成都の街

成都は中国四川省の首都である。初秋の成都は霧の街であった。5日間の滞在中で陽が射したのはたったの2、3回、それもほんのわずかな時間だった。ホテルの二十階の部屋から眺めると街は濃い霧の中に沈んでいるように見える。ところが地上に降りて町中を歩いてみると、上から見る印象と異なり、至って快適で、湿度もあまり感じず、過ごしやすく、散策にちょうどいい気候であった。

麻婆豆腐

麻婆豆腐が生まれた店「陳麻婆豆腐店」で注文した元祖麻婆豆腐。見た感じ、タレがかなり黒っぽく、油の量が多く、表面には山椒を挽いた粉がまんべんなくかけてある。食べてみると、豆腐は柔らかく、挽肉は香ばしく、辛く、熱く、旨い。何よりも山椒粉が舌にびりびりとしびれる。四川料理の山椒は舌にしびれると話には聞いていたが、このとき初めて経験した。たしかにしびれるとしか表現のしようがない。ところで、麻婆豆腐は日本でもっとも有名な四川料理であろう。それゆえ、日本のものは様々にアレンジされていて、原型からかなり離れたものになっている。しかし、最近、この本場のものを「陳麻婆豆腐」と称して供する店が増えてきた。日本人の味覚もずいぶんと変わってきた、ということかもしれない。

棒々鶏

同じく陳麻婆豆腐店で注文した棒々鶏(バン・バン・ヂー)。このバンバンジーも日本で有名な四川料理のひとつであろう。本場のものは日本のものに比べてタレの色がかなり黒い。これは主に使われているショウユの違いから来る。日本でいうと名古屋付近で使われているたまり醤油に近いものを用いていて、ショウユを使った料理はいずれも仕上がりが日本のものより黒い。このバンバンジーであるが、かかっているタレは、日本のもののようにゴマだれという印象は皆無で、これぞ四川の味と言えるような複雑な調合がなされた得体の知れないもので、実に強烈で、旨い。ここにも山椒粉が入っている他、漢方薬のような香りもほのかに漂っている。一方、鶏の方は、水煮して冷まして細く裂いたものだが、日本の柔らかい鶏に比べて、しっかりした歯ごたえがある。

ウサギのぶつ切り肉のミカンの皮煮込み

兎の肉を、干したミカンの皮、干しトウガラシと山椒と共にショウユで煮込んだポピュラーな冷菜。成都の人はよく兎を食べるようで、兎肉の料理は鶏肉と同列に並んでいて、至る所で食える。市場でも必ずと言っていいほど兎が売っている。この料理は味が非常に濃厚なため、兎肉の味の特徴は分からなかったが、蛙の肉のような、小骨の多い鶏肉のような感じだった。

成都の裏町

成都は近代的な都市であった。高層ビルもかなりの数建っており、街全体も広い。しかし、ビル沿いの大通りから一本道を中に入ると、突然、五十年前かと思わせるようなひどく古びた長屋街のようなものが現れる。2階建ての家が道沿いに連なり、1階部分は店舗になっていたりするが、2階部分が廃墟のように崩れかけた家も多い。車も走ってはいるが少ない。歩きと自転車、そして町じゅうでお目にかかる後ろに二人がけの座席を付けた自転車タクシーが走っている。この自転車タクシー、ちょっと見ると昔の人力車にも見え、それも手伝って、路地を入るといきなり何十年もタイムスリップしたような感じを受ける。

ゆで豚のトウガラシソースかけ

雲白肉(ユン・バイ・ロウ)と呼ばれる四川の名物一品料理である。この店で食べたこの料理は絶品であった。ゆで豚を薄切りにして、そこに甘辛いショウユ味のタレとたっぷりのラー油がかかっている。このラー油のおいしさはたとえようがない。日本の餃子に使ういわゆるラー油のラー油臭さと異なり、四川のそれは、四川原産の香りのよいトウガラシを臼で挽いたトウガラシ粉で作った赤い油で、一緒に入っている焦げたトウガラシが実に香ばしい。タレをかけた後、上にグラニュー糖が振りかけてあり、別皿に生ニンニクのみじん切りがついてきた。店のおばさんは片言の英語をしゃべり、この料理はとても辛いが大丈夫か、と聞いてきたが、食べたところ、辛さはむしろほどほどであった。四川料理はトウガラシをふんだんに使い、とても辛いのが特徴であるが、実際に味わってみると、むやみに辛いだけということはなく、実によく味のバランスが取れていて感心する。

豚の胃袋の山椒ペーストあえ

これは四川独特の椒麻(ジャオ・マ)と呼ばれる山椒ペーストを使った、豚の胃袋のあえものである。粒山椒と青ネギとショウガをペースト状になるまで叩いて作る。これにショウユ、酢、トウガラシ油などを合わせてタレとする。この料理は、ゆでた豚の胃袋をスライスして、ぶつ切りの青ネギと共に皿に盛り、先の椒麻タレをかけたものである。これは山椒のしびれが存分に味わえ、旨かった。日本で同じ料理を食べても、山椒の香りが漂っている程度だが、ここ四川の本場ものは、山椒がびりびりしびれ、濃厚なタレと共に誠に美味である。

焼き卵のスープ

これは、焼き卵と、トマトと、青菜の入った塩味のスープである。さっぱりしていておいしかった。何より、ふんだんに入った具のそれぞれの味が自然にスープの中に溶け出ていてとても良い味であった。その後、厨房を見させてもらいびっくりしたのだが、彼らは、煮出したダシ汁を使わず、ただの水を使っていた。見たところどうやら、塩、コショウと化学調味料でスープを作っているようである。しかし、そのせいなのか、かえってそれぞれの材料から出るダシ味が素直に味わえて良かった。材料をふんだんに使うことがポイントなのであろう。

厨房の風景

上半身裸の料理人が、手前にあるガス台に、普通見る中華鍋より肉厚の鉄鍋を乗せ、ごうごうともの凄い音をたてる強烈な火の上で、次々と料理を作っている。日本の中華料理店の火力もかなりのものだが、やはりここ中国で見ると、何となく迫力が違う。まさに豪火としか言いようのない強烈な火で、見た目もすごいが、ごーっというものすごい音に圧倒される。

調味料の数々

四川料理は、特に複雑に混合された味付けを好む一面があり、使われる調味料の種類も多いようである。味付けの種類も他の地方にない四川独特のものがいくつもあり、それぞれ異なる調合で味付けされる、なかなか複雑な調味体系なのである。料理人は、目にもとまらぬ速さで調味料を混合して行く。

芙蓉飯店の外観

白いタイル張りの店内はそう広くはなく、入り口の扉はなく、オープンエアーである。粗末な板張りのテーブルに丸イスが並んだだけの素っ気ない店内だが、こうして見ると、のんびりしていて、なかなかいい情緒を醸し出している。

古びた町並み

芙蓉飯店があった町は、成都の至るところにある裏町のひとつで、2階建ての長屋が並ぶ町である。この長屋は相当古い時代に建てられたと思われる、かなりノスタルジックな雰囲気をたたえている。一階の多くはさまざまな店舗になっている。ちょっと江戸時代の東京の街道筋を思わせるような風景であった。

四川の鍋物

四川の町にはそれこそ至る所に鍋物を専門に出す店がある。この火鍋(フォ・グオ)は、四川人にとても人気のある食い物であることがわかる。火鍋は中国各地にあり、土地により、そのスタイルがかなり異なっているところは、日本各地の鍋物と同じである。それにしても、ここ四川の火鍋は他の地方に類を見ない独特のもので、大量のトウガラシと粒山椒が入った真っ黒く煮えたぎるタレに材料を入れ、これを生ニンニクのみじん切りとたっぷりのゴマ油が入った碗につけて食う。材料は客が好きなものを選んで別に注文する。肉、各種内臓、野菜、練り物など実に種類が多く、飽きさせない。ところで、前の方で、四川料理は思ったより辛くなく、辛さはほどほどと書いたが、この四川の火鍋だけは個人的には例外で、すさまじく強烈なものであった。

火鍋の煮汁

成都でもっともポピュラーかつ高級な火鍋専門店と思われる皇城老媽での二色火鍋である。鍋が二つに仕切られていて、片方にいわゆる四川独特の煮汁が入り、もう片方には豚骨や豚の胃袋などで取った白い出し汁である白湯(パイ・タン)が入っている。ご覧の通り、四川のそれは、四川原産の巨大な干しトウガラシのぶつ切りが大量に浮かんで、表面を覆っている。真っ黒いダシは、ショウユ、豆鼓がベースで、大量の粒山椒と、漢方薬系の香りがついている。ちなみに回りを見回すと客のほとんどは、この四川タレのみの鍋を注文していた。

四川の火鍋は強烈で、旨い

何が強烈かと言うと、ただ辛いというだけではなく、いくつかの強烈なアイテムが複合攻撃を仕掛けて来るところにあるようである。強烈なトウガラシの辛さ、そして粒山椒が舌をびりびりと痺れさせ、タレにはラードの層ができていて、きっと沸点が百度を超えているのだろう、タレで煮た材料はとても熱く、ゴマ油に浸して食べるので大量の油が口に入り、しばらく食っていると、これらの刺激で頭がぼうっとして、まともにしゃべれなくなって来るほどであった。ただし、強烈だが、これは確かに、旨い。まさに病みつきになる味である。汗だくになって食っていると、なんと言うか体中の老廃物が一気に代謝してしまいそうで、心地よくもある。ちなみに、隣の若いカップルは、食べつづけながら、楽しそうに談笑していた。やはり、慣れと、耐性の違いだろうか、僕は特別弱かったのかもしれない。

自転車タクシー

通りには当然車もたくさん走っているが、目に付くのは自転車の多さである。それから、自転車の後ろに客席を付けた自転車タクシーもたくさん走っている。車のタクシーよりのろいのは当然だが、景色などゆっくり見物できてなかなかいいものである。後ろにはナンバープレートのようなものが付いているので免許制であろうか。ちなみに、この自転車タクシー、雨の日も客席にビニールの覆いを付け、営業している。

香辛料入り粗挽き米まぶし蒸し肉

長ったらしい日本語だが、中国語では粉蒸肉(フェン・ヂェン・ロウ)という四川の代表料理のひとつである。生米に各種香辛料を加えて臼で挽いて荒い粒状にし、これを豚肉の薄切りにまぶし、豆板醤やショウユなどで味付けして蒸したものである。決め手はいかにも中国の漢方薬臭い香辛料の香りであろう。日本では中華料理の香辛料というと八角ばかりが有名だが、ここではもっと得体の知れない臭いがする。中国の市場を歩いているとどこからともなく臭って来るあの臭いそのものである。そのせいもあり、食っていると、市場の一部を食っているような気にさせるところがある。

豚肉と揚げピーナッツのトウガラシ炒め

四川料理の有名な味付けのひとつ、宮保(ゴン・バオ)味で味付けした炒めもの。大量の干しトウガラシと粒山椒を多めの油でゆっくりと揚げて油に香りを移し、その油で材料を炒めて、甘酢の効いたショウユ味で調味したものである。四川原産の巨大なトウガラシがごろごろと入っているのでどんなにか辛いかと思うが、食ってみるとそれほどでもない。この四川の巨大トウガラシは、香りが良いのが特長で、辛みはほどほど、ということのようである。マーボードウフもそうだったが、日本のものに比べて、調味料や香辛料それぞれの味が際だっている。

店の前にならぶ煮物の数々

夜市の立った通りの路地を入ったところに食い物屋が集合したところがある。写真の店はそのひとつで、店のやり手のおばちゃんが、道行く人にかたっぱしから声をかけ、次々と店に呼び込んでくる。店の前には、牛肉のショウユ煮、野菜の煮物、スープなどが煮立っている。この反対側には各種蒸し肉が大きなセイロの上で蒸しあがっている。指差しで注文し、店内で食う。このときは、前項で紹介した蒸し肉を2種と、牛すね肉のスープとご飯を注文した。いずれの料理も荒削りだったが、旨かった。ちなみに四川のご飯は日本と同じ短粒米であった。

三鮮湯

三鮮は、三つの生もの、あるいは三つの特別なもの、といった意味あいで、湯はスープを意味するので、これは三種の材料の入ったスープである。ここでは豚の腎臓、豚の胃袋、そして豚肉が入った白く濁った汁で、青菜とユリのつぼみが入っている。これはかなり生臭かった。どうやら、二種の内臓と肉を生のまま水でゆで、そこに塩と化学調味料を入れて味付けしているようである。成都のいくつかの料理店でスープを注文したが、いずれもダシ汁でなく水を使っているらしい、というのもなかなか面白い。材料の持ち味だけで飲ませるスープなのである。そこでこの三鮮湯だが、確かに生の腎臓と胃袋の味がし、すなわち結構生臭く、おいしいとは言いがたいが、こんなところにカルチャーの違いがでるのかな、と妙に感心したりもする。

牛肉麺

日本で有名な四川の麺と言えば担々麺(タン・タン・ミェン)であろう。しかし成都で麺を出す店を見てみると、担々麺がメニューにある店の方が少なく、それほど人気がないように見える。その代わりどの店でもメニューの筆頭に並んでいるのがこの牛肉面(ニュウ・ロウ・ミェン)である。牛肉のぶつ切りが香辛料を効かせたショウユ味のタレで煮込んであり、これを汁ごとゆでた麺の上にかけたものである。上に乗っているのは香菜である。香辛料の配分がちょっとカレーっぽく、どことなくエキゾティックで、旨い。ちなみに四川の一般的な麺は、うどんのような生地で、太目のラーメンぐらいに伸ばした、やわらかいものであった。

おなじみタンタンメンはおなじみでない味

これが四川名物の担々麺である。麺の上に乗っているのは炒めたひき肉で、この麺の下に、調味料が入っている。客ははじめに全体をぐるぐるかき混ぜてから食べる。日本のタンタンメンは、辛味とゴマだれが効いた汁ソバだが、元祖担々麺は聞いていたとおり、汁気がほとんどなく、味付けは複合調味料で複雑な四川の味がする。しかしこれはなかなか美味である。そういえば、おなじみと言えば、日本で有名な四川料理にエビのチリソース煮があるが、あれは本場にはないと言ってもいいようである。同名の乾焼明蝦という料理はあるようだが、あのケチャップ赤くてまろやかなエビチリとは似ても似つかず、別物と言っていい。

怪味面

日本人の目から見ると、この「怪味面」という字面にはなかなか怪しい雰囲気が漂っている。通りを歩いていたとき、この字を下手な筆字で紙に書き、べたべたと数枚貼ってある店を見つけたので入って早速これを注文した。実は、怪味(グヮイ・ウェイ)というのは四川料理独特の味付けのひとつで、たくさんの調味料を、どの調味料の味も際立つことがないように調合し、食べた人が何の味だかわからずに不思議に思う味付け、ということで付いた名前である。面は当然、麺の略字である。食ってみると、その名の通り、例によって複雑な四川の味がする。麺の上に揚げピーナッツを散らすという発想も面白い。この麺は実に旨かった。

茶館

茶館はお茶を飲むところで、町中の至る所に見つかり、成都の人達のお茶好きがうかがえる。 ここは人民公園の中の野外茶楼である。注文すると、お茶の葉が入ったアルミのふた付きの茶碗と、熱湯の入ったポットが出される。腕に熱湯を注ぎ入れ、ふたをして、お茶の葉が沈むまで待ってから、静かにすすって飲む。お茶が無くなればさらにお湯をそそぎ入れる。ゆったりした良いところである。粗末な竹の椅子もなかなか座りごごちが良い。

四川風水ギョウザ

怪味面の店で注文した、紅油水餃(ホン・ヨウ・シュイ・ジャオ)である。水ギョウザに、甘辛いショウユ味のタレとラー油をかけたもので、四川では非常にポピュラーな料理で、街の至る所で食べることができる。この店で注文した紅油水餃は抜群に旨かった。実は、成都には鐘水餃という有名な店があって、そこで出す紅油水餃が人気だと聞いていたのであるが、実際に後日行って食ってみたらさほどでもなく、こちらのほうがずっと旨かった。一概には言えないが、どうも行列のできる人気店は市の計らいで店舗を拡大することが多いらしく、それとともに味のレベルが落ちるのではないだろうか。なんとも言えないが、成都での食い歩きでは、有名な店よりも、無名の大衆食堂の料理の方が確実に旨かった。

冷たいあえ麺

成都のお寺、文殊院の前にある店の、通りに面したガラス張りの調理場で作っていたのがこのあえ麺である。客のほとんどが注文しているようだったので、ここの名物麺なのであろう。太くて歯ごたえのある薄茶色がかった麺の上に何種類もの調味料がかけてあり、始めにまずぐるぐるとかき混ぜてから食う。具のたぐいは全くなく、麺と調味料だけの冷たいあえ麺である。こってりとした甘辛い味をベースに、トウガラシ油の辛み、山椒のしびれとゴマの香りなどが渾然一体となったまことに四川らしい味で、非常に美味であった。

成都の鉄道駅

ここ成都北駅からは、中国各地へ行く列車が出発する。ひどくだだっ広い待合室は、山のような荷物を持った人々でいっぱいである。出発まで3時間近くあるにもかかわらず相当数の人間が座って待っている。遠くの都市へ出かけて行くのだろうか。社会主義国家とはとても思えない、ある意味で東京より資本主義的に見える近代的な成都だが、こういう光景は、聞き知っていた昔の中国を彷彿とさせる。また、成都は、物乞いや浮浪者が驚くほど少ない街であったが、ここ中央駅前には結構その手の人々がいる。もっとも、鉄道中央駅周辺は治安が悪く、危ない、というのはどこの国でも同じだが。