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はい、デルタブルースの最後の人はサン・ハウスです。

この人は、元々は教会でゴスペルを歌っていた人で将来は牧師だったはずなのですが、途中からブルースに転向したそうです。当時、黒人教会ではブルースという新しい音楽について、あれは悪魔の音楽だから近づくな、と言われていたそうです。ハウスはそれを無視してブルースの世界へ行ったわけです。

ハウスはパットンとブラウンの演奏しているところへ行き、仲間に入り一緒に演奏をし始めました。有名なデルタブルース三人組です。この三人組のところに当時若造だったロバート・ジョンソンが現れ、へたくそだったんで味噌クソに言われ、ふといなくなって帰ってきたときは恐るべきテクニックを身につけていた、というクロスロード伝説の舞台にいた三人組です。

ハウスの歌はゴスペル上がりのシャウトが入った激しい感じで、ギターは写真のようなメタル製のリゾネータ付のものを使い、多くの曲をスライドバーを使って演奏していました。

あと、この人はブルースマンの中では異例の長生きでなんと86歳まで生きてました。当時のブルースマンはその荒れた生活ゆえかほとんど早死にで、40歳超えればいい方という人が多いのですがハウスは長生きし、60年代のフォークブルースリバイバルで再発見され、その後は順調にレコーディングやコンサートに出演し、けっこういい老後を暮らしていたようです。

それでは聞いてみましょう。最初はハウスの1930年の初録音でマイ・ブラック・ママです。



この曲は本人によって後にDeath Letter Bluesという曲にまとめられ、再発見後にとても有名な曲になります。「朝起きたら手紙が来てた、お前の女が死んだぞ早く帰れと書いてある、急いで行ってみると彼女は冷たい板の上に横たわり、最後の審判に赴くところだ」、みたいなドラマチックな歌詞で有名で、いろんなミュージシャンがこれをカバーしています。もう一曲は、シェットランド・ポニー・ブルースです。



この曲は、パットンのポニー・ブルースのハウスによる解釈です。ブラウンのM&Oブルースも入れてこの三者三様の曲を比べてみると面白いです。

さて、ハウスは長生きのおかげでその奏法が動画で残っているんですね。ほとんど生きた文化財です。たとえば以下で見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=QwjGytOVVQA
この右手の使い方はものすごいですね。どうやって弾いているかよく分かりません。