ツレヅレグサ・ツー ッテナニ? |
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さようなら
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この部屋も、今日が最後である 思えば、1年前、不動産屋に連れられてこの部屋を見に来て、たいしていい部屋でもないのに一目で気に入ったのである。それで、その日の夜、夢を見た。この部屋は南東向きで、四方が全部窓で、4階なのだが、そこに自分がいて、開け放した窓の外が、ぐるりと深い深い森で、眺めていてとても気持がよかった、そんな夢だったのである。実際には、たしかに、一部公園の木々が見えるものの、それほどではないのだが、その夢があまりに印象的で、それで翌日、すぐに決めてしまった その後、半年ぐらいたって、とある霊感の強い人がうちにやってきて、まず部屋番号の403を見て、あ、これは本当は402でしょ?(たしかに、そう。402は欠番) 42という数字の部屋にはロクなところはないよ、と言った。なるほど。それで、家に入り、ぐるりと部屋を見渡して最初に言ったのが「林さん、よくこんなところに住んでるね」だった。そのあと、1時間に渡って除霊してもらったのだけれど、その人いわく、後ろから刺されて死んだ若い女性と、母親に殺された子供の霊が、いまだに部屋にいるというのである 僕は、何も感じなかったが、そうなのかもしれない。まあ、除霊したから大丈夫だよ、などと言われたが。僕としては、これを信じるとか、信じないとかじゃなくて、ああ、そうか、と思った。最初にこの部屋に入った夜、夢にまで見て、僕をこの部屋に引き寄せたのだ。それら過去の不幸な人たちが僕を呼んだのかもしれないね。そんなこともあるのかもしれない そして、僕は明日、ここを出て行く。いろんな運命の巡り会わせがあって、こっちから、あっちへ、そして、どこかへ、人は流れて行く。あれこれの現実的な理由はあるにはあるのだろうけど、本当の本当は、人が何の根拠で生活を変えてゆくかは、分からないと思うよ。僕のような運命論者は、どうしてもそう考えてしまう 今日が最後の、この部屋、別にいい部屋でもなく、特別にいいことがあったわけじゃないけど、ここで無事に1年間生きてこれたことは感謝する。ありがとう、といいたい 3週間ちょっとネットなしの生活をしたけど、まあ、別になんてことないや。仕事に出てれば外で見れるしね。うちは相変わらずテレビも新聞もないけど、考えてみると、東京みたいな都会に住んでると、外に一歩出ると情報があふれてるよね。電車に乗って吊り広告を一通り見れば、だいたい世の中わかっちゃったりね(笑) こういうのをユビキタス社会って言うのかね〜。ところで、なんとなく、どうも、ここのところよく耳にするユビキタス社会ってのが気に食わなくてね〜。情報を平らにならす、って発想が気に入らない。世の中にある、人や場所や時間や、物や、そんなところに集中しているエネルギーの分布をならして平らにする。それで、本当に平らになっちゃうと退屈するから、ニセのエネルギーを集中させる、たぶん、これがエンターテインメントなのかな。世の中を巨大な遊園地にしたいようにも見えるね 昨晩、タイ料理の鍋を食べた。市販のタイ鍋調味料を買ってきて、トムヤムクンみたいな煮汁で材料を煮て、ちょっとどろどろしたタレにつけて食べる。それで、食べるたびにこのタレの臭いを嗅ぐわけだけど、それがすごく「何か」の記憶と結びついていて、食べながらずっと何だろう、何だろうと思っていた。最初に連想したのが「炭」。でも、何の炭だろう? 次に連想したのが「ストーブ」。炭のストーブって練炭? そんなのじゃない。で、結局、最後にとうとう思い当たった。それは「サウナ」だった。そうだ、サウナの臭いだ! あの、サウナ室の中の木が熱せられるときの、燃える直前みたいなあの臭いだ! と、完全に解決し、やっと安心した(笑) しかし、炭、ストーブ、サウナ、っていう連鎖がなかなか面白いね。サウナっていうのは、木をストーブで焼いて炭にするところだったんだ、なるほど〜 ある日、ひとりでファミレスに昼飯を食いに入ったら、目の前のテーブルに作業着のおっちゃんたちが座っていて、特にそのうちの一人が昼間から生ビール飲んで上機嫌。「おりゃ、頭悪いけど、呑気だかんなあ」とか「三度のメシが食えれば、それで満足だあ」とかいろんな言葉が聞こえてきて面白かった。そのとなりのテーブルには全員スーツ姿の今風サラリーマンたち。禁煙の話と、喫煙室の空気清浄機の話し、株の話しなどなどが聞こえてくる。ほんと人それぞれだね。自分はどう考えてもサラリーマン側なんだけど、おっちゃんにあこがれるなあ、というかうらやましい。まあ、おっちゃんの血は僕にも流れてるだろうから、それを大事にしないとね。しかし、ファミレスってのは、いろんな人が来て面白いね。層が固定しないからね。ファミレスよりもっとすごいのがドライブイン。あそこに一日いれば、あらゆる人間観察ができるよ、ホント(笑) あるとき、たまたま、渋谷から明治通りを上って路地を入ったら、粗末なテーブルを道にはみ出して並べた飲み屋が数件軒を連ねたところがあった。思わず、かっこいいなあ、とつぶやいてよく見たら、向かい側が場外馬券売り場だった。浅草寺横の馬券売り場の路上飲み屋とほぼ同じ感じだった。こんなところが渋谷からすぐのところにあったんだ、知らなかった。日焼けした顔のおっちゃんたちが妙に無言で酒を飲んでいるのも変わらない。競馬も、いまじゃあ、ふつうの遊びなのかもしれないけど、昔ながらの競馬競輪ボートおっちゃんたちって、ずいぶん昔、大森に住んでいたときにもよく大量にみかけたけど、あの無表情で、なんとなく生真面目な感じの顔は、いつ見ても、無言で現状に耐えている動物たちを思わせる。なーんてことを言ったらおっちゃんたち怒るだろうけど、すごく親近感を感じるんだな、なんとなく。ま、こんど、またここに来て、ちょっとホッピーと煮込みでもやりに行こうか。 突然、思い出したが、かなり昔、職場に、北京出身の中国人が1年ほど派遣で来ていたことがあった。来たときは片言の日本語しか話せず、ずいぶん苦労していたが、割と歳の人だったので生真面目に仕事をしていた。日本に来て半年ぐらいたったとき、かの天安門事件が起こった。彼の故郷で起こった事件であり、彼はものすごく心配し、祖国で起こったこの理不尽な悲劇を嘆いていたが、そのときの我々日本人は、まあ、なんとものほほんとしていたわけで(もっとも、これは今でも)、そのとき、彼と我々の、埋めようのない差をずいぶん感じたものだった。もっとも、その話はまた別にするとして、思い出したのはそのことじゃない。さて、天安門事件も収束し、あと半年ぐらいがたち、とうとう彼が中国へ帰る日が近づいてきた。僕らは、わりと大々的な送別会を企画した、そのときのことである。会の始めの方で、彼が挨拶をした。1年日本にいたとはいえ、日本語はいまだ片言で、そんなせいもあって、彼は挨拶の原稿を用意していて、それを取り出しマイクの前で読み上げた。完全な、間違いのない日本語で、これは誰かが原稿をほぼ作ってあげたに近かったらしく、とてもそつの無い、どこでも聞かれる送別の挨拶だった。さて、それで座が進み、最後に差しかかったとき、突然、彼が、自分の言葉で挨拶がしたいからしゃべらせてくれ、と言い出した。このとき、彼がつっかえつっかえ、つたない日本語でうったえた挨拶の内容が一体なんだったのか、今では覚えていないのだが、ものすごく感動したのだけ覚えている。他人の挨拶にあれだけ心を動かされたのは、最初で最後だったと思う。それを聞いていたときの気持を思い出すと、今でも涙が出てくるよ。言葉は稚拙だけど、たしかにその心は何倍ものリアリティで伝わってきた。やっぱり、人間は言葉でしゃべるんじゃなくて、心でしゃべるんだ、ということが目に見えるようだった。 ヤフーのニュースに、ドイツで、火事に気付いた犬が眠っていた住人3人に知らせて、みな逃げて助かったけど、自らは焼死してしまった、という記事が出ていた。上着をはぎとって知らせたり、寝室へ行って吠えたりして知らせたのそうだ。人間が善い行いをしているのを聞いてもほとんど何も思わないけど、これが犬や動物になると、なんか感動するね。こういう賢い犬は死んだらどこへ行くんだろうね。いや、動物はみな同じ天国か。それにしても、人間ってのは業が深いね、死んで行く先は、仏教やらなにやらを見てみると、天国から地獄まで微に入り細に渡り描写してあって、やっぱり、この浮世と同じく取り止めがないのかな。ま、いいか 中華街は相変わらず混んでいた。それで、一人で、いつもの上海飯店へ。ここの料理人のあんちゃんのファンになってもう二十年以上たつね。ここの店はカウンターに座ると料理しているところが見れる。食べるのももちろんだが、料理しているところをたくさん見たいので、他のお客さんが入っているときに入らないといけない。そこで、開店ごろに行き、客が入るまで三十分近く界隈をうろうろして時間をつぶした。入って、まず、ビール。長居するには酒が必要だからである。あとは、もう、ひたすら見続ける。やっぱり、いつ見ても、このあんちゃんの身のこなしがかっこいい。いつまで見ていても飽きない。そのうち酒も回ってくると、実に幸せな気分になり、この料理風景とビールがあれば他に何もいらないなあ、と思うようになる。結局、一人で1時間半もお店にいた この前殺人事件を起こした塾の講師の、中学校の卒業文集だかに書かれた彼の言葉を読んだ。最近読んだ文章としては、まれにみる強い印象で、これには正直驚いた。いわく、「人生において重要と思われることの大半は勝手に決められている。そんな馬鹿なことはないと憤慨してみても、全く仕方がない」とつづり、そのうえで「その自分を受け入れ自分としての生涯を生き抜くことに全力を尽くしていかなければならない」 ここまで明快に状況を描写して、ここまで明快にその結末を与える、というのは、最近の世の中に例をあまり見ない。というか、これらを中学3年生の子供が書いている、というのは、やはり何かおかしい。もちろん、この明快で馬鹿正直っぽい結論の付け方が、あの、一般人には不可解に映るものの、映画やマンガではよくありそうな短絡的行動と通じているのだとは思うが、まあ、そんなどこぞの社会学者かなんかが言いそうなことは置いておいて、それでも、これら言葉は少なからずショックだな。この言葉は、運命論者の言葉だよな、そのはず。僕は自分が運命論者だからよく分かる。ただね、運命論ってのは、その「論理」そのものに宿命的な暗さがあるので、それを乗り越えないといけなくて、「論理?そんなもんはふふんだ」っていう昔気質の楽天的な明るさが無いとね、悪い方へ行っちゃうんだよ。で、彼のこれら言葉は、その「意味」はまったく正しいんだけど、その「文体」がね「運命に逆らって」いるように見えるわけ。運命論にはここに罠が仕掛けられていて、大半の人はそこに引っかかる。運命論者だと言ってはばからない僕もしょっちゅう引っかかる。常に運命と宿命の波に乗って、楽しく、朗らかに、安々と、浮かんでいないといけない。これは、実は、並の才能じゃできないんだよね。で、才能と努力ってのは同義語だから、並みの努力じゃできないってことになるわけ。大波に楽しそうに乗っているサーファーみたいなもんだよ。実に、ものすごい修練が、あの単純で美しい波乗りの光景を作っているってわけだ。 ずいぶんと寒くなったね。まったくどうでもいい理科系的疑問なんだけど、冬の朝に起きて、プラスチックのものとかに触ると飛び上がるぐらいに冷たいのに、なんで布に触っても冷たくないんだろう。布だってプラスチックと同じく一晩かかってキンキンに冷えてるはずなのに、などと思った。で、しばらく考えて分かったけど、布は人が触れたとたん、表面がすぐに体温で暖まるから冷たくないんだね、うん。布っていいね、哺乳類を真似てうまいこと発明したもんだ。以上、たまたまカバーが洗濯中のトイレに座って思ったこと ジャズピアノのマッコイ・タイナーを見に行った。コルトレーンとやっているマッコイが好きだったので、表参道のブルーノートでやっていると知って急遽行くことにした。もっともコルトレーン以降の彼を聞いていないので、ファンなどとはまったく言えないが。ステージに出てきたマッコイは、もうずいぶんな歳で、さらにたぶん病気を患っているようで、右手の指にぜんぜん力が入らないらしく、残念だけどその演奏は痛々しかった。ただ左手は大丈夫なようで、左手のリズム感、ベースラインの展開、そしてハーモニーは間違いようの無いマッコイ・タイナーの音ですばらしかった。しかし、いかんせん右手がね・・ なんとなく、これで見るのが最後になりそうなステージだった しかし、なんか、昔のジャズマンには悲しく切ない逸話がけっこう多くてね・・ これを書いている今はバド・パウエルのScene Changesがかかっているけど、一曲目のCleopatra's dreamのピアノソロは「鬼気迫る」の言葉そのもの。でもね、このときすでにバドは薬で心身共にかなりやられていて、指が頻繁にもつれるんだよ。全盛期のバドのピアノは一糸乱れず凄まじいスピードで弾きまくっていたんだけどね。でも、その言うことを聞かない指より、バドの頭の中でその場で言いたいことのモチベーションの方がはるかに強くてね、もつれる指をその強力なモチベーションで無理やり引きずって行く。その様は、痛々しいとも言うかもしれないけど、最初にこのソロを聞いたときは体が硬直したよ、あまりに凄くて。指が折れてしまうんじゃないだろうか、こんな弾き方をしたら、と思った。 それで、なぜかCD屋でバドの最後の録音というのをいつだったか買った。晩年のバドは薬づけからは抜け出ていたけど、もう心身がやられて、タガが外れたような状態だったらしい。そのCDのトリオの演奏では、一曲目はアップテンポで、バドのピアノは息も絶え絶えという感じで、指は全盛期の1/3も動こうとしない感じ。それで、最後のテーマの後、バドがもつれきった指でエンディングに無理やり持っていくと、リズムは狂ってしまい、ドラマーがきっかけを見失ってしまう。バドは鍵盤を妙な感じで叩きつけ、自分だけ勝手に終わってしまい、それでドラムが残ってしまい、最後にタムタムをバタバタと叩いて悲しく終わるこの曲。最後のこぼれたドラムの太鼓の響きが「バド! バド! どうしたんだ、バド!」っていう風に聞こえてね、聞いてて辛かった そう、また、思い出した。これは僕のうろ覚えだけど、バドがチャリー・パーカーとやってたかなり昔。もうそのころからバドは薬中毒だったらしい。とあるナイトクラブにバード(チャーリーパーカーのニックネーム)が出演し、ピアノがバドだった。でも、バードがステージに上がったときは、すでにバドは薬でボロボロで演奏もままならぬ状態。バードがステージで「当クラブはこの偉大なピアニストを出演させるため多大な出費をしております」だかなんだか気取ったMCをすると、バドは打ち合わせとまったく違う曲を鍵盤をでたらめにぶっ叩いて弾き始める、それを咎めると彼は口汚くののしり始め、結局、ステージにならない。その場で追い出された、去って行くバドの後ろからバードはマイクの前に立ち、サックスを吹くのも忘れ、呆然とし、ただずっと狂ったように「バド・パウエル! バド・パウエル! バド・パウエル!・・」と連呼した。そのあとバードはステージを降りて、バーへ行き、ウイスキーをストレートで立て続けに飲んでぐてんぐてんに酔っ払って、泣いた、などなど・・・ 本当に悲しすぎる話だね たぶん「バド! バド!」っていうのはこの逸話からの連想だろうね バードと言えば、コルトレーンとマッコイタイナーは「バードランドのコルトレーン」っていうライブアルバムで初めて好きになったんだっけ。あのアルバムの一曲目のアフロ・ブルーっていう三拍子の曲がとにかく凄くてね。テーマの後に延々とマッコイのソロピアノが続くんだけど、二拍三連をひたすら叩きつけるコードの嵐で、最後に異様なテンションと盛り上がりを見せたかと思うとエルビン・ジョーンズが、突然リズムとまるで関係ない(ように聞こえる)バスドラムをドドドドドドと連打をしたかと思うと、コルトレーンがロングトーンのソプラノサックスで入ってくる、あの異常なテンションには唖然とするね。僕がまだ若かりし頃、この演奏をレコードで聞いて、体中が麻痺したように動かず、異常な感動の渦に落ち込んだのをよく覚えている。あの興奮は一体なんだったんだろう? いやー、ずいぶん長くなっちゃったね。マッコイ・タイナーを見て、あれこれと物思いにふけってしまったよ! つい先日、会社で知り合ったとはいえ、とても近しい方が亡くなり、葬儀全体のお手伝いをし、式に参列し、2日間をすごした。69歳で亡くなられたおばさまで、その人柄にひかれて親しくお付き合いしていた人は大勢いらして、にぎやかな葬儀だった。プロテスタントの教会で行われたキリスト教の式で、結局、とてもよい二日間だった。僕などは、キリスト教式の葬式と聞くと、ああ、あの献花するやつね、ぐらいの反応しかなく、あるいは普通どおり仏式ならお焼香、神式なら枝を置くんだっけな、ていどにしか葬式というものを考えていないのだが、今回は違っていた。プロテスタントだからだと思うのだけど、2日間の儀式のすべてが現代語で行われていたので、式のすみずみまで理解できた。それに加え、亡くなられた方が、存命中にご自分の葬儀の準備をされていた方だったので、牧師さんのおこなう儀式の間に、近しい友人の方々による、ご本人の紹介、ご本人からの言葉、親しかった人たちからの思い出の紹介、などがはさまれていた。さらに、牧師さんその人が、最後の数日間ご本人と交流があったため、その紹介や、そのエピソードに基づくお説教があったりして、二日間終わってみると、亡くなった方の人柄の全体が見事に浮き彫りになっているように感じた。終わってみて、ああ、オレもこれからしっかり生きて行こう、と思わせるものがあった。 自分の葬式をプロデュースする、というのは最近ずいぶん増えたそうだけど、たいてい無宗教で、式次第から途中でかける音楽まで事細かに指示する人もいるなどと聞いている。しかし、このおばさまの式は、その、ご自分で準備したことと、従来からの儀式の取り混ぜ方がとても自然で、やり過ぎないで、とてもバランスが取れていたところなど、ますますご本人の人柄そのものだったな。僕は、おばさまが、最期の近くなった生前に、ごく親しい友人たちにたのんで、遺言や、葬儀の指示や、友人たちへのメッセージを残されている、ということを知っていたので、実は、もっと事細かにご本人が決めていたのかとてっきり思っていたのである。でも、違っていた。ご自分で指示されたところは要所要所だけで、あとは友人たちや牧師さんにほとんど任せていたんだね。そのせいで、みな、始まる前はずいぶんあたふたとしたけれど、結局、ご本人が声をかけてみんなで作った、みたいな式になった。おばさまには敬服します、僕の最後の誤解でしたね、さすがです。 そのほか、いろいろ思うところがあったけど、今日はここまで。おばさま、ありがとう、そして、さようなら 再び中華街へ。ここさいきんできた店で「世界チャンピオンの店」ってのがあって、これがまたすごい行列! 他の店にはない真っ黄色の外装、なんとか世界料理大会で優勝した料理長の巨大写真、テレビモニターで常に流れるTV紹介番組、って感じで、たしかに目立つ。中華バイキングを安値でやってて、外見で判断したかぎりハズレなのは分かっているので入らなかったけど、あの集客力はスゴイ。もちろんテレビの力もあるけど「世界チャンピオンの店」っていうコピーが当たりだね。中華街の客層をみごとにとらえた宣伝力は、さすがだね。 ところで、夜は、常連さんに紹介してもらった中華街から相当離れた揚子江っていう小さな中華料理屋でおまかせコース。これは、とてもよかった。派手さはないけど、心に残る第一級の家庭料理でした。店主に、ここの料理は中華街とまったく違いますね、と言ったら、うちのが普通なんで、中華街のあれは観光客料理ですよ、と言っていた。料理店の味って、もちろん技術もあるけど、客層しだいって感じがするね。とはいえ、店を開けている以上、どこの誰が入ってくるかわからないから、料理する人の方針、態度って、その人の、外での人付き合いのしかたそのものを反映するのかもしれないね。 新年を迎え、そうそうに車でお墓参りしたり、量販店行ったり、何やらしたのだけど、どこもすごい人出でびっくりした。古い記憶の中のお正月って、静かで、ちょっと厳粛で、いつもと違う空気、という感じなんだけどね。もっとも、これもめいめいの気の持ちよう一つで変わる、とは誰でも考えるでしょう? もし、そんな昔ながらの正月がよければ、自分の家だけで、そうすればいい、と考えそうな気がする。でも、それじゃダメなんだな。自分の家の周りの空気も含めて、正月独特のものになっている、という感覚がなくちゃ それにしても、「あなたがそう思っているなら、あなただけそうすればいい、他人は人それぞれでしょう」、という考え方は、蔓延していて、年を追うごとに進んでいると思う。それを個人主義などという言葉で言うことが多いけど、元来西洋から入ってきた個人主義って、日本でこういう形で根付いた個人主義とは相当違ったものだと思うよ。何が違うって、日本のは「個人の振る舞い」であって、決して「主義」にまでならない、ということ。西洋では、個人主義は主義であって、主義である以上は「全体」の中でのはっきりした個人の「主張」だ、と言うことだ。 今朝の新聞で養老猛が「死んだらおしめえよ、という言葉は日本的な無宗教感をよく表している」と言っていたけど、賛成する。日本人の特質って、ほんと「死んだらおしめえよ」だね。つまり、昔にあった価値ある「なにか」が終わってしまったら、それは「もう死んだのだ」、だから、もう「おしまいだ」、だから、次へ進むしかなかろう、という思い切りの良さである。そういう意味で、日本人ほど先進的になりやすい民族はいないと思うよ。いとも簡単に過去と決別するからね。それも、さしたる決別の理由も要らない。「決別ということになったんだから、もう、仕方ないだろ、決別なんだよ、とにかく」、というわけである。 考えてみると、僕の中にもこの日本人の血が十二分に流れている。さて、新年を迎えて、せっかくもらったこの血を生かして生活するのもいいかもね。 この前、デパートを歩いていて思ったんだけど、自分って、いわゆる物欲ってほとんど無いみたい。なにもデパートの商品に欲しいものが全くない、というだけでなく、そもそもなにか物に対して「これがどうしても欲しい」と思ったことあったっけ、と自問自答しても、まるっきり出てこない。ギター、中華料理、真空管、書きもの、など多趣味なんだけど、どれもほとんど物欲と結びついていない。特に、ギターと真空管の世界は、かなり物欲が支配する世界なのはよく知っている。ギター仲間のほとんどが「あのギターがどうしても欲しい」という感情を持っていて、借金して買ったりしているのを横目に、僕はギターそのものにほとんど興味がない。そのせいで、ギター仲間と話が合わないことはなはだしい。連中、ギターの話してると止まらないからね。僕はただ、ふーん、とつまらなそうに聞いているだけ(笑) 真空管も然り。 アートの世界では、物欲は最重要事項である。ためしに、アーティストを始め、いわゆるアート界で活動している人たちのブログでもあさってみると分かる。彼ら、物欲のかたまりである。いや、物欲という言葉じゃなければ、なんらか形ある物に対する過度のこだわり、と言ってもいいかも。アートというのは、それがどんなに現代風に姿かたちを変えたとしても、そのみなもとは、美しいものに惹かれる心、なのだから、これは当然なのである。その昔、ボードレールが、キラキラしたもの、色とりどりのものに心惹かれる性質は芸術家であるための第一条件である、とどこかで書いていたけどホントその通りだ。三島由紀夫もどこかで、なよなよした心が芸術には必要だ、みたいなことを言っていたけど、これもその一種だと思う。 ま、ということで、オレってアートとは縁が薄いってこと。もっとも、古典絵画を十年以上夢中で見続けたせいで、キラキラなよなよ色とりどりの良し悪しを判別することはできるようになったんだけどね。その、肝心の、女らしい心がまるでないや。やっぱり、どっちかっていうと、哲学、数学系なのかなー、イヤだなー(笑) ああ、もうひとつ、土着、呪術系ってのもあるかな。こちらはキラキラは皆無で、荒々しくて荒涼としていたりするじゃないか。筆頭はアフリカの造形のような気がする。あれって、苦手なんだけど、意外と自分ってあっち系なのかな。ま、いっか 今夜は、久しぶりに本格的な中華料理を夕飯に作った。僕がちゃんとした中華を作るのは外でばかりで、自分はもう何年も食べてない、と奥さんに文句を言われたので、新年だから作るよ、とばかり4品を彼女にお出しした。湯葉と香菜のネギショウガ油あえ、白菜の温製サラダ、鶏肉の四川風蒸しもの、汁無し担々麺の4つである。うーん、自分で食べてもみても、これはかなり旨い。しかも、まったくの安上がり。自分で作るっていいね。特に、自分ぐらいの歳になると、外で食う飾った料理に飽きていたりしているせいで、余計にうまく感じるんだろうね。もう、こうなると、これはお袋の味だと思う(笑) 今日の4品の写真とレシピーは、ホームページの「中華メシ日記」の方に掲載して行くつもり。 ところで、実は、ミクシィを使って「インターネット中華料理教室」というのを開こうと思って、昨日mixiをリサーチしたんだけど、うーん、うまくいくかどうかいまいちわかんないなあ。クローズドなコミュにすれば、確かに「教室」みたいなのは可能だろうけど、性格的にクローズドというのがどうしてもイヤだし。かといってオープンにすると、トピック乱立(すりゃ成功かもしれないけど 笑)、我が家のレシピー紹介ノリになっちゃって「教室」にならなそうだし。要は、自分が先生になってせっかくの知識を共有したい、というのプラス、先生になって目立ちたい、ってだけなんだけどね(笑) 考えてみれば、昔「通信教育」ってのがあったけど(今でもあるか)、あれって、自分でやった結果を郵送で送って、添削がされて、返送されてくる、ってのが基本だよね。なので「郵送」できるものじゃないと本当に効果をあげるのは難しいわけだ。学問は、「文」がメインだからこれが簡単にできる。でも、アウトプットが郵送できない、あるいは郵送が大変なものは、なかなか難しいよね。これは、いくらでも思いつく、例えば、楽器演奏、彫刻陶芸、大物工作、ダンス、などなど。それで、この「料理」もそれに入るよね。デジタル技術はまだまだ以上をきれいに伝送するまでは行ってないからね 料理の場合、作ったものを郵送するわけにゃいかないよな(笑) できたものを家庭でフリーズドライして郵送して、先生はそれを解凍して、匂いをかいで試食して、「あなた、これ、砂糖入れすぎ、あと火を通しすぎですな」などと添削して送るのかな。まあ、というわけで、通信教育(つまりインターネット教育)するためには、料理の出来を文字で表現せざるを得ないわけだ。これは困り者だね、めいめい基準が違うからね。 あと、リファレンスの提供は最低限必要だ。「先生」の作ったお手本料理は、少なくとも受講生はいつでも食べられないとね。逆に、このリファレンスの提供さえできれば、比較対象がはっきりするので、自分の試作品の出来を文字で表現しても何とか実用になりそうだ。いわく「味が物足りないです」「べちぇっとして水っぽいです」「先生のみたいにさわやかな辛みが出ません」などなど。ということは、リファレンスさえ提供できれば「インターネットお料理教室」は最低限成立するってことかな? しかし、家に食いにこられても困るし、行くのも面倒だし。ということは、やっぱ料理店を構えてないと無理か。 あ、でも、自分の料理を食ったことがある近しい人は何人かいるから、その人たちを教育して、それで「免許皆伝」して、コミュの中に「先生」を増殖して行けばいいのかな。そうすれば、インターネットの上に、一大中国家庭料理王国を作って、それの教祖さまになっちゃうってのは? はっはっは! かの魯山人なんか、いま生きてたら、以上のようなことを企てたりしてるかもよ〜? あの人、意外とそういうノリの人だと思うんだなー さいきんクラシックを聞くことが多くなったんだけど、当たり前だけどクラシックもいいもんだね。ほとんどがピアノ曲で、まだ、誰が好きだどうのというところまで行かないけどね。一番初めに好きになったのは、ショパンの葬送行進曲だったっけ。あの、途中で、転調して、静かで、消え入りそうなメロディーになる部分、あそこを聞いていると、そのまま昇天しそうになるよ。単純で、美しい、ほんの束の間の慰めの瞬間だ。それこそ、このまま永遠に続いていて欲しいと思いながら聞いているんだけど、それでも、やっぱり音楽だからやがては終わりがやってきて、そして、また暗い、激しい情熱に戻ってしまう。始まりがあって、終わりがある。音楽というのは、人生と同じく容赦の無いものだね。 昨晩、クラブチッタの企画ライブに出演したんだけど、あんなデカいステージでやったのは初めて。それで、いつもと全然違う経験をした。3人バンドで、僕がギターとボーカルのワントップでMCも僕になるわけだけど、ステージに立つと、強烈なスポットが自分に当たって、客席は真っ暗で何も見えない。完全に闇に向かって演奏している状態である。さらに客の入りが悪かったんで、客の気配も自分のところまで来ない。それで、ステージも広くて、ベーシストもはるか向こうにいる。この状態で、ギターを弾いて歌っていると、なんか悪い夢でも見てるような気がしてくる。逆に、まったくの孤独なので、弾いているうちに、自分しか見えなくなってきて、客は向こうの世界に行っちゃって、アガるなんてことも全く無く、やりながら「えーと、次の歌詞なんだっけ、ここでよく間違えるからなあ、えーと、あ、思い出した思い出した」とか平気で心の中でつぶやいている自分が、またまた客観的に外から見えたりする。ホントに変な気分だった。思うに、あの状況には慣れがいるね。次にやる機会があれば、もうちょっと自分をコントロールできると思う。で、肝心の演奏の内容は、よくわからない。今度ビデオが届くのでそれでチェックね。 六本木交差点に行ったら、かどっこに、シシリアっていうイタリア料理屋がまだあった。二十年以上前に、よく行ったっけ。まったく飾らないイタリア家庭料理で、好きだったんだけど、今はどうなってるんだろう。イタリア料理は大好きなんだけど、外食で入ることがなくなった。当たり前の料理を、当たり前の味で、当たり前の価格で出す町の定食屋っていうのが、結局は一番好きだ。でも、なかなか見つからなかったりするんだよね。ソバ屋については、だいたいどこの町にもそういうお店が見つかるんだけどね、それのイタリア版となると、あまり無いね。たまには、そんなイタリア料理屋で、変哲ないもの食って、ハウスワインを飲んで、くつろぎたいもんだ 昨日、板橋のバーでブルースを演奏しに行ったら、大阪出身のブルースマンのおっちゃんがいて、演奏中に大盛り上がりしていた、で、1ステージ目が終わったら、やってきて、あんた白人系やろ、と言われた。三十年前の日本人うるさがたブルース通そのものだ! でも、そのおっちゃん、ギター弾いて歌うらしく、ただの口だけブルースファンじゃないから、そこはいいんだけどね。思えばむかし、これはジャズも同じなんだけど、ブルース通ってホント食えないやつらばっかりで、エリッククラプトンを始めとする白人ブルースをほとんど敵視し、忌み嫌っていて、ほとんど蔑視する風潮があったのである。黒人ブルースをあがめる余りに、黒人特有のものにものすごい執着を持っていて、そのせいで、おかしな話し、当のアメリカの本物の黒人ブルースマンが、ちょっとその当時の先端音楽っぽいことをブルースに取り入れたりするだけで、海をはさんだこの日本で大騒ぎになっていたのである。いわく、「あんな16ビートなんちゅうはやりの軟弱なリズムを使うなんて、あんなのはブルースじゃない」、「いや、これこそブルースというものがアメリカ社会でまだ生きているという証であって、ブルースファンがなんと言おうがブルースは社会と共に進化して行くのだ」とかなんとか、大論争が何度もあったっけ。それで、この自分もそのうるさがたの一人だった頃もあったなあ。いつしか完全に止めちゃったけど。 それで、2ステージ目になって、今度はクラプトンなどの白人ブルースロックだったんだけど、そのおっちゃん今度は大ブーイングだった。まったく分かりやすいおっちゃんだ(笑) この前、数学のサイトで見たんだけど、有理数の総数と、実数の総数を比べると、実数の方がはるかに数が多いんだってね。でも、自然数と整数と有理数は皆ちょうど同じ数だけあるのだそうだ。それで、有理数と実数の間にある「数」がまだ発見させていないそうだ。端的に言うと、有理数はデジタル、実数はアナログ、ということになると思うんだけど、デジタルがアナログを模倣するとき、デジタルが必ず取りこぼすものがある、ということになるんじゃないかな。それでけっこう安心した。デジタルの性能を良くして行けばアナログに限りなく近づいて行き、究極のデジタルはアナログと区別がつかない、という漠然とした見込みでコンピュータを扱っているんだけど、少なくとも数学的にはそうはなっていないらしい。ただ、その、アナログとデジタルの差分の部分が、実際にはたいしたものじゃなかったりするかもしれない。この「部分」に名前を付けたいね。もうあるのかな? 老荘だったか、忘れたけど、「混沌」って名前の怪物が出てきたような気がするけど、こいつみたいなもんかな。でも、あいつは陰陽の間かな? 北極と南極の間だっけ? まあ、ちょっと調べてみよう。かりにコントンって名前だとすると、コントン君は、のっぺらぼうで、図体ばかりでかい、でくの坊、という可能性もある。そいつにとりえはあるのか? 地獄の責め苦は永遠だという、地獄の業火で永遠に焼かれるのだという。地獄も天国も、すでにそこには「時間」はないのだから、始まりも、終わりもなく、それで永遠というわけだ。しかし、考えれば考えるほど不思議なのだが、時間が無ければ、「変化」というものは無いのだから、白か黒かはすべて、そもそもその初めからはっきり決まっている道理になる。地獄から天国へよじ登ろうとしても、やはりその蜘蛛の糸は必ず切れる、ということになるのだろうか。これはずいぶんと容赦のない世界で、その来世への恐れが人間の善悪の感覚の元になっているのもうなずける気がする。逆に、ここ現世は、そういった白黒、善悪ということにずいぶんと容赦のある、ゆるゆるの世界だなあ。ただし、「時間」というものが常につきまとって、「変化」は保障されるけど、「終わり」があり、みなそれに向かって追い立てられる。その代わり、僕らはこの世の中で「自由」を手に入れている。白黒は常に変わり、善悪も常に変わり、現世の規則は常に変わる。あの世に変化が無いのなら、この世は変化していることこそが正しい姿だ、ということになるのかな。ということは、僕らは現世の規則を破るために生きていることにもなる。この辺になってくると、もう、判断は善悪を超えていて、危険と背中合わせということになるのだなあ。 昨晩、夢の中に一人の暴君的アーティストが現れた。彼は、大量の人間を使って、人の大きさからそれ以上に大きい、大量のガラスのボールを、巨大なあり地獄の形の土地に運ばせ、いっせいに中央の穴に向かって転がすよう指示した。ガラスのボールは、互いにぶつかってバリバリと凄まじい音をたてて割れながら中央の小さな穴に落ちこんで行った。穴の中に落ちた大量のガラスは、自身の摩擦で自然発熱し、どろどろと溶解し、小さな小屋ぐらいある、ひとつの溶けたガラスの塊を形成し、ほの赤く光り、ものすごい熱を発しながら、心臓の鼓動のようにうっすらと明滅している。この作家は、自然の溶鉱炉を作りたかったのであり、これが彼の作品である。僕は、それを見物しながら、自然熱を利用していて、加熱もしていないんだから、じきに冷えてしまうだろう、そうすれば展覧会の会期もすぐに終わっちゃうな、などと、まったく当たり前で、どうでもいい平凡なことをつぶやいている。目の前の、策に囲まれて、不気味に光を放っている塊の奇妙さについては特に気を払っていない。 意識のすぐ下あたりにある、どうしようもなく理不尽でどろどろな何物かを、完璧に平然と抑え込んで噴出しないように管理しているのかな。日ごろ、自分は、ぼんやりと回りを眺めたり、道を歩いたりしているけど、そのとき回りで起こっている大量の現象というのは、実は、不思議で、神秘的で、理不尽で、恐ろしいことばかりなはずなんだけど、それを目で観察して、要約して、少しの因果関係をつけてしまえば、それで納得して、当の厄介な不思議さを簡単にうっちゃっておける、というわけだ。あ、電線が揺れてる、風が強いのかな、でも、あっちの木の枝は止まってる、エアポケットかな、とつぶやいてすぐに忘れ去って通り過ぎる。 むかし、19世紀より以前の、芸術やら、文学やら、哲学やらに夢中になって、それで、その後、もういいや、と言って止めちゃったせいで、未だに、物事を考えたり、書いたりするとき、ボードレールが、とかデカルトが、とか、兼好法師が、とか、そんな時代の人ばっかり引き合いに出して、20世紀以降の、芸術やら思想やらなにやらに、わりと疎くて、こんなんじゃいけないんじゃないか、と思うものの、改めて勉強する(夢中になる)ことができず、ちょっと困った・・・ ここまで書いて思いついたけど、「勉強する」のを自分として止めてしまったのは、受験勉強のせいだった。したがって大学以降は「夢中になる」以外は無しで、「勉強」はほとんどゼロである。ここで勉強というのは、少なからず「強制」を含むものと考えていて、逆に強制だから功を奏するわけだ。その人の、理性のテリトリーに、強制によって打撃を与えて、その人が気付かぬうちにテリトリーを広げてやる、という戦略である。それで、その「強制」が終わった後、特段に何が変わるわけじゃないのだけど、あるとき突然、その、むかし広がったテリトリーが本人の人生を変えているのに気付くのである。ま、種まきの前の、地作りみたいなもんか。「勉強」ってそういうことでしょ? たまには勉強しなくちゃね、と思うものの、もう夢中になる以外は無さそうだな |