に行ってきた。創業三百年の老舗で松坂屋というところ。さいきん覚えた温泉用語が「かけ流し」 循環器を使わない、加水しない、加温しない、消毒薬入れない、そういう源泉そのもののお風呂のことで、松坂屋は代々続くかけ流しのお湯を出す旅館だそう。そのお湯が、またきれいでね、時間帯によって微妙に色合いが変わるのが、けっこうおどろき。緑白色のにごり湯で、緑が濃いかと思えば、ときどき空色がかったり、ふと透明に近くなったり。そして硫黄の香り。ちょろちょろ流れる源泉を飲んでみると、かなりきつい硫黄泉なのがわかる。しかし、こんなにお湯のいいのは初めてだったな。温泉旅館は温泉があって当たり前、それで、露天風呂やら、庭園やらなにやらでお風呂に趣向を凝らしてお客を呼ぶんだけど、この松坂屋のお湯ぐらいの趣のあるお湯になると、もう、それだけで十分だね。旅館の建物は、とても古くて、庭は広いけど、必要以上の手入れはしていなくて、全体に自然に枯れてゆく感じが、かけ流しのお湯と相まって、ほんと「もののあはれ」の中にいるみたいだったよ。また行きたいね。 リサイクルセンターで、ものすごく古臭いスピーカー2つをタダでもらってきた。今日、自作の真空管アンプにつないで鳴らしていたマランツのモダンなスピーカーを外して、このボロいのをつないでみた。これでライ・クーダーをかけたのだけど、出てきた音が、ほとんど予想外に、あまりにひどいのですごくびっくりした。ノコギリのようなアコースティックギターの音、焦げて干からびた木が乱立しているみたいな楽器の各パート、それで、痰がからまったようなグルグルという音が常に後ろの方に流れていて、しばらくその状態でイントロを聞いていると、ライ・クーダーの歌が入って来たのだが、その第一声のあまりの下品さに不意を突かれてぎくっとしてしまった。いや、これは、もちろん、古すぎてスピーカーが壊れる寸前なのは明らかなのだけど、さすがに、経験したこともないような音の悪さに、かえって感動してしまった。へえ、このスピーカーってたぶん三十年ぐらいたってると思うんだけど、いったい、どんなところで、どんな人たちと、どんな風に暮らして、それでどんな音楽をかけられてたんだろう、とあれこれ想像しちゃったよ。 毎週、歯医者へ行って、ひとつの歯を治療していて、もう15回以上は通っているけどまだ終わらない。奥歯の神経の治療で、歯の中の奥がおちつくまでずいぶん日数がかかるらしい。奥歯には神経の穴が3つ開いていて、それぞれ細い穴が2cm近くも続いていて、その中を消毒しちゃ、仮ふさぎし、また、開けては、中を消毒、ということを繰り返しているらしい。細い神経穴の奥の方に、なにやら何かがあって、そいつが熱を持ったり、なにやら暴れるのをやめてくれるのをじっと待っている、というわけだ。 ってなことを、今日の昼、外勤に向かう小型バスの中でぼんやり思っていた。昨日の寝不足もあって、眠たくて、それで車内は人でいっぱいだけどみな無言で静かで、それで暖房がいやにかかっていて暖かく、ふと一瞬眠り込んだ。そうしたら、白衣を着た医者が、だれかの耳の穴の奥を治療している風景が見えて、それで、「ん? 穴の奥で音をたててるなんかがあるぞ」と言って、耳に耳を近寄せている。とたんにふっと目が覚めた。一瞬の間の夢だった。 歯の穴の奥で暴れ続けてる何かと、耳の穴の奥にある超小型発振器、というつながりなんだろうけど、耳の穴に耳をくっつけて、聞き耳をたてるなんて、変な夢だな。それで、聞くための器官が音をたてるのも兼ねているなんて変だな。 アランケイの評伝のようなものを読んだ。この人は、パーソナルコンピュータという考え方を初めて発明した、超有名な人である。今現在、僕たちが、こんなふうに自分のパソコンの前に座って、ネットやったり、ブログ書いたりしてすごしているのも、元はといえば、彼の発想が元になっているというわけで、すごいことだね。まさに、70年代当時に、未来を発明した、というわけだ。それで、僕は2度ほど、アランケイと一緒の会議に出席したことがあるんだけど、彼は独特な目をしてるね、それを思い出した。ふだんは、気さくで、明るくて、フレンドリーなおじさんなんだけど、コンピュータやメディアの話を会議の席上などでしゃべり始めると、なんというか、目に幕がかかったような輝きになって、こう、目の前にいる大勢の人たちがまったく目に入っていないような目つきになる。印象としては、深く深く自分の心の中を覗き込んでいるようでもあり、同時に、ものすごく遠いはるか未来を見晴るかしているような、そんな目なんだな。それで、その超近距離と超遠距離の2つの中間が、ぼこっ、と完全に抜け落ちている、そんな感じ。やっぱりね、こういう世界的なカリスマっていうのは、すごいもんだ。 真空管アンプの部品の買出しのついでに、秋葉原ディープエリアを探検してみた。すごかったね、あんな風になってたんだ。駅前のビルのエスカレータに、クロっぽい服を着た人たちが1m間隔で、ベルトコンベアーみたいに吸い込まれていくところがあって、ちょっと怖かったけど登ってみた。フィギュアとコミックのフロアなんだけど、売り場の入り口で入るのを躊躇して、足が止まっちゃったよ。なんかね、たくさんのクロっぽい人たちが、すーーっ、と平行移動するみたいに、コミックの山の間を移動していて、それで、みなまったく無言なせいで店内が異様に静かでね、一瞬だけどエイリアンの群れに入っていくみたいな気分になっちゃった(笑) まあ、入ってしまえば大丈夫なんだけど、それにしても、彼ら、ときどき、自販機の前でたむろしてたり、フィギュアのガラスケースの前で、2人ぐらいで、満面の笑顔でフィギュアを指差したりしてるんだけど、とても無口で、ほんとに静かだね。それで、しばらくぶらついていて思ったんだけど、彼ら、顔のバリエーションがすごいね。ずいぶん昔、香港に夢中だったころ、かなり奥深いエリアを探検して、香港のオヤジたちの顔のバリエーションを見るのが好きでずいぶん、そんな所をうろうろした経験があるのだけど、それにけっこう似通っていた。まあ、彼らと付き合うのは自分はまったく無理で、そんな意味では、秋葉のそんなところじゃ自分は純然たる観光客だよね。とはいえ、その前には自分だって、電子部品売り場の、これまた別の意味でかなりマニアなエリアを行き来して、こちらでは完全にその一員なんだからね、オレだって人種違いのオタクかもね ちょっと前、NHKのテレビで、現代感覚の茶の湯、みたいな番組をやっていて、ちょっとおかまっぽいしゃべり方の、なんとか流の由緒正しい家元さんと女性アナウンサーが、お作法をしながらあれこれしゃべっていた。その最後の方で、実際にお抹茶をたてるところになり、家元さんは、なんだかんだとしゃべりながら、片手間みたいに、椀に抹茶の粉を入れて、茶筅でかき混ぜて、それを彼女に勧めた。それで、それを受けて、作法どおり一口飲んだ彼女、それまでのアナウンサー口調が一瞬抜けちゃって、「お〜いしいですね〜 抹茶クリームみたい!」って叫んだのがすごく面白かった。たぶん、よほどおいしかったんだろうね。そしたら、こわそうな家本さん、ちょっと微笑んで、「それは、もう、小さい時分からさんざん仕込まれてきましたからね」って受けていた。粉にお湯入れて混ぜるだけだけど、たぶん、点てる人間で全然違うんだろうね、不思議だな。それにしても、自分も、それ、飲んでみたい! 朝起きて、ぼんやりしながら、ふと思ったんだけど、最近、いわゆる「変な人」に出会うことが少なくなったなあ。思い返してみると、自分の学生時代は変な人で満ち溢れていた。というか、変な人にしか興味が無かったのかね。いま、ずいぶんと歳を取って大人になると、それでも自分の周りが変な人だらけなのは相変わらずだけど、変な人と変な交流をすることは少なくなったね。お互いに、自然と、防衛してるんだろうね。そう考えると、この世の中で、この歳で、心がじかにぶつかり合うということは貴重なことだね。それで、最後は恋愛だけが残るというわけか。このまえ、秋葉へ行ったらオタクたちがたくさんいたけど、彼ら、その生身の恋愛に代わる正当な代償行為をようやく見つけた、みたいにも見えたよ。秋葉では大手を振ってアニメやフィギュアに恋ができるので。 さっき、洋食屋で西洋メシ食いながら話したんだけど、オーストラリアの集合住宅に住んでた人の話しでは、みなけっこうピアノやら音楽やら何やら、でかい音平気で出すんだってね。日本のマンションでは、異様に近所への騒音を気にするけど、あちらは全然だってさ。自分も出すけど、人の騒音も許容する、っていうおおらかさで、いいよなあ。 で、思いつくのが、日本の電車の中。人が大勢いても、まるでお通夜みたいにしーんとしてる。ときどき外人なんか入ってくると、しゃべり声が車内を響き渡るよね(まあ、オバサンも 笑) どっちがおかしいって、これは日本がおかしいと思うよ。なんで、あんなに静まり返ってないといけないわけ? で、今さらながらに腹が立つのが、電車の携帯。携帯って電車の中でこそ使うもんでしょ? じゃなけりゃ公衆電話使えばいいんだから。どこの誰が、車内マナーとか言って、携帯の車内利用を禁止してるんだろう。まったく意味が分からない。携帯の呼び出し音としゃべり声に、いちいちイライラするような人間って、どう考えても精神が病んでるよ もし、イライラするとしたら、それはね、トップダウン的に、「お上」が「車内で携帯を使うことは他人の迷惑になるから止めよ」と言われているせいで、その命令にそむいているヤツに対して敵意を抱くということだと思うよ。別に騒音で迷惑なんかするもんか、普通の音量でしゃべってるんだから。もし、自分はイライラする、と思うんだったら、自分の心によく聞いてみることだね。よく、小学生で、他の生徒が先生に禁止されていることをやってるのを見て「何々君いけないんだ、先生にいいつけてやろ」っていう、あさましい小学生根性と同じものが見つかるんじゃないかな あるいは、車内が静かなのって、実は、軍隊的規律の名残りかね。とにかく集団生活を規律で縛って、余計な無駄口をたたくと張り飛ばされる。あるいは、他人に、小指ほどの迷惑もかけない、かけられたくない、っていう感じでひたすら縮こまって互いに牽制してるのかな? なんで、そんなに許容レベルが低いんだろう、日本以外ではあんまり聞かないよ。そのくせして「ここはいいですよ」っていう許しが出た場所では、正反対で、他人は目に入らず、傍若無人なこと、はなはだしい 車内マナーって、「マナー」っていう西洋語使ってるけど、マナーって日本語に約すと「礼儀」だよね。礼儀ってのは、相手に対してむしろ尊敬の意を表するときに主に使う言葉なはず。だから、車内マナーなんて変だよ。車内には、そんなもん要らないよ。無いといけないのは、まあ「常識」といったところでしょう。でも、常識ってのは規則じゃないから、許容とか寛容っていうのが正常に機能する最低限でいいはず まあ、一言で言って、心狭すぎ。車内の携帯に迷惑するって、いったい誰が迷惑なんだ? と思うけど(医療器具除く)、そういう心の狭い人たちってわけか。しかし、そんな厄介な人って、そんなにたくさん居るのか? ホントに。 だいたい、「迷惑をかけない」って社会は有り得ない。お互いに、迷惑をかけて、かけられて、それで仲良く暮らしてくのが正しい社会の姿ってもんだと思うよ。そういう交流を無くした社会には「友情」も「連帯」も有り得ないと思うよ 寒々しいですな〜 昨日、とある本を読んでいたら、バスジャックをして数人を死傷させた17歳の少年の話が載っていた。母親は、事件後もかなりしっかり対応していたようで、彼がこういう事件を起こした背景には学校や病院側などに問題があったのでは、という声もあったそうだ。でも、この家族のエピソードの中にこんなのがあったという。息子が赤ん坊だったときの声を録音してあり、それを息子の毎年の誕生日ごとに聞かせた、というのである。これを読んで、けっこうショックだった。毎年、自分の赤ん坊のときの声を聞かされるって、どんな気持なんだろう。順当に考えると「あなたが未熟だったころを知っている私からあなたは一生逃げられないのですよ」という母親の声が聞こえる。それで、バスジャックのような密室の暴君に自分もなる、という構図も見える。しかし、まあ、そういう分析よりかは、特に、思春期になってから自分の赤ん坊のころの声を聞いているときの、この少年の複雑な屈折した気持と、そのときの彼の不機嫌そうな表情までも想像できる気がしたので。ちなみに、家族のエピソードには父親は現れないそうだ。怖いね さいきん執筆のための参考に、40年ぐらい前の電子工作本を開くことがあるのだが、読んでいて、本当におおらかで気持がいい。とくに、どこが、というわけでもないのだけど、文章や、イラストなんかの全体の調子がとても明るい。このころのモノって、世の中に出したら、それはそれ、いちいちの批評もないし、突っ込みようにも編集部にでも手紙書くほかない。だから、仮りに書いてある事に間違いを見つけたときも、それは自分がそれだけ賢くなったのだ、ということを意味するだけで、当の記事の価値が下がることにもならない。書く人も、読む人も、おおらかに自分の世界の中でバランスを取っていて、それらが暗黙の相互信頼の元に成り立っていたわけだ。 昔はよかったなあ、と回顧していても仕方ないのは分かっていても、ここ最近、心底そう思うことが多くなったよ。人との付き合いは本当に希薄になった、その代わり刺々しい言葉がネットに大量に行き来して、そんな泥沼の上にテレビやなんやらがあって、やかましく休みなしに、いい生活をしましょう、がんばりましょう、仲間を大切にしましょう、悪を憎みましょう、人に迷惑をかけないようにしましょう、と言い散らしている・・ やれやれ・・ なんかね、空気が足りない気がするよ、空間やすきまが足りないって言うか、別に暗くは無いけど息が詰まるって言うかね おととい花見に行ったときのこと。自転車で20分ぐらいの公園でやったんだけど、家を出るときジーンズの後ろポケットの右に千円札1枚、左に一万円札一枚を入れて手ぶらで出かけた。それで、花見どころについて、しこたま飲み食いして、さ、そろそろお開きね、というところで、友だちが「千円はみだしてるぜ」って言うんで、お、ホントだ、って千円取り出して、ふと左の後ろポケットに手を突っ込んだら、あるはずの一万円札が無い。辺りを見回しても無い、どこにもない。これは、たぶん、行きの自転車でペダルこいでたときに一万円札がじょじょにせり出して、ついには、ヒラヒラ〜、と舞って落ちたんだろうな。きっと、道のどっかに二つ折りにした一万円札が落ちてて、拾ったやつは、きっと、「お! 一万円、これエイプリルフールかー?」と思っただろうな。開いてみて一万円、空にかざして透かしを見ても一万円、うーん、やっぱりホンモノだ! 拾ったやつラッキーだねー。オレだったら、一万円持って、その日の夜は、いつも牛角で安焼肉を食うところ、和牛の高級焼肉屋行って思い切り高級和牛カルビ食うかなー。あるいはイタリア屋でいつもはパスタのAコース食うところ、フルコースのCだな。などと色々考えたら、見ず知らずの人に思いがけないおこづかいあげたみたいで、いいことをしたような気になった。しかし、もちろん、そこにいた奥さんには言わなかった、絶対おこられるからね 今日、夜、仕事から帰ってきて家に入ろうとしたら、あたりの茂みの中で、虫が鳴いていた。じー、という、よく秋に聞くような音だったけど、きっと、4月の半ばを過ぎてもコートがいるような寒さと、ひどい湿気もあって、春らしくもなく、虫たちもなぜか鳴き始めたんだろうね。しかし、あの声は、何度聞いても、昇天するような、恍惚とした感じがあって、今自分がいる現世から切り離されて、中世あたりへ魂が戻っちゃうような、不思議な気持になる。なんか、小さいころに特別な思い出があったのかな あんまりうまく言えないんだけど、ときどき、生きて活動していて思うことがある。人間って、体も心も、途方も無く複雑な代物が、よく間違いもせず動いてるな、って。奈落の底の深い深い谷の上に刃物みたいに鋭く切り立った道があって、その上をどうにかこうにかバランスを取って歩いているみたいな。ちょっと間違えば、そのまま転落して二度と上がって来れないような、そんな風に思うことがある。だいたいが、こう感じるときって、疲れたりしているときなんだと思うけど。この連想を感じるたびに、世の中で心を病んで落ちてゆく人たちは、きっとそういう気持になるんだろうな、と想像する。 この連想とまったく逆なのが、人間の、体と心というのは、海水と、魚と、微生物でいっぱいに満たされた途方も無く大きな海の上をプカプカ浮いていて、最初から道なんかないのだ、という連想。海流や、風に気ままに流されて、ときどき下から魚に齧られたり、フジツボやコバンザメみたいなのがくっついたり、突然巨大な鯨が浮上したり、そんな出来事に左右されながら、どこかへ向かっている。そこでは、「良い」や「悪い」や「成功」や「失敗」というものが、大きいものから微小なものまで、途切れることなく両方とも起こっていて、仲良く共存していて、つぶしあうことも無い。それらは、最後には、みな海水のプランクトンに分解されて常に海水の一部になりながら、また、それが自分の体を常に支えている。 しかし、刃物の上を歩いてる、っていう最初の連想だけど、コンピュータのプログラミングをしてるとそんな気になることがある。コンピュータのSEで心を病むヤツが多いのは、あながち過重労働だけでなく、そういう仕事を続けるうちに、抗し難く、自分の人生というものをプログラムで動いているコンピュータと勘違いして行くせいもあるかもしれないね。怖いね |