シン・ゴジラ

シン・ゴジラが封切され、日本での興行が大成功してたころ、フェイスブックの自分のタイムラインはほぼすべて絶賛で埋まっていたのだけど、元来が天邪鬼なせいもあり、横目で見て、ふーん、と反応しただけで自分はあえて見ようとしなかった。で、あれからおよそ一年たってようやく見たら、一発で参って、気に入ってしまったのである。ここ最近、世間ではとうに過去の映画で誰も何にも言ってないのに、一人で季節遅れの感想など書いててバカみたいだった。でも、自分でもなぜ気に入ってしまったのか、何となく不思議で、これのどこかが琴線に触れるらしいのだが、その正体はずっと、はっきり分からなかった。しかし、今日、なんとなく思い当たるモノを見つけたのでその話。
 
今朝、うちの奥さんと、昭和の邦画の話をしてて、外国で認められる監督と、そうじゃなかった監督の話になった。外国人に絶賛された過去の映画監督は、溝口健二、小津安二郎、黒澤明になると思う。一方、日本で絶大な人気がありながらついに外国で認知されなかった人に、木下惠介や成瀬巳喜男(死後有名になったそうだが)などがいる。ちなみに、僕の趣味がその後者なのである(ちなみに奥さんは前者の溝口健二のファン)
 
では、なぜ、そうなるのか。思うに、やはり、前者の三人には民族や時代を超えた普遍的なものが見て取れるのではないか。溝口は深い芸術性、小津はスタイリッシュな映像、黒澤は文句ないエンターテインメント性、という感じだろうか。で、後者の木下、成瀬は、良しに悪しきに、極めて日本的な風俗や感情の機微が描写されていることが多く、そのドロドロの人間劇から抽出された普遍的な「なにか」があまり感じられない。
 
これらの映画監督について、そうだなあ、と思った後、思い付いたのが、後者のタイプの木下惠介や成瀬巳喜男の映画は、歌舞伎でいう所の「世話物」の一面が強いんじゃないか、ということだった。世話物というのは、要は、江戸の当時の風俗描写で、愚かな井戸端民衆の噂話だとか、下らない夫婦喧嘩だとか、売春宿でのドタバタとか、そういった極めて卑近なものを描写して見せる一幕である。で、当時、歌舞伎の題材が仮に、心中やら討入やらシリアスなものであっても、この世話物があれこれ挿入され、それを当時の客は好んだそうなのである。
 
それでシン・ゴジラだが、右往左往する政府と無駄な会議の連続、東京の日常生活の浮遊感を残したままゴジラを眺めたり逃げたりしている一般国民の、その様子が、これは21世紀の現代日本の「世話物」の描写そのものだということに気が付いた。江戸時代の歌舞伎から、昭和の木下惠介や成瀬巳喜男を経て、現代のシン・ゴジラ、という系列に見えたのだ。どうりで、最初にこれを見たとき、これは日本人が作った日本人のための映画だ、と思ったはずだ。
 
で、奥さんに「あんな下らない会議ばっかりの映画のどこが面白いの?」って言われたとき(彼女は前半は見ながら文句ばっか、後半は寝てた)、自分は「いや、会議の部分はどうでもいいんだけどさ、ゴジラに託した象徴が美しいんだよな」と言ったものの、実は自分は会議部分も気に入っていた。でも、今は理由が分かった。これは江戸庶民でいう世話物なんだ。シン・ゴジラの脚本は、世話物としてかなりよく書けていたからなんだと分かった(帰国子女の脚本だけは、照れ臭すぎるんで、もうちょっと何とかして欲しかったけど 笑)。もっとも歌舞伎の世話物は庶民の生活を描くもので、侍社会や幕府(今で言う政治家と政府)を描くものではないので、シン・ゴジラでの政治家社会と政府を描くのが世話物だ、というのは一見、合っていないのだが、21世紀になりインターネットのせいで、僕らの政治家と政府は世話物化した、と言っていいのではないだろうか。
 
そして、ゴジラそのものの方だが、これは、歌舞伎で言う、討入、心中、怪談などのメインテーマの部分を、ここでは、そのまま「怪獣の襲撃」で描いていた、と言えそうだ。これは僕の感じ方だけど、歌舞伎のそれらメインテーマは、まったく不可解な怨念の塊みたいなもので、劇中ではいちおう、殿中事件やら、理不尽な恋やら、裏切りの恨みやら(そしてゴジラの場合は放射能廃棄物)、「理由」は提示されてはいるんだが、それらの事件がもとになって生まれた「怨念」が、途中から、もう何だか分からなくなってしまい、一種の怨念の塊のようなものに結晶し、その塊が元の理由や人間の理性から離れて独立して存在するような感じになってしまい、で、その不可解な塊が、物凄い猛威を振るってあらゆるものをなぎ倒して行く、そういうエネルギーの塊になるんだ。それは、もう、因果関係の末の正義のある闘いや破壊ではなく、一種の自然災害に近い破壊で、カタルシスの塊なんだ。
 
シン・ゴジラに登場したゴジラは、見事に、そういう不可解な塊を表していて、骨の髄まで日本人な自分には、それが極めて美しい、日本的な、あまりに日本的な「象徴」に見えたのである。
 
ここまで来ると、もう、自分が愛する歌舞伎台本の「東海道四谷怪談」との関係は明らかで、シン・ゴジラは自分にはきっと四谷怪談に見えたのだ、だから、一発で気に入ってしまったんだ。そのことが、昭和の邦画の木下惠介や成瀬巳喜男を通して、なんだかわかった気になってね、面白かった。
 
四谷怪談では、ゴジラではなくお岩の幽霊が出て来るわけだが、お岩は民谷伊右衛門らに手ひどく残酷に裏切られ、そして亡霊になって再びこの世にあらわれるのだが、もう、現れたその時は、一種の怨念の塊と化してしまっている感があり、関係者を根絶やしにするお岩の亡霊は、絶大なエネルギーと、無敵の強さなのである。特に最後のシーンは圧巻で、縦横に飛び回って、一人一人に憑りつき、結局、皆殺しにする。
 
そして、シン・ゴジラのゴジラと同じで、出ずっぱりで皆がそれにかかずり合いっぱなしになっているのではなく、時々しか出て来ないし、それ以外のときは、皆はまたいろいろな事をしていて、その間、幽霊は、潜伏していたり、止まっていたり、ちょろちょろと皆の口の端に昇るのみなのである。それで、出て来るときは、まるで、いきなり現れた、台風や、稲妻や、土砂崩れや、地震や、津波みたいに、強大で、不可解な力をふるうのである。
 
シン・ゴジラを見た自分には、その世話物として描かれた政治ドタバタ劇と怪獣退治劇、そして、それらの浮世話とは無関係に存在する、強大な力で世話物の舞台をなぎ倒して火の海にする怪獣のゴジラが、とても芸術的な意味で、美しい、日本的な図式に見えたのである。
 
シン・ゴジラが海外興行で大失敗した、というのも、それゆえにうなずける。木下惠介や成瀬巳喜男が世界的監督になれなかったのと、同じだし、江戸の民衆芸術である浮世絵や、歌舞伎や、あるいは俳句や、そういったものが西洋人に誤解されたままの形で理解されている、ということとも同じなのだ。自分は、それなりにインターナショナルな人間なんだけど、西洋人には、ああいった日本の美の本質は分からないだろう、と推察する。そして、これは、裏を返せば、日本人の僕には、西洋の思想の核は、いくらそれで育ってきた自分とて、やはり最後の最後には分からないだろう、と推察するのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です