大森駅の線路沿いの地獄谷の思い出を伝承している人はいるだろうか。お袋が大森に住んでいるから、遊びに行くときは、いつも地獄谷をチェックしてから行く。この前も行ってみたら、入り口近くの超老舗のラーメン屋の長崎屋がとうとう閉店していた。結局、入らずじまいだったな、残念。
で、これまでずっと気になっていたお店があってね、地獄谷の真ん中へんにあるロシナンテというスナック。およそ40年前、あそこは大森界隈の文学者とか芸術家とかのたまり場だった。かなり有名どころも通っていたはず、誰だか忘れてしまったけど。
ロシナンテのママは美人で知的で、昔の言葉でいえばマドンナ的存在だった。文化人の通う店のママとして彼女以上の人はいないみたいな、いい感じの女性だった。そういう知的な人の集まるところのママというのは、ママそのものがあまりに知的にふるまってしまうと、客だかママだか分からなくなるし、そもそも知的な芸術家系の人たちというのは、相応に我が強いもので、ママとぶつかっちゃったら洒落にならないし、客同士がぶつかったときママがどっちかに加勢しちゃったらうまくないし、っていう風に、ママっていうのは、なかなか難しいポジションだと思うんだ。
僕は常連ではなかったけれど、人に連れられて数回は行って、その様子を見ていたのである。店の常連客とかがなんか論争的な雰囲気になるときも、ママは、柳に風だったり、あるいは天然風にとぼけてみたり、はたで見ていても、本当に上手に受け流していた。ママ本人が本当はどういう人なのかは容易に分からないけれど、そのやり方が本当に素敵だった。わがままな常連客も、ママにはかなわんな、で収まってしまうのである。そんな、ママには、なんだか憧れがあったなあ。
で、その後、十数年たち、地獄谷とはすっかり疎遠になり、ほとんど足も運ばない状態が何十年か続いた。そしてここ十年ぐらいになるけれど、お袋のうちへ行くついでに地獄谷チェックをするようになったわけだ。
それで、年に一、二回地獄谷偵察に行き、そのたびにロシナンテの前を通るわけだけど、店の周りの敷地には、いつも大量の植物が置かれていて、店の入り口はその植物にずっと覆われたみたいになっていた。植物はきれいに手入れされているから、誰かしらが育てているのだろうけど、店が開いているようには到底思えなかった。
ロシナンテのママ、どうしただろう。死んでしまったかな、などと思っていた。
それで、ついこの前のこと、地獄谷の階段を降りたら、ロシナンテの前で、小柄なお婆さんが植物の手入れをしているのが遠目に見えた。え、ひょっとして、ママか? と思ったけど、遠くて分からず、とにかく店の方向に歩いて行った。実は、僕が店の前に来るまでのあいだに、扉から中に入ってしまったのだけど、5メートルぐらいだったかなあ、一瞬、そのお婆さんの顔がはっきり見えた。
たぶん、間違いなく、あれはロシナンテのママだ。面影がはっきりあった。すごく上品な感じの、いまどきは滅多にいない感じのお婆さんだったっけ。
僕の性格がこんなじゃなかったら、きっと声をかけただろうけど、勇気がなくてできなかった。でも、ママ、元気でよかった。