だいぶ昔の百五十年も前のパリの話だけど、その当時のインテリ層の連中が集まると、麻薬のハッシシのことがよく話題になり、多くは進んでそれを体験したそうだ。
ボードレールに「人工楽園」という本があるが、そこに彼自らが体験したハッシシの克明な記録が書かれている。かなり面白い。
しかし、この本を思い出すと、麻薬の記述に至る前に、「酒」に関する短い記述があり、それが自分には忘れられない。パガニーニとギタリストが流しの放浪をしていてギタリストが泥酔したときの演奏の光景が書かれていたり、泥酔したとある労働階級の男が道端の溝にはまって、それをもう一人の泥酔の男がのろのろと引っ張り上げている場面の、恍惚とした情景が描かれていたり、読むと陶然とするのだが、これについて書くと切りがないので、置いておく。
ハッシシの流行ったパリでのこと、例によってハッシシの話題になった。そこに、誰だったかたしかバルザックだったか、その話の輪の中に、老年に差し掛かった芸術家がいた。彼もみなの麻薬の話に食い入るように聞き入って、あれこれ根掘り葉掘り質問をしたそうだが、いざ、誰かがホンモノのハッシシの持ち出すと、彼は尻込みしたそうだ。
まるで、恐ろしい蜘蛛かなんかを見るようにおっかなびっくり覗き込み、匂いをかいだりして、でも、人に勧められても決してやろうとは、しなかったそうだ。
こういう奥ゆかしさや、警戒する様は、なんだか未知の物に出会った猫のような反応で、とても魅力的だ。特に老齢の芸術家は既に麻薬などに頼らずとも、膨大な経験をその心身の中で醗酵させているわけで、麻薬などは不要と考えても少しも不思議じゃない。
オレね、昨今の生成AIは麻薬だと思うんだよ。
酒や煙草ではなく、麻薬。
生成AIを進んでやる人間、尻込みする人間、嫌悪する人間、といろいろいるが、どれが良いとも言い難い。というよりは、ボードレールは書いているが、彼のそれまでの観察によれば、麻薬は何も新しいものを創造しない。そうではなく、それを経験する人間がもともと持っている芸術的感性を増幅し異常に鋭くする、と言うのである。したがって、その時点でのその人間の素性が陳腐であれば、麻薬は馬鹿げた結果しかもたらさない。
彼が正しいとすると、AIはちょっとした試金石の代わりをするのではないか。その人間がもともと持っている素質、というものが増幅されて人の眼に見えるようになる。
つまらないやつがやれば、いわば見ていてバカ丸出しだ。手を出さなければバカも見えなかったのに、その光景はほとんど悲しくなるほど。
オレはというと、生成AIという麻薬には手を出す方だけれど、相応の警戒心は持っていて、それはちょうど老齢の芸術家と同じ気分だ。なぜ手を出すかと言うと、麻薬というのは、なんだかんだで、それまで自分が持っているけど漠然としか感じていなかった大切な宝物のようなものを、はっきりと認識されるものとして現出させてくれることを、知っているからだ。
それが新しいなにかを創造して、時代を変えて行く力になる、ということは間違いなく起こる。人間にはやはり麻薬が必要であるらしく、少数の選ばれた人が麻薬の力を得てそれを成し遂げる。
しかしその副反応として、膨大な量の馬鹿な中毒患者を残して行くわけなのだが。