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高級蕎麦店にて

昨日の立ち食いソバから一転して今日のお昼は高級蕎麦店。

広々としたテーブルに通され注文したおかめ蕎麦を待ってると、隣はカップルでおそらく40過ぎの人たちで、二人ともなんとなく意識高い系。男性が落ち着いたトーンで、立て板に水のように、よどみなく話して、女性がときどき賢そうな相づちや質問を入れる。さすが、こういう人たちは高級蕎麦なんだなあ、って感心して聞いてた。

で、注文の品がやって来た。ふたりとも同じ天ざるだった。

オレのおかめも来てたんで食べてたら、その隣の席から蕎麦をすする音がするのだが、これがまたとてつもなく大きな音で、オレが卓にいたらVU計振り切りの+4dBでフェーダー落としてたとこだわ。

店内に響き渡る蕎麦をすする音。

それにしても、日本人であれば蕎麦はもちろんすするもので、ただ、どれぐらいの音量ですするかはなかなか個性が出るところだよね。かの意識高い彼は、きっと日本の伝統の技として蕎麦は最大音量ですするものだ、という一種の信念に基づいていたに違いない(と言いたくなるほど、ホント、音がでかかったの)

で、露骨に見るのも何なんでおかめ食いながら、チラ見して耳を澄ましてたら、おかしい。相方の女性はぜんぜん音を立ててない。明らかに-22dB以下である。これもよくあるよね。まるでスパゲッティを食べるときのように細心の注意で無音で蕎麦を食べる女性。

なるほどなー、って聞いてたら、食事が半分過ぎたころに、女性の方が蕎麦をすする音をたてはじめた。とはいえ男性の方の大音量には遠く及ばず、申し訳なさそうに-12dBぐらいですすっている。ただ、これ、オレのすする音とほぼ同じ音量でふつうとも言う。

たぶんだけど、女性の方、男性のすする音のあまりの大音量にびっくりして、でも、相手の気を悪くさせないように、あるいは、自分が日本人のくせに音を立てないことを相手に見られて内心バカにされないように、という配慮からか、わざと音を立てたんだろうな、って想像した。たぶん、いい人だと思う。

とまあ、そういうわけで、高級蕎麦屋でも人間観察はおもしろい、という話でした。

立ち食いソバ屋のヘンな人

このまえ大井町の立ち食いソバ屋に入ったときのこと。そこは立ち食いと言っても座れる席があって、仕切り板でセパレートされてる。

まず、隣にあんちゃんが座った。そしたら彼、カバンから小さなスプレー缶とウェットティッシュを取り出して、テーブル、壁、仕切り板にスプレーしてティッシュできれいに拭き取る作業を始めた。それ見て、へえ、って思って、彼の番号が呼ばれて立ってトレイを受け取りに行くとき見たら、かなりオタク系のルックスで、でも、ジャケットもズボンも靴も新品っぽく、髪の毛もきれいに刈り込んで、えらく清潔で、やっぱり元々がキレイ好きなんだね。

そうこうしたら、別の背の高いオレと同じぐらいの歳のおっさんが入ってきて、カウンターで食券を渡すときに「ソバ大盛りのネギ抜き、汁抜きでお願いします」と言った。店の人「汁抜き、、、ですか?」と怪訝そうに聞き返すと、おっさん「はい、汁抜きでお願いします。大丈夫ですから」と言った。店の人、奥の調理に、汁抜きで、って言ったら、調理の人、汁抜き? みたいに怪訝。さらに周りの客も聞いてたので「汁抜きのソバっていったいどんなのだ?」みたいに話題にしてる。

で、汁抜きソバができて、トレイを受け取りに立ったおっさんに、店の人「大盛ソバ葱抜きで汁抜きです!」ってトレイを渡し、「おつゆ必要でしたらいつでも言ってくださいね、かけますから」と言った。おっさん「はい、大丈夫ですから」と言って、オレの前のちょっと離れたところに座った。

これはオレが予想した通りだったんだけど、おっさんカバンから小さな水筒を出して、蓋を開けると、黒い液体をソバにかけている。やはり汁持参であったか。

それにしても、そのへんの人々って、かばんの中に、スプレーやウェットティッシュやソバのかけ汁や、実に、いろんなものを忍ばせてるんだなあ。

やはり立ち食いソバ屋の人間観察って、おもしろいなあ、って思った。

管理されなかったころのこと

そういや去年、時効の話してて、そのうち書きますよ、って書いてないことがあった。

さっき、友人のHさんとしゃべってて、2000年あたりから日本の企業で急に管理が厳しくなり、ルーズなこと一切できなくなって、それで衰退していった、みたいな話してて、そういう締め付け管理衰退モードの中でも大企業で出世してゆくやつは、だいたい時流にうまく乗るだけであんまり感心するやつがいない。だいたいそういう輩って、イノベーションがどうのとかぬけぬけ言うけど、そういうのにロクな奴いない、みたいな話してた。

こうやって書いてるとなんかわりと負け犬感が漂ってて、でも、この日本では負け犬こそまともな人間なのだ、と言い張ることもできて、えーと、ま、それはどうでもいい。

という話をしてて、そっか、この話を書かないと、と思ったわけです。

とはいえ、やはりだいぶヤバい話なんで、とっくに時効とはいえ、いちおう伏せときましょう。しかし、おそらくだけど、みな、外に向けて言わないだけで多くの人が同じような経験をしてるんじゃないかと予想します。

なにかっていうと、過去の自分の会社での予算の使い方です。オレ、25年以上前、TVML (TV program Making Language)という発明をして一世を風靡したことがある。いまでいえばイノベーションそのものであった(でも、オレのその後のやり方悪く、花開きませんでした)

で、あれがなんで生まれたかって言うと、自分がいい加減な人間で、当時悪い事もしたからなんです。で、その話である。

というのは、そのTVMLを発明する前年まで僕はバーチャルスタジオという技術の研究開発をしていて、そこそこに成果が上がっていた。それで、毎年、あの手この手でアップデートして研究を続けていた。

技術っていうのは、一回それが回り始めると、それをあの手この手でいくらでも改良することが出来、かなりの年数持つものなのである。ということでオレも、毎年改良版を提案し、計画書を書き、予算をゲットしていた。

ところが、その25年前時点で、すでにバーチャルスタジオの研究開発を10年もやっていて、自分はもう完全に飽き飽きしていたのである。でも、自動的に改良を思い付くんで、惰性で続けてた。

で、25年前、その研究を止める最終年度、オレはまたまたありきたりな改良版を提案し、書類を書き、うん百万円ほどゲットした(もっとかも) 予算をゲットしたからには使わないといけない。ってことで、めんどくせーな、と思ったけどごく適当な仕様書を書いて、どこぞのソフト業者に発注した。でも、本人やる気なし。

いい加減な打ち合わせを一、二回して丸投げして、数カ月後に納品になったが、いい加減な検収をして業者の説明を聞き流し、ソフトを収めたDATテープを受け取った。で、なんと、オレ、そのソフトを開きもせず放置した。結局、そのテープはそのままゴミ箱へ行ったはずだ。カネをどぶに捨てるとはこのことだ。

じゃあ、その間、オレが何をしていたかと言うと、実験室にある最近買ったMacintosh IIsiにSculpt 3DというCGソフトを入れて、来る日も来る日もCGを作って遊んでいたのである。

まず、ソフトで楕円形の卵を作って、それに球を二つ付けて目にして、横に伸ばした赤い楕円でタラコみたいにしたのを2本で口にして、なんか顔になったんで、楕円のてっぺんの頂点をびよーんと伸ばして角にした。これがかの有名なボブである(笑

身体もぜんぶ楕円の延長で作って、さて、オレはそれをスクリーン上で歩かせることに夢中になる。しばらくしてサイン・コサインで歩いた。次はこいつをしゃべらせたいと思い、口に切れ目を入れて顎を作ってパクパクするようにした。

となりで研究してる言語処理グループが、たまたま購入したDecTalkという深緑色の箱が英語をしゃべる、ってんで、そのグループのキムさんっていうヤツにDecTalk貸して、って言って借りた。キムさんはキムさんでぜんぜん働く気の無いいい加減なヤツで、DecTalkを予算で買ったものの使わずに放置されていたのである(キムさんとオレは今も親友。やつその後Samsungで出世)

そのDecTalkに英語しゃべらせて、その音声信号でリップシンクするように苦心してソフトを組んで、果たして、ボブが口パクして英語をしゃべって、歩けるようになった。当時、オレ、Cheech & ChongとBeavis & Butt-Headが大好きだったんで、ボブに

Let’s go break something. That would be cool.

とか歩きながらしゃべらせて遊んでた。そうこうしているうちに台本駆動を思い付き、それがTVMLになったのである。

ちょっと思い出話が長くなったが(爺なもんで、すいません)、このTVMLは25年前なので極めて斬新で、驚きを持って受け入れられたが、これができたのも、オレが超不真面目で、バーチャルスタジオの研究がイヤでたまらず、最後の1年間、うん百万円を完全にどぶに捨てて遊んでいても、それでも研究所が、僕のような不良を野放しにしたことで生まれたのである。

みなさまのお金をこのように無駄にしたのは、たしかにオレが悪い。でも、そのおかげで一つのまた別の新しいものが生まれたのも事実なのである。

もし、オレがクソ真面目なエンジニアで、費用対効果に常に気を付けながら、金を使って開発した以上はきちんとこれを成果として残さねばならないし、次年度へ続け、中長期計画に沿って展開せねばならない、などと考えて仕事をする輩だったら、あのTVMLは絶対に生まれなかった。

要は、20世紀の終わりごろは、まだルーズな時代で、研究者の管理はきわめて不徹底だった。したがって予算も研究者本人の裁量にほとんど任されており、外部チェックは入らなかった。オレのような不真面目なやつが、不真面目なことをしても闇から闇へである。

もちろんコンプライアンス的にそれはNGである。しかし、そのルーズさ、ゆるさ、金銭の裁量の一元化によって、たくさんのダイナミズムが生まれ、それが日本の本当の意味でのイノベーションを引っ張っていた、という側面は確実にあると思う。その遺物が、日本人のノーベル賞の多さに現れているのである。

今後、そういうことは無くなるんじゃないか、と危機的に語られるのをここそこで目にするが、オレも自分の経験に照らし合わせて、その通りだめになると思っている。

しかし、日本組織は、おそらくもう元に戻ることは不可能だと思う。イノベーションっていう単語だけ発するやつらが出世してエラくなって、それで終わると思う。

なので、日本はいったん完全に終わるか、あるいは、また完全に別な道を「個人のレベル」で模索するんですね。日本の大衆は、まだ個人のわがままを許すからね。