民生

神戸の中華街に「民生」という名前の老舗の廣東料理屋がある。僕はあの店が好きで大阪に住んでいたころ、神戸まで出向いて、よく通った。もう30年以上前の話で、もちろん震災前である。いまも思い出すあの庶民的な店内の風景。給仕はみな威勢のいい関西のおばちゃんで、いつもにぎやかだった。料理はまさに日本の庶民料理で、あれは東京でも、そして本土の中国でも食べられない、関西に独特な廣東料理だった。
 
民生定番の料理といえば、「レタス包み」と「イカの天ぷら」で、行くと必ず頼んでいた。レタス包みは、生のレタスに炒めた挽肉を乗せて巻いて食べるもので、素揚げした春雨の上に挽肉が乗って出てくる。きわめてそっけなく味付けしたパサパサの挽肉と、みずみずしいレタスの組み合わせが素晴らしかった。イカの天ぷらは、肉厚のイカに切れ目を入れて、ショウユに浸したのを素揚げして輪切りにしただけのもので、くるくると巻き上がるイカが見ていて楽しい。なんの変哲もない味だけど、まさに庶民の味で大好きだった。
 
あと、自分的にすごく感心した名人芸な料理もあった。ひとつは「かしわの炒りつけ」。これは、大ぶりに切った鶏のもも肉とピーマンとタマネギを薄いあんでくるんだ料理で、関西系広東料理の定番の、少量のショウユを加えたねっとりしたあんでまとめたもの。鶏肉のおいしさもだけど、このあんのくるみ方は絶妙だった。同じく酢豚も。こちらも、今度はブドウ色のもう少し濃い色のあんがきれいに材料の全体に薄く均等にくるまっていて、ほれぼれする出来だった。あんが皿の下にたまるようなことはなく、すべて材料にからんでいるのである。
 
味の方も、まったくに素朴で、くどさがなく、ナチュラルそのものだった。かしわ炒りつけは無理だったけど、ひところ、僕も家で民生の酢豚をまねて作っていた。あの色と粘度を出すために、甘酢に、ショウユと中国ショウユを入れて、高温の油で砂糖が飴状になるタイミングを見計らって、材料をくるむようにしていた。しかし、まあ、なかなかあのようにはいかないものだ。
 
実は、先のかしわ炒りつけは、毎回注文していたのだが、やがて、普通の出来になってしまい、それ以来、頼むのをやめてしまったりした。ああいう名人芸は、たぶん特定の料理人に結びついているらしく、その人がいなくなったり、シフトが変わったりすると、同じものは食べられないのだと思う。これは民生だけでなく、いろんな料理店で経験したことでもある。そして、なぜか、ある日突然、名人が登場してすばらしい出来の料理が出るようになった、ということはなく、年月が経つにつれ、必ず、その名人芸は失われる方向にしか行かない。思えば、不思議なものだ。やはり昔の人の名人芸というのはそうそう簡単には伝承しないものなのだろうか。
 
これら、素朴だけど、名人芸な料理を食って、サッポロビールの大瓶を飲んで、あの喧噪の中にいると、本当にいい気持ちだった。
 
その後、三年ほどで僕は関西から東京に戻り、この民生にも行くことはなくなった。そうこうしているうちに大震災が起こり、南京町はどうなっただろうか、と思ったが、確認することもなく月日が過ぎていった。それからだいぶ経ったあるとき、神戸へ出張があり、現地の知り合いと一緒に南京町の民生へ出かけた。少し小さくなったかな、とは思うものの、民生はたしかにあった。創業55年だそうでたいしたものだ。料理はどれもおいしかったが、昔の民生の風情はほとんどなくなっていた。
 
伝統の老舗の味として、レタス包みとイカの天ぷらのメニューは残っていて、どちらも味もルックスも当時のままだったが、それにしても、この二品と、他の料理とのバランスが崩れすぎていて、当の老舗の二品も、味気なく感じてしまった。やはり、お店全体の料理があのノリでできあがっていないと、ダメなんだなあ、と思った。ついでに言うと、料理だけでもダメで、あの店内の空間、給仕のおばちゃん、人々の様子、そんな時代の空気すべてと料理が、きれいにきちんと調和して、それであの魅力を作っていたんだろうなあ、と思う。やはり料理店というのは、その箱の全体が、一種の総合芸術なんだね。
 
むかし自分が足しげく通った気に入った料理店はそれほど多くは無いのだけど、その大半が、店舗はあるけれど時代が変わって、別のものになってしまった。自分は中華料理を作るのが趣味だけど、自分の料理全体がある一つの有機的な感じのもとに総合されているのが大切で、それは一代限りのもの。それでいいじゃないか。そんなことも、考える。

(Facebook投稿より転載)

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